遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
更新は猫以下の頻度です。

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金子みすず

2011-08-14 00:36:44 | 
 
 震災直後連続して流されていたACのCMで「こだまでしょうか、いいえ誰でも」でおわる。金子みすゞが気になっていた。

ぶらりと本屋に立ち寄ったとき、ふと目につき手にとって見た。「私と小鳥とすずと」という題名の小さな詩集だった。帯に”こだましあって100刷に”とある。

  わたしが両手をひろげても、
  お空はちっともとべないが、
  とべる小鳥はわたしのように、
  地面をはやくは走れない。

  わたしがからだをゆすっても、
  きれいな音はでないけど、
  あの鳴るすずはわたしのように
  たくさんなうたは知らないよ。

  すずと、小鳥と、それからわたし、
  みんなちがって、みんないい。

 なんとも、やさしい、きれいな、詩だ。
ダイアモンドやエメラルドのような豪華さはないが、翡翠か真珠のような、繊細な温かい美しさが伝わる。心が洗われるとはこんなことを言うのだろうか。(金子みすゞ童謡集「わたしと小鳥とすゞと」JULA出版局)

そういえば、歯医者のK先輩がこの作家が好きだったっけ。

高山病と飛行機酔い

2011-08-10 18:01:06 | 行ってきました

クスコの街並み

この旅行の計画を立てる段階でちょっと気になったのは高山病のこと。

昨年訪れた大先輩のKさんは、大したことはないとおっしゃっていたが、他の知
り合いでひどくなった人で入院した人もいた。ガイドブックには注意事項が書い
てある。どうしたものかと迷いつつ現地入りした。

曰く、酒は控えよ、十分睡眠をとれ、こまめに水分補給を、高地ではゆっくり歩
け、深呼吸を2,3回しろ、酸素は念のため用意したほうが良いなど。また冬だから寒さ対策を十分に。氷点下に下がることもある、と記してある。そこでセーター、ウィンドブレーカーを用意し、
酸素は現地調達することにした。


3800mの峠からの眺望

しかし結論を言えば、それほど心配することはなかった。
確かに、クスコ郊外の3800mの峠に登ったとき、2700mのワイナピチュ頂上付近、
サクサイワマン付近の水の神殿(3800m)の3箇所で軽いめまいを覚えたが、後は
全く感じなかった。マチュピチュ見学のおりはこのことをすっかり忘れていたほ
どだ。

勿論、この間酒は控えたし、なるべく早く寝た。でも効果があったのは、単純だ
けど深呼吸だ。
気候も充分暑く、日陰はひんやりするが、日向は半袖で十分であった。

クスコは3500m、オリャンタイタンポは2100m、マチュピチュ村は2200m、マチュ
ピチュ遺跡は2400m程度であるから、高山病にならないのは当然であろう。だが4000
m近いチチカカ湖などに行くときには十分注意せねばならないだろう。


後ろのセスナで出発

オアシス

川の脇の緑地 水は生命の源

もう一つ高山病に近いのは、ナスカの地上絵見学の際の、セスナの飛行機酔いだ。

リマから飛行場のあるイカ迄約300km3時間ほどで走り抜ける。スピード制限は
一応100km/hだが警察はレーダーを持っていないので取締はない、と運転手の
ジョニー君はいって、140km/hで砂漠の中の道をバンバン飛ばす。30分くらい
朝もやの晴れるのを待ってフライト開始。


居住性のいいセスナ内

宇宙人

ハチドリ(左端)

こんなセスナ飛行場でも7$/人の空港利用税を取られる。7人乗りで出発。30分
ほど砂漠の中を飛び、いよいよナスカ。パイロットは操縦を副操縦士に任せ、パ
ンフレットを示し、イルカの地上絵だ、次は宇宙人だ、それハチドリだと教えて
くれる。しかも「まず右サイド」「続いて左サイド」と飛行機を回転させ、爆撃
をするときのように横滑りに目標へ近づける。サービス精神満点だ。右に左に回
転し、急降下や急上昇を繰り返すので、気持ちが悪くなり、シックバックに戻し
てしまった。幸い胃袋には何も入っていなかったので、黄色の胃液が少し出ただ
けであったが。

地上絵はそれほどはっきりはしていず、岩肌に彫られたもの、平原に書かれたも
のと様々であるが、何を目的としたものかは謎である。不思議ではあるがただそ
れだけ。地上に降りたら、たちまち飛行機酔いは収まった。


飛行場入り口

この砂漠の奥に地上絵はある

トルコ航空は美味しい

2011-08-06 07:55:54 | 雑感

出発を待つ夜の滑走路

表題のとおりだと、航空機を食べるのか、なにか特別サービスを受けたのか、ということだが、残念ながらそんなことではない。第一飛行機をかじっても美味しいはずがない。そんなに歯も丈夫でない。

今回の世界旅行で、利用したのは、ユナイテッド、ルフトハンザ、コンチネンタ
ル、ANA、その他ローカル航空だったが、料理が美味しかったのは、なんといっ
ても、関空からイスタンブールへ向けた、トルコ航空だった。その次はやはりANAか。

がらがらの座席

サービスしてくれるコックさん

関空から夜便で経ったのだが、閑散としていた。セキュリテイチェックも比較的
簡便。ビンラディン殺害でも影響はないのかとちょっぴり不安。ビジネスはガラ
ガラ、埋まっていたのは30席くらいのうち、僅か5席のみ。


アペタイザーのお寿司(私のとったもの)
(家内の取ったもの)

まず出てきた、アペタイザーは、特大握り寿司。画面ではよく分からないが通常
の3倍はあろうかというネタに度肝を抜かれる。コック姿のおじさんがサービス
してくれる。大皿一杯に盛った中から、イクラ、マグロ、サーモンを頂く。家内
はあなごとイクラのみ。


エビのオードブル プリプリだ

メインのサーモンとアスパラ

デザートとチーズ これでも一杯やれた

オードブルの茹でエビも大振りなものが5匹ほど。メインはサーモン、ベイクド
トマト、アスパラガス、サフランライスとこれまたたっぷりの量。スープも美味
しかったし、酒は白ワインとハイボールを頂いた。出来合いをチンした機内食と
いう感じがせず、皆美味しい。コックさんが盛り付けをしてくれるのだろうか。

コックにカメラを向けると、男女のアテンダントを呼び、皆でとろうとサービス
精神満点だ。日本語も堪能な人が多い。ここのオーディオも音響がよく、タワー
レコードの試聴用ヘッドホンと同じ音質で気持ちが良い。


サービス満点のスタッフの面々

夜中に起こされ、大きなパック片手に、ケーキはどうかと起こされる。うっかり
頼むとこれまた特大のやつが来る。ブロイラーまっしぐらなので丁寧にお断りす
る。
すっかりリラックスして旅は始まり、イスタンブールへ着いた。よい旅になりそうな予感がする。

無事トルコに着いた


マチュピチュへ(3)ワイナピチュ登山

2011-08-05 08:31:30 | 行ってきました

ワイナピチュ山

世界遺産のマチュピチュの代表的な紹介写真のバックに必ず出ている険しい山が
ワイナピチュ山(若い山)です。

昨日はマチュピチュの遺跡を満喫し、本日は背後にそびえるワイナピチュ山へ登
る日だ。遠くからこの山の山肌や、登山道を見ていると、果たして体力の衰えて
きた今、ちゃんと登れるのかといささか不安になる。ガイドのオスカル氏は標高
差300mほど、往復2時間ほどだと安心させてくれる。


遺跡を通りぬけ登山口へ

登山口は聖なる岩の裏にある。ここも10名ほどの列。ここの登山は一日200人
(400人?)程に制限されている。目の前の崖にへばりつくような道に人が見え
る。登山許可証を示し、入山時間を記入されスタート。

