HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

親愛なる bye-bye circus様

2014年06月29日 | bye-bye circus
拝啓

皆様お元気ですか?
この手紙というか言葉は目に見えぬポストに投函される予定のもので
誰かに届くとかそういうのもおかまい無しで
今の自分の気持ちを素直に綴りたいだけであることをまずお許しください。

気がつけばまた1年近く、bye-bye circusのライブに行けてません。
で、ドラムの航さんが正式加入して直後ぐらいのライブを見てから
もう一年もたったんだと思うと、その間のチームとしての
bye-bye circusを見れてない私はある意味新参ファンと同じようなものかなと。

ゆえにたとえ真田氏のことはもう10年近く知っていたとしても
それを机の引き出しにそっとしまって、まっさらな気持ちで
このバンドと出会ったと考えたら、私はどういう印象を持つのだろうかと
最近考えていました。

そんな時に4月から3ヶ月の間、bayFMにて日曜日の深夜1時すぎから
「ラジナバル」という番組をbye-bye circusが担当し、それを聴ける
チャンスが巡って来ました。

正直、日曜の深夜1時はきついです。朝5時半に毎日起きる身には
3時間ぐらいしか眠れないわけですから。
でも、自慢ではないですが、皆勤で聴いてました。
その番組も明日でラストとなり、とても寂しくもあり
その寝不足に解放されるという自由感もなきにしもあらずです。

ただ、そんな深夜ではない枠でbye-bye circusの番組を
続けて欲しいというのは切なる願いでもあります。

まだ手に入れることができてない
「生きて生きて生きまくれ」や
「TOKYO RIVER」も何度も聴けたことは
やっぱりラジオの力であるからです。

遠い場所にある歌をこの耳元に届けてくれる。
遠い場所にいる人の声をすぐそばで聴かせてくれる。

今、ここに

そう、今ここへ

歌を声を届けてくれるラジオはやっぱり素晴しいです。

今では遠く、遠くアメリカにいるのと
宇宙にいるのと変わらないぐらいの感覚の場所にいる
真田氏の声がiPhoneのラジオから流れて、
その距離を縮めて身近に感じさせてくれるのも
その力です。

そんな私はbye-bye circusがバンドとして
もっともっと世に知られて、曲が聴かれることを
切に願っています。

が、私は心優しいファンにはなれず
ついつい嫌なことも言ってしまいます。

いい事だけを言ってあげればいいのに
今迄の人生経験から
人はやはり、褒める方ががんばれるんだというのを
実感しています。褒めすぎるとだめになるという人も
いますが、8割がた褒めた方がよくなります。

それがわかりながらも、ついついbye-bye circusには
いろいろ言いたくなってしまって、
それは好きだからこそなのですが、
誤解も招くこともあります。

私のいけないところは
よく対バンについてもの申すところです。

関東の方の対バンは結構いい感じなのに
どうして、関西での対バンはいつも
あのバンドとかあのアーティストとかとなるのかと
文句を言ってみたり、

ラジオで航くんが一生懸命なのは十分承知なのに
「イェイ」というのが疲れるとか

そういうのを言ってみたりするわけです。

で、他の優しいファンの方たちは
決して私のような事は言われません。

むしろ「航くん、がんばって!」と
優しく応援されるわけです。

私は深夜眠る方の人間ですが、
深夜に仕事されている方もいるわけで
その方たちにとってはその「イェイ」が
元気の源になるやもしれません。

それが好みか好みでないかは
人それぞれなわけです。

でも、私は勝手に自分サイドで考えて
それでbye-bye circusがそんなバンドと思われるのが
いやだとかなんとか言ってました。

そうしたら、真田氏はこう考えていらっしゃいました。

それでもいいし、その「イェイ」なドラマーがいるバンドで
いいと。「イェイ」なバンドと思われてもいいと。

あぁ、真田さんだなって思いました。

彼は昔からそうだった気がします。

JET KELLYの時代も
Tokyo Dropの時代も
Jet Lily Starの時代も
UESAの時代も

いつもメンバーのすべてを受けとめて、受け入れる人だったなと。
もちろん、よく怒ったりしてましたが、それでもそれは愛情あるもので
長所短所をすべてひっくるめてその人を大事に思うところが
彼の器のでかさだと思います。

怒るけれど悪口は言わない。
それが彼です。

私がbye-bye circusに求めるものは私の中の理想であって
あなたたちの理想ではないことはよくわかっています。

ただ、真田さんの作る音楽をずっと愛し続けてきた私は
音楽的に高い評価をしてくれる人たちにいっぱい
届いてほしいといつも願っているのです。

コミックキャラクターやノリのいい感じや
変なキャラやかっこいい感じなんかは
二の次で、とにかくその音を
メンバー全員透明人間になってもらってもいいから
その曲を
「yes」の歌詞のように

あなたこそがすばらしいとスピーカーは叫ぶよ!

っていうようにこの世界中のスピーカーとそこから
流れる曲を聞く人を振るわせてほしいのです。

4人で鳴らす音がスピーカーと人を泣かせてほしいのです。

「なんて素晴しいんだ!」って

ただ、ただそれだけをいつも願っています。

だから「イェイ」は本当は聞く側の私にはいりません。
でも、それで柴田くんが彼の心の「息継ぎ」が
できるのならそれはそれで大事なことだし
きっと真田さんはそういうメンバーのそれぞれの
息継ぎ方法をわかっていらっしゃるのだなと
感じました。

ご自身ももちろんそれはあるでしょうし。

それを見つけてあげるのが他のメンバーの
役割でもありますよね。

きっといつも自分のことはひとりで闘う真田氏だから。

みんな気がついて、彼にも息継ぎさせてあげてくださいね。

これからも、私はいい人にはなりきれずに
やっぱりあの対バン嫌だとか
「イェイ」が疲れるとか
ふなっしーだとか(でも、ふなっしーは好きです!彼もロックンローラーだし
インディーズ魂をもっているアーティストだから!)
言うでしょう。

でも、それはすべて愛ゆえですので
許して下さいね。

では長々と失礼しました。







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the HIATUS at KYOTO MUSE 「Keeper Of The Flame Tour 2014」

2014年06月15日 | 細美武士/the HIATUS
2014年6月3日(火)晴れ一時雨

5,6回は先行抽選でチケット落選。
もう、なんで京都出身の私がチケットとれないのかと
悲しくて悲しくて仕方がありませんでした。
しかも私にとっていろいろな出会いのあったライブハウスの
京都MUSEでのライブに行けないなんてひどいと嘆いていました。
もちろん一般発売の日も瞬時にソールドアウト。
茫然とするしかありませんでした。

それから数日経って、何がどうして私をそうさせたのか
わかりませんが、なぜかe+でハイエイタスを検索していました。

するとどうでしