秋山先生の傘寿を祝う茶会が、津市の中央公民館茶室で開催されました。
この祝賀茶会は、やよい会の社中が企画し前日から会場に入り準備をしました。
10時の席入りで茶会が始まり、寄り付きで主菓子をいただきました。
▲ 濃茶席のお点前は山本さんが担当しました。
▲ 薄茶席は川西さんのお点前
茶会終了後は、隣接する津都ホテルの浜千鳥で昼食会。
花束と記念品が秋山先生に送られました。
いつも元気いっぱいの秋山先生。
「いつまでもお元気でいらしてください」と社中全員が願っています。
秋山先生の傘寿を祝う茶会が、津市の中央公民館茶室で開催されました。
この祝賀茶会は、やよい会の社中が企画し前日から会場に入り準備をしました。
10時の席入りで茶会が始まり、寄り付きで主菓子をいただきました。
▲ 濃茶席のお点前は山本さんが担当しました。
▲ 薄茶席は川西さんのお点前
茶会終了後は、隣接する津都ホテルの浜千鳥で昼食会。
花束と記念品が秋山先生に送られました。
いつも元気いっぱいの秋山先生。
「いつまでもお元気でいらしてください」と社中全員が願っています。
動物の柄がワンポイント刺繍されたお洒落な半衿です。
今、一番の人気はネコ。このネコ柄は3配色で、2タイプのネコ柄があります。
▲ 犬も3配色。鳥も2柄で3配色あります。
何れもお値段は2800円。刺繍の周りにスワロフスキーが配置されています。
▲ この光ストーンタイプは3800円
▲ 8:50 宇賀渓手前の駐車場を出発
11日(月)いなべ市の宇賀渓から竜ヶ岳に登りました。
まず宇賀渓観光案内所で環境保全協力金200円を支払い、登山計画書を
提出します。この日は往路が金山尾根コース、復路は遠足尾根コースを
選びました。
前回の2011年10月の登山の時には、遠足尾根から登り、石槫峠を通って
表道で下山しました。
▲ 前回はなかった名水「龍の雫」
▲ 遠足尾根コースとの分岐を過ぎると川を渡ります
▲ 9:24 魚止滝
▲ 9:53 竜ヶ岳が見えたのは歩き始めて1時間
▲ 馬酔木(あせび)
馬が葉を食べると毒にあたり酔ったようにふらつく木であることから
この名前が付いたとされます。
▲ 10:37 竜ヶ岳山頂がはっきりと見えます
尾根に出ると風が強く冷たく感じました。
▲ 11:07 治田峠 ここから山頂までは15分ほど
▲ 山頂へは笹を割って一直線に登ります
▲ 11:21 竜ヶ岳登頂
山頂は強風のため体感温度もかなり低く、写真撮影をして水も飲まずに
すぐに下山。
しばらく下って風がさえぎられるところで昼食をとりました。
▲ 下山路の遠足尾根
▲ 大牛が横たわるような鈴鹿最高峰の御池岳(1247m)
▲ 切れ立った藤原岳(1140m)
▲ 13:07 下山
晴天で雲はなかったので見晴らしは良かったのですが、一時は台風並みの
風が吹く荒れた山行でした。
休憩時間の少ない4時間ちょっとの山旅です。
江戸染繍の最高峰と称される大羊居(たいようきょ)と西陣織の名門
龍村美術織物の競演です。
染と織の東西の名門は、それぞれ個性豊かで独創的な作風が
共通しますが、その相性たるや他の追随を許さない格別のものです。
【大羊居のはじまり】
江戸時代、老中田沼意次の治世下の安永年間に大黒屋幸吉が呉服
太物業を創業しました。屋号は「大幸」。これが現在の「大羊居」に
つながる遠祖です。また、手広く幕府の御用を承っていた両国の河村
仁兵衛の長男彦兵衛が大幸の養子となり「大彦」を名乗ります。
明治21年、日本橋橘町の大彦・野口彦兵衛に長男が誕生。これが野口
功造。現在の大羊居の作風を作り上げた、染織界の巨匠です。功造は
初め京都の呉服商・大橋で修業をし、後に生家・大彦に戻り、そして
大羊居を創業します。
【龍村美術織物】
明治9年、初代龍村平蔵は大阪の両替商の長男に生まれましたが
16才の時に家業が破たんし、手に職をつけるべく織物の世界に
身を投じます。もともと芸術的感性に恵まれていた平蔵は、織物を
美的な対象として捉え、その組織の面白さに魅せられ、次々と
新組織を創案しました。
平蔵をモデルとした宮尾登美子の小説「錦」には、その生涯が詳しく
描かれています。
4月6日(水)は市内の小学校で入学式があり、校庭の桜も満開で新入生親子を
歓迎している様子でした。
津市の中心部にある津城址公園の桜も満開となりカメラを構えた花見客で
賑わっていました。
しかし、7日(木)は朝から雨だったためこの桜も散りはじめていることでしょう。