HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

未来に咲く☆

2005年06月30日 | インディーズ
これは6/28のChairのラストライブの時に発表された新曲です。ラストに新曲・・・複雑だけど、でもとってもうれしかったです。さらに、それをCDにして会場の人たちに配ってくれて、どんな高価なものも太刀打ちできないプレゼントだと私は思いました。泣けるほどうれしかったです。その曲のタイトルが『未来に咲く』。このラストライブのタイトルでもありました。綴られた言葉も1つ1つがあたたかく私の中に溶けていきます。静かに流れ、やがて力強くたたみかけるような旋律は心を焦がします。

Chairの曲はすべてボーカルギターの山口さんが作ってます。彼の書く歌はまるで小説のようで、よくこれだけ言葉を紡げるものだといつも思っていました。絶対に他の人にはまねのできない言葉の織物。そして、メロディはいつも優しさに溢れて、人の心の悲しみも洗い流してくれそうなそんな音が連なります。彼のすごいなと思うところはいろんなタイプのメロディを作り出すことです。だからマンネリ化しないのです。同じ作曲家だとつい似た感じになりがちなのに、彼の生み出す曲はいつも新鮮さがあります。きっとそれは彼自身も気付かなかった持って生まれた才能なのでしょう。

星の数ほどいるバンド・・・その中で実は才能をほんとうに持っている人なんて一握りです。私にはそんな一握りの中に彼はいてもおかしくないと人だと思っています。だから、次のステップが本当はすごく楽しみなんです。

技術なんて努力すればどうにか取得できるでしょう。容姿なんて音楽にはあまり関係ないし、いい音楽を生み出す人は自然といい顔になってきます。もちろん、山口さんはもともと素敵な方ですけどね。

でも、大事なのは人や自然や命あるものを愛おしいと思える、優しい心がその作り手にあるかどうかということだと思うのです。それがなくて、かっこつけた音楽をやったとしても、結局は伝わらないのではないでしょうか?心の冷たい人が作る音楽はどこかよそよそしく不安を与えるけど、心のあたたかい人が作る音楽はいつも寄り添って、自分を支えてくれる気がします。

私はかつて小学生の塾の国語の先生をしていたことがあるのですが、音楽弟子Aが書いた作文を見てくれともってきたことがあります。好きな漢字というテーマでした。彼女が選んだのは『咲く』で、そこで私は意味を初めて知りました。

『咲く』という漢字には「笑う」という意味があるそうです。

未来に笑顔の花がいっぱい咲きますように・・・

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Chair☆

2005年06月29日 | インディーズ
京都VOXHALLは階段教室のような客席で、ステージが底にある。だから、私は底に近い場所でステージを見るのはどちらかというとあまり好きではない。なんか上から見下ろされている感じがするからだ。でも、昨日はその苦手な底に近い場所に陣取って三脚を立て、カメラを設置した。かなり目立つ。おそらく、嫌味な人たちは「好きだなあ~」と見下ろしながら嘲笑していたかもしれない。でも、構わない。私は自分の意志を貫く。そこが撮影するのにはベストな場所だとすでに確認済みだから。一番上から撮影すればいいとしたり顔でいう人もいるだろう。ふつうのビデオカメラならそうかもしれない。でも、私のカメラはレンズが45度ぐらい上向きで、ふつうにセットすれば天井しか写らない。だから、相当お辞儀をさせる感じでカメラを下向きにセットしなければならない。すると階段席の人や柵やらが邪魔をしてくる。それでは話にならない。

どんな客がいて、どんな風にステージを見ているかはまったくわからない。でも、私はChairのその卒業式を心を込めて撮影することにすべてを集中させた。彼らと初めて出会った頃やその後のいろいろな事を早送りで頭の中で再生させながら・・・。

彼らの卒業式を送りだすのに現れた3つのバンド。かりんかれん、Velvet Mellow、フォギー・メランコリック。特に後者の2組がChairに語りかけるように送る言葉はほんとうにあたたかく、社交辞令なんて言葉は存在しえない愛ある言葉だった。語る彼ら自身がふと胸を詰まらせているのではないかと思われるほど静かにそれは私の心に染み渡った。それぞれのボーカルがマイクスタンドに結びつける花。それぞれ赤い花と白い花を一輪。Chairには花が似合う。それは決して少女マンガのようなお飾りの花ではない。人の心を癒す、風や雨を知っている花だ。