はじめは少し下り、いよいよ石段が始まる。小さなトンネルを潜り登りが始まる。
鋼鉄のワイヤーロープが張ってあり安心。絶壁に石段が刻まれている。遠くから
見たよりは足下は確かだ。喘ぎ喘ぎ登る。ぐんぐん高度を稼ぐ。


左側の斜面が登山道

山肌にくっきり映る山影

上から見る遺跡

30分ほどで小休止。後25分という表示に救われたような気分になるが、石段はま
すます厳しくなり、ほとんど鉄ロープが張られている。テラス状の草の上でまた
休憩し、頂上直下にある2つの小さなトンネルを潜る。途中で追い抜かれた横浜
の一人旅の若者や、もう降ってきた一番乗りのおばさん集団など、下の遺跡より
日本人の割合が多いような気がする。


急な道が続く登山道

ヤッター頂上だ

石段が途切れ、自然石が積み重なった所が頂上。360度の展望だ。絶景、絶景。ここはインカの見張り台として利用されていたという。それにふさわしい見晴らしだ。
最後のトンネル入り口でめまいを感じ、テラスの上で足が竦み、いささか不安だっ
ただけに、正直嬉しい。ガイドがバンザイした写真をとってくれる。


下りのほうが急に感じる

頂上直下にもこんな遺跡が

頂上から、6800mの真っ白なアンデスの峰が顔を出している。横浜の若者と話を
し、登ってきた道とは違うインカ道を下る。一人通れるだけの細い急な階段だ。
下りのほうが多少楽だが、足が張ってくる。
それでも往復2時間15分で登山口に到着。体力が落ちたものだとつくづく。
まあ、想像したより整備された道で、無事登山できたことに感謝。


最高の世界遺産に別れを告げる

もう一度、遺跡をめぐって、色々な神殿、や門に別れを告げ、バスでホテルへ戻っ
た。昼食後、また街を少し歩き、汽車に乗ってクスコへ。満足した一日だった。

マチュピチュへ(2)

2011-08-04 11:31:12 | 行ってきました

7/14(木)曇 ロッジで気持ちよく目覚める。
庭に出てみるとリャマが三頭、草を食む。観光客へのサービスと除草の一石二鳥
だろう。前の通りにはトレッキングに出かける人が、ポーターとともに、隊列を
組み、なにやらポーター頭が、大声で指揮しながら取り過ぎてゆく。

空は曇り、峰々の頂き付近は雲が掛かる。勿論遠いアンデスは見えない。
簡単なバッフェの朝食を済ませ、出発。300mほど先の駅へ。我々より上の街
から来る人が多い。


ビスタカー

物売りのおばさんたち

線路の中へも物売りのおばさんたちが入ってくる。押し付けがましくないのが不
思議だ。ホームの売店に「茶」と日本語の看板が架かっている。

ジーゼルの列車。ほぼ定刻通り(8:29分発→8:31分)ビスタカーの座席
はA-5,6、進行方向に向かう席、谷側。オスカル氏は山側。向かい側にスペイン
語の男女が座り、楽しそうになにか話している。



車窓から

途中で、「英語を話すか」「名前を日本語で書いてくれ」と言われ、ノートをち
ぎって渡す。ベト(男)と、アリアドナ(女)をひらがなで書いて渡すと不思議
そうに見る。ついでにカタカナも書き加える。喜んだので、漢字の当て字でも書
いてやろうかと思ったが、やり過ぎなので自制した。こんな事でとても喜んでく
れた。


インカ道を行くトレッキング

列車は川沿いを走りマチュピチュ駅へ。途中子供達車窓近くに立つ。食べ物やお
菓子を投げて与える人がいるので、それが目当てなのだそうだ。貧しい国(終戦
直後の日本みたい)を感じた。民家の密集している街、マチュピチュへ到着。