私はChairのステージのセッティングが始まる頃から、膝がなぜかガクガク震え始めた。ずっとイスに座っているのに。後ろを向くともう人がぎっしりと立っていた。私の後ろにもいて、彼らはメンバーの同級生のようだった。そのガクガクが悟られないようにするのに苦労した。でも、なぜに震えるのか?なぜにこんなに緊張するのか?こんなことはそうある事ではない。貴重なこのステージを最高な表情をうまくカメラに納められるかという不安からか?どうにか自分の気をそらそうとあれやこれやと考えてみた。でも、やっぱりだめだ。私がこんなになって、おかしいよ。と言い聞かせる。

やがて、彼らの曲のメドレーがオープニングを飾り、彼らがステージに登場した。実は何をやるかは聞いてないが、曲とMCの回数はあらかじめ教えてもらっていた。というのもカメラのメディアのメモリーの関係で途中で変えなければならないから、そのタイミングを考えるためだ。いろいろ考えて、256MBを2回、そして512MBを最後に使うということにした。あと心配なのはバッテリーだった。いい映像で撮れば撮るほど、ズームとかすればするほど、消費率が高くなる。果たして最後まで持つか・・・

彼らの曲が始まる。3曲をまずやってくれた。無事一枚目のメディアでクリア。MCになり、急いで入れ替える。でも、なぜか入れ替えた後に三脚になかなかカメラが固定しない。なぜ?いつもならスムーズなのに。焦る。しかし、なぜかそれをステージから見てくれてたかのようにMCを伸ばしてくれている。で、無事セット完了。また曲が始まる。次は4曲。それもうまく収まる。そして、またMC。メディアをチェンジ。しかしまた、セットがうまくいかない。でもMCでやはり救われた。そしてラスト3曲。最後の曲は名曲「残された花」。その時バッテリーランプが出てきた。お願い。あと少し、がんばって。祈る。神様。最後まで撮らせて・・・。まるでウルトラマンの胸の赤いランプのように点滅し続ける。だけど、神様は微笑んだ。最後まで撮れた。大好きな曲を・・・

ステージからはまぶしくて客席はあまり見えないそうだ。でも、きっとカメラの赤い撮影ランプは点滅していたから、場所はわかっていたのかな?ときどきカメラの方を見てくれる。「はい、只今1番カメラです」ってTVとかの音楽番組では何台ものカメラが合図するように、私はひとり「はい、こちら見て下さい」って心で言う。なんか涙でゆがみかけた。

これほど愛を込めて撮影できたことは驚くべきことだ。もちろん、まだ編集してないし、果たしてちゃんと撮れているのかもまだ未確認だ。でも、その時は最高な気持ちだった。心には確かに最高な映像で残っている。

Chairの数々の曲は私の宝箱に大事にしまっておこう。もちろん、何度もこれからも聴くだろう。まっすぐな心がまっすぐに届いた本当に一生忘れない解散ライブだった。ありがとう。
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独り言

2005年06月27日 | 音楽・映画・本
ある意味、卒業式なのかもしれない。そこが終焉ではなく、そこからまた新たな世界に昇っていく。明日はそういう日なのかもしれない。始まりがあれば終わりがある。でも終わりがあるから始まりがある。生きてさえいれば、終わりは案外いいことなのかもしれない。だって、新しい何かがまた始まるんだから。新鮮な何かが・・・。今まで、終わりが好きではなかった私に終わりの意味を教えてくれた君に感謝するね。人生のendではなく、to be continuedはいかなる展開を見せてくれるのか・・・明日その予告編がほんの少しは見えるのかな?まっすぐな心で終わりの幕を下ろしたら、またまっすぐな心で君の何かが幕開けするだろう。その幕開けをいつまででも気長に待っているからね。
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タイプライター

2005年06月25日 | 音楽・映画・本
最近はパソコンがあるし、ちょっと前まではワープロが出回っていたから、タイプライターなんて何?って感じの人が多いだろうね。それに日本ではあまり使わないからね。だって英文なんだもの。

私の家には昔タイプライターがあった。イタリアのオリベッティ社のものだ。その会社、タイプライター業界ではナンバーワンだったんだよ(笑)。古い映画とか見たりすると、新聞社なんかの記者がよくタイプライターを打っているシーンがある。手っ取り早いところで『ローマの休日』なんかでも出てきているから、きっと見たことがあると思うよ。キーを押すと、判子のようにパタンとアルファベットが紙に打ち込まれていく。だから、打っている時はかなりうるさい。パチパチパチガシャ・・・ガシャっていうのは次の段に改行する時に用紙を送り上げる音。どうしても指によって力の入り方が違って、小指で打つ、AとかLとかが薄くなったりする。昔、映画をまねして、よくタイプを打ったものだ。そのお陰でローマ字打ちなら早く打てる。ゆえにパソコン時代の今は会社とかでも役に立っている。こうしてブログをたらたら書いてはいるけど、案外打つのは早い。だいたい毎日時間に追われて生きている私にはほんと自由に使える時間が少ない。合間を見て、書くのだけど、書きはじめると早いので、それほど時間がとられない。でも、そこまでして、書く必要があるのか?と最近思うこともある。でも、書かずにはおられない何かが自分の中であって、きっとこうして言葉を出していかないと、言葉に潰されてしまう恐怖があるのかもしれない。ミュージシャンが音を出し続けるように・・・。どうも私の中には言葉の生産工場があるようで、安物の言葉を大量生産してしまっているようだ。それを世に出すのははばかれるので、なるべく選んではいるのだけど、たまにくだらない言葉も混ざってしまう(ってほとんど?笑)ゆえに、わざわざ読んで下さる方には最初に謝っておきます。ごめんなさい。
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音楽

2005年06月25日 | インディーズ
かつてある人に書いたことがある。音楽って決して掴めないものって。表れた瞬間に消えてしまう。そう、音楽を聴くというのは音の余韻を辿っているだけなんだね。だから過って余韻すら見つけられなかったら、そこで音楽は終わり、何もそこには存在しない。

絵は描いたものが残るけど、音楽はどんなにがんばったって、目に見える形でその場に残すことはできない。もちろんCDでは残せるのかもしれない。でもそれはただのドーナッツ型円盤で、果たしてそこに音楽はあるのかな(笑)CDをセットして、スピーカーから音が流れる。いい曲だな~って思う。でもやがて終わりがくる。その時、果たしてそこに音楽があったって君は証明できますか?もしかしたら、自分の妄想だったのかもしれない。そのCDの中に曲が入っていると暗示にかけられていたのかもしれない。

ライブに行く。そこでステージを見て、音楽を生で聴く。そして家に帰る。果たして彼らは本当にいたのか?本当に音楽を演奏していたのか?それをちゃんと証明できる?そんな時、きまぐれにふとCDなんかにサインなんかをもらったりしているとその字を見て「あっ、確かに彼らはいて、こうして書いてくれた」と安心する。サインを結構今まで軽視していた私だけど、今になってその意味がわかった気がした。とりあえず、私の好きになったバンドの人はこの世に実在することはそのサインで証明される。サインが生命の証になるなんてね(笑)もちろん、たまにサインを他人にもらってきてもらう人がいるけど、これでは意味がない。そこで自分がもらわないと・・・。

まあ、サイン・コサイン・タンジェント(笑)ってな話をするつもりではなかったけど、たまに音楽のことを考えると眠れなくなることがある。特に愛しい音楽と出会った時に・・・。抱きしめたくても決して抱きしめられない音楽にせつない思いを抱く時に・・・。今日もこうして余韻を辿って追いかけて、この鼓動を波打たせ、音楽の切なさを身をもって感じるのだろう。
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ミュージックステーション

2005年06月24日 | 音楽・映画・本
今夜のミュージックステーションはゲストがなかなかすごかった。といっても別にDEF TECHのファンではない。彼らの音楽を新しいと思うのは20代ぐらいまでの人だろう。それ以上で新しいと思う人は若い頃はほとんど音楽を聴いてないか、アイドルの追っ掛けだったに違い無い(笑)それほど、音楽好きならよく聴いたパターンだから。だからふつうに聴ける。嫌いではないけど、普通だ。当たり前にあった音楽だったから・・・。もちろん私はレゲエが好きだったからかも知れないけど。バックストリートボーイズも出ていた。海外のアイドルコーラスグループだから、日本にもかなりファンがいる。私は彼らがすごく好きというわけではないけど、歌は上手いと思うし、『ミレニアム』というアルバムは持っている。そのアルバムを買ったのには理由がある。当時テレビでやっていた「彼女たちの時代」という深津えりが主演のドラマの挿入歌がこのアルバムからの曲すべてだったからだ。このドラマがなぜか好きだった。特にOL役の女優(中山美穂の実の妹の・・・名前忘れた)の役柄が身にしみて、せつなかった。オープニングはジュディマリのユキちゃんがボーカルで佐久間氏が作ったユニットNINAの曲で、それも好きだったからCDを持っている。ゆえにバックスの曲を聴くとそのドラマを思い出す。