昔はアグアスカリエンテス(熱い水の意)といったそうだ。昨年行ったメキシコ
の甥っ子が赴任していた街と同じ名前だ。毎日外国人がこの街に2000人泊ま
る。100%観光で成り立っている街だそうだ。標高2000m。



入場を待つ人の列

カメラが電池切れとなり、カメラ無しでマチュピチュへ。残念である。
マチュピチュ迄バスで8km、発見者の名をとったハイラン・ビンガム・ロードを2
400m迄上がる。続々とバスがつづれ折りの道をすすむ。

ここは、ワイナピチュ(若い山)、マチュピチュ(古い山)、プードグーシイ
(楽しい山)に囲まれたまさに天空の都だ。入り口に門があり、行列ができている。入場券とパスポートを提示して入場。
無事入場して、まず見張り小屋の近くへ登る。そこから全体を俯瞰する。圧巻である。ガイドブックにある通りの景色が目の前に広がる。石組みの遺跡の間にある緑が目に眩しい。
ポンペイとここが違う。
透明な空気の中に広がる、整然とした石造りの遺跡を眺めると、古代の息吹が聞
こえて来るようだ。


マチュピチュの全景

そもそもの、この都市の意味はなにか。諸説がある。
パチャクテイ王の別荘、ビジネス(交易)中心地、UFO飛来説、神殿、など。
家屋数200,推定住人600人。どうしてこんな険しいところに大集落ができ
ているのだろうか。謎である。

ガイドが案内してくれた幾つかの遺跡を紹介しよう。
太陽の神殿、水汲み場:三つの窓がある、遺跡の中では珍しい曲線を持つ遺跡。
それぞれの窓は夏至、冬至、春分/秋分の日に朝日が差し込む。となりは水汲み
場、或いは沐浴場。神殿に上がる人が身を清めたところ。現在も水を流している。


聖なる広場

3つの窓の神殿 前はチャカナを捩った石

主神殿

聖なる広場:3つの窓の神殿、主神殿、神官の部屋(館)に囲まれた広場。主神
殿は未完成。三つの窓の神殿の前部には3つの階段状の石が置かれている。イン
カの世界観では、未来(天)、現在(地)、過去(地下)の3つの世界からなり、
それぞれをコンドル、ピューマ、蛇が代表する。その3つを現す三段の階段状の
石がある。

インティワタナ(日時計):一枚岩を削って作った日時計。パワーストーンとし
て多くの人が手をかざしている。そのかたわらにはワイナピチュ山のミニュチュ
アみたいな岩がある。神官控えの間、儀式に参加する高位の人々の控えの間。2
4角の岩組み。

遺跡の中をめぐる通路

野ウサギのいる繁み

水鏡の間

コンドルの神殿

インティワタナへの道

メイン広場にはリャマが放し飼いになっている。20頭いるそうだ。聖なる岩
(後ろのヤナンティン山と同じ形の岩)、野ウサギのいる広場を経て、水鏡(ア
メリカ学者は石臼だという)の間へ。ここはもともと天井がない。
そしてコンドルの神殿へ。地面の頭部分と後ろの縦岩の翼部分が見事に造形され
ている。翼の上の小さな部屋の両側に小さな穴が開けられているが、アメリカ学
者はここを牢獄だという。しかしミイラが発見されていること、コンドルの翼の
上にあること、から、天の世界に旅立つための部屋ではないかという説もある。

サンクチュアリロッジで昼食。このホテルはマチュピチュ見学には絶好のロケー
ションだ。入場門の前に一軒だけあるホテル。大変な数の人が出入りしている。


復元された倉庫

二階建ての家、職人たちの家、庶民の広場、穀物倉庫などを見学して、帰途につ
く。ホテルに帰りマチュピチュの街歩き。温泉、マッサージ屋、おみやげ屋、レ
ストランなどをひやかして歩き、下のアルマス広場へ。