それにしてもミスターチルドレンの曲はやっぱりいいな~。でもどうしてもI LOVE YOUが彼の子どもに対する言葉のように思えてならない。というかすべてのこの世界の子どもたちに言っているように聞こえる。今の殺伐とした世の中の殺伐とした子どもたちに・・・

コウダさんも相変わらず、目のやり場に困るようなセクシー衣装だったな~。あの黒髪でボブヘアーでTシャツにジーパンの彼女の面影はもはやなかったな~。でも、ほんとに歌は上手い。いい歌い手だと思うし、ダンスも上手いな~。

スキマスイッチの曲も心に響いたな~。「雨待ち風」っていう言葉がいい。すごくその感覚がわかる気がする。

今日はいい雰囲気のMステだった。

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大切にしてたもの

2005年06月23日 | JET KELLY
JET KELLYの真田さんの大切にしてたものというところの写真に一眼レフカメラが写っていた。これって・・・私が大学出て最初に勤めた会社のカメラだ・・・かなりうれしかった。しかも去年潰してしまうまで、私自身がとても大切にしていた一眼レフの兄弟カメラだ(笑)真田さんもカメラをやっていたのかな?別にそれがどう?ってことになるけど、妙な接点がうれしい時もある。今日のように残業でくたくたな日は・・・

いつもうるさい私が苦手な人が「大丈夫?ちゃんと担当の人にいわなくちゃ。こきつかわれるわよ」という。
私「大丈夫です。ちゃんと言ってますから」といいつつ心の中で「気をつかわなければならないのは、担当者ではなくあなたにですから・・・ざんねん!」とつぶやき、ふと笑えてきた。そんな一日だった・・・しかし、疲れた~。
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パイロットフィッシュ

2005年06月23日 | 音楽・映画・本
これは大崎善生の小説。たまたま時間つぶしにふらっと書店に入って、何となくタイトルとか帯に書かれている文に惹かれて買った本だ。といっても、もう随分前に読んだのだけど、心に残る小説だった。ピュアな心ってこんなものなのかな~って。

この小説は「人は、一度巡りあった人と二度と別れることはできない」というのが根底にあり、忘れてしまっているかのように思えていることがある時ふと記憶の湖の底からふわりと浮かんで来ることがあると語る。そして、その時まで忘れていた痛みやときめきが再び自分に訪れる時、人はどう対処するのか・・・

あるメジャーバンドの人が日記に「忘れていた記憶が最近どっと思い出される」というようなことを書いていた。懐かしい学生時代の思い出を交えながら。きっとこの一年、ものすごく気を張り詰めて、精神的にかなり疲れていたんだね。日記とか最近の彼の書いたものによく登場するのが優しい瞳。きっと笑っているのに目は少しも笑っていない、そういう人と仕事の上で接してきたんだね。メジャーの世界はそういうものでもあるのかな。でも、会った時の君の瞳はまだそんな世界に全く濁らされていない透明でとっても暖かい穏やかな瞳だったよ。君の大ファンの男の子に対して、すごく優しく接してくれて、その子は君のようなミュージシャンになりたいって思ったみたいだ。でも、無理にかっこなんてつけなくてもいいと思うな。君の音楽がすべてを語るから。ほんとにダイヤモンドみたいな音楽だから。自然にそのままでいいと思う。今はメンバーが一人減って大変な時なんだろう。でも、たとえこれからいっしょに音楽をしなくても、一度そこにいた人はすでにそこにあるべき音楽に溶け込んでしまっているわけで、永久にいっしょなんだって思うんだけど、どうなんだろう?3人でやるのか、新たにメンバーを加えるのかわからないけど、ずっと応援していきたいなって思っている。君は次の曲でまたどんなストーリーを展開させてくれるのかな?それがすごく待ち遠しいな。
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イノセントワールド