アルマス広場

祭りの準備進む教会前

教会内部


マチュピチュの街

温泉町の繁華街といった風情だ。ちょっと早いが、インカ・ワシという郷土料理
店で夕食をとる。一日歩いたので、ビールが旨い。昨日は高山病を警戒して、酒
を謹んでいたせいもあるのか。ペルーではアボガドのサラダが美味しい。帰りに
記念のTシャツを買ってホテルへ。


インカ・ワシ店頭

観光の町だけあって、清掃は行き届いている

マチュピチュへ(1)

2011-08-03 11:11:41 | 行ってきました

飛行機から見たアンデスの山


クスコの街

7/13(水) リマからクスコへ 今回の旅のメーンエベントとも言うべきマチュピチュへの道をご案内します。地球の裏側で、今は冬。乾期です。といえ亜熱帯、気候は爽やかとても過ごしやすい時期でした。

午前中クスコ国際空港着。人口40万の都会、7/28建国記念日を迎えるのでメイン
の通りにペルー国旗、クスコ旗が飾ってある。

ガイド・オスカル氏 この仕事がやりたくて日本に留学したなかなか勉強家だ。
ガイド仲間の顔でもある。


峠で土産物を売るおばさん となりのリマも写真を撮る商売道具

クスコ郊外の「聖なる谷」を峠、ピサク村を経て、3800mあるインカの遺跡
へ。山肌の道に、関所みたいな料金所があった。「めまいをするほどの高さ」というが、
実際にすこし歩くとめまいを感じる。軽い高山病か。早くも石造りの遺跡が姿を
現す。
深呼吸をし、水をこまめに補給。ゆっくりあるく。それでも軽いめまい。切り立っ
た崖の道は、怖さが先に立つ。こんなことでは明後日のワイナピチュの登り降りは大丈夫
だろうか?とちょっぴり不安になる。


インカ道スタート。この辺りは2mの幅がある

復元されたインカ遺跡 棚田が整備されている

遠くに門が見える

遥か下にピサク村が見える 赤い花はカントゥータ

山肌に刻まれたインカ道を、往復2kmくらい歩く。見張り台、禊の水場、墓所、石の門、積み
上げられた石の壁、洞窟をくぐり、絶壁の上の展望台へ。足がすくむほどの高さ
だ。この道をさらに行くと、ピサク村迄インカ道をたどるトレッキングコースと
なり、外人の一団がガイドに率いられて進んでゆく。


石の階段 インカ道は階段が多い

遥か上に続く道。展望台が見える

我々はここから引き返す。道端にカントゥータというペルーの国の花が咲いてい
る。ハチドリ(国鳥)が花の中に嘴を入れ蜜を吸うのだという。いずれもペルー
を代表するものだ。


原色が映えるペルーのお土産 物産市


聖なる谷の焼畑農業の煙

ウルバンバ川

軽く高度順応?を終えて、ピサ久村へ降りる。麓にテントの土産物村があるが、何
も買うものがなく、土地の人になんだか申し訳ない。聖なる谷を流れるウルバン
バ川の畔を一路オリャンタイタンボ村へ。両側日干しレンガの塀の道を、押し合
いへし合い進み、途中でレストランで昼食をとる。小奇麗なテントでバッフェの
昼食。


ガイドのオスカル氏
バッフェ料理、デザートもある

ピスコ 神への感謝は忘れずに頂いた

ここの土地の飲み物(ピスコ:ぶどうの搾り滓を発行させたもの)の飲み方をオ
スカルから聞いた。はじめの二三滴は地上に潤し、残りを我々が頂く。神への感謝を表すのだ。


瀟洒なパカリタンポ/ホテル

オリャイタイタンボ(兵士たちの宿舎の意)のホテルは可愛い、コテージ風の処。
35年前に行った、カナディアンロッキーのジャスパーで泊まった豪華コテージ
を思い出す。名前はパカリタンポ。庭には花が咲き乱れている。

昼ごはんが遅かったので、お腹が空かない。アルマス広場まで散歩する。広場ま
で1kmくらい。子供たちが遊び。旅人が憩う。民族衣装を着た人が帰宅の途に
ついている。一日の仕事を終えてきたのだろう。貧しいけど穏やかな国だ。ネパー
ルの田舎とよく似ている。


夕日に照らされる山 中腹にも頂上にも遺跡が

夕暮れの迫った街をそぞろ歩いて帰り、一眠りして食堂棟へ。コテージごとのラ
イトアップも美しい、暖炉のある談話室も落ち着いたこざっぱりしたホテルだ。


屋根の上のお守り牛 スペイン侵攻前はピューマだったという。 シーサーみたいだ。


アルマス広場の子供たち

一日のお勤めお疲れ様

民族衣装の人たち

客を待つオートバイ三輪タクシー

料理は美味しそうだったが、食欲が出ず、半分以上残してしまった。

明日はいよいよこの旅行のメーンエベント、マチャピチュだ。楽しみである。

ギリシャでデモに出くわす

2011-08-01 13:38:08 | 行ってきました


ギリシャではデモにあった。
アテネ空港でタクシーに乗って、ホテルの名前を告げると何やらぶつぶつと運転
手が言っている。

地下鉄、シンタグマ(ホテルのある地名)、ストライキ、など断片的な単語が発
せられる。何やら途中の地下鉄入口で降ろされ、「これ以上は行けない、ココか
ら5つ目の駅で降りろ、インフォメーションで訊け」とスーツケースを降ろされ
る。40ユーロ払う。地下鉄の乗り方も分からないのに、と不安になりながら、エスカレーターで下っ
て切符の自販機の前で躊躇していたら、若い人が「何処へ行くか?」と尋ねてくれ、
「シンタグマ」というと、1.4ユーロのところを示し、ここへ金を入れろ、と指示。あとはボ
タンを押してくれ、乗り口の刻印機の通り方も別の人が教えてくれる。ギリシャ
人はなかなか親切だ。無事通過。こんな事ならば、空港から地下鉄で来れば、1/
10で来れたのに。


何故か国旗売の屋台が出ている

議事堂前のスローガン幕

シンタグマの駅で降りたが、スーツケースが重い。そういえば空港では27kg
の表示が出ていたっけ。駅の内部でデモ隊が気勢をあげていた。ふうふう言って
地上に出たら、そこがデモの集合場所になっていて、人人人。屋台や、国旗売人
も出ていて結構のんびりしている。道路は歩行者天国になっているが、人はあま
りいない。交通規制がされていて、タクシーが入れないので運転手が地下鉄駅でおろしたのだろう。

土曜日のSO開会式の夜も、帰りに国会議事堂の裏手を通ったら、10時過ぎとい
うのに、警官の輸送車が詰めていた。こんな遅くまで、デモの警戒とはどんな事
なのだろう。


時間が来れば旗を巻いて解散だ

遺跡の前のデモ隊 どことなくのんびりしている

デモはデモ。私たちは私達、といった風情

そのあと、6/28日もシンタグマ駅付近はデモ隊が一杯。地下鉄もストライキでストップ。
美術館も公務員ストで閉館。小さな路地のあちこちで警官が詰めていた。
昼に入った中華料理屋の近所には機動隊と思しき、1m80以上の大男の隊員が
たむろしている。時々ここへトイレを借りに来るのがご愛嬌。メインの道路では
デモ隊の声が聞こえる。12じになったら、旗を巻いて、三々五々解散を始めた。
次は夕方に再開するのだという。その割には路地で、老人はサイコロ将棋に興じ
ている。ホテルに戻ると表通りはシャッターが下りていた。先ほど催涙弾が投げ
られ、知らずにその煙を吸った人が、涙を出している。

こんな状況では、公務員が勤労者の6割を占めるこの国の再生は難しいように思
う。デモに参加している人も市民にも、もう少しひたむきさがあっても良いので
は・・・。