2005年06月21日 | 音楽・映画・本
このタイトルが付くもので2つ好きなものがある。1つはミスター・チルドレンの曲「イノセントワールド」・・・この歌詞の中に「6月の雨」という言葉がある。きっと今ごろの季節に作られた曲なんだろうね。だからか、今の季節、特に雨上がりなんかに聴くとなんかフィットする。そう雨が止んで、まだ沈むには時間がある5時頃の太陽の陽射しがビル街のガラス窓に反射し、まるで宝箱を開けた時のような黄金色の光を町に溢れさせる時・・・この曲がさわやかに心に流れる。私の場合、京都の四条烏丸の交差点や京都駅前でこの光景が思い出される。これをもし東京で見てくれている人がいたら、それはどこなのだろう?福岡で見てくれている人はどこの街角をイメージするんだろう?大阪の人は?・・・ってなんだか急に今思った(笑)

もう1つは映画『イノセントワールド』。これはある意味衝撃的な映画ではあるんだろうけど、私にはとっても静かな映画に思えた。竹内結子と安藤政信主演の映画だ。これは人の息遣いだったり、風の音だったり、水の音だったりが、すごく透明感をもって聴こえて来る映画だった。いわゆる試験管ベイビーのアミと父親違いの知能障害を持つ兄のある意味自分探しの旅の物語。静寂という言葉が似合う映画だったように記憶している。そして風・・・風・・・風・・・海鳴り。私の好きな音・・・。ここを見てくださっている方の中には一人で風の音や海の音(波の音)を聴いたことがある人もいると思う。もちろん私は何度もある。あのひとときはすごく不思議な時だ。自分の存在が溶けてしまうような・・・でも自然にすべてを委ねているような心地よさ・・・他の人はどういうふうなんだろう?
そんな印象のこの映画・・・淡々とでも心静かに見ていた。でも、最後の最後のある瞬間に胸をつかまれ、涙がびっくりするくらい溢れた。その瞬間が今でも忘れられない。なんであんなに涙がでたんだろう?

この映画の原作は桜井亜美の「イノセントワールド」。実は本は読んで無い。また読むつもりだ。そういえば、ミスチルの方も桜井さんだね(笑)

機会があればこの映画見てください。
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はがき

2005年06月21日 | 音楽・映画・本
最近、はがきなんて年賀状か暑中見舞いぐらいしかうれしいものは来ない。でも、昨日は久しぶりにちょっとうれしいはがきが来た。といっても、誰かからのたよりというのではない。でも、うれしかった。それは何か・・・そう最近妙に話題にしていた元SIAM SHADEの栄喜こと現在はACIDというバンドで未来(ひできと読む)として活動している彼のソロ活動始動のお知らせのはがきだ。商業的に考えると元ファンに送られるものなのかもしれない。でも、解散以来、彼にファンレターを送ることもなく、ACIDのライブに行くわけでもなく、HPに訪問するわけでもなく、「どうしてるのかな~」って時々思う、いまだにSIAM SHADEをひきずっている私にもこのはがきが届いたのがなんかうれしかった。彼はちゃんと昔のファンのこともいまだに思ってくれているそんな気がしたから。解散したら、それっきりで、前のバンドのファンはそこでリセットしてしまう人もいるからね。たとえ解散して、いろいろあったとしても、「僕はここにいるよ。また会いに来てね」って感じでなんらかのメッセージを送り届けられると安心できるんだよね。ファンというものは・・・たとえ次のバンドや音楽を好きになれなかったとしても、好きになった昔のファンのままでずっといていいんだという安心感を得れるというのかな。

写真の雰囲気はかなり変わった・・・前のパンクで恐いお兄ちゃん風ではなくなったような。プロデューサーがグレイとかジュディマリを送りだした佐久間氏だとは・・・なんかイメージと一致しないけど、どんな音楽になるのかな?レコーディングメンバーにドラムは元ボウイの高橋さん、ベースは黒夢の人時さん、でギターは佐久間さん・・・ますますよくわからない組み合わせだけど、人時さんのベースはいい感じかも。

8月までまだまだだけど、どんな曲なのかすごく楽しみだし、ソロライブがあれば行ってみたいな~。
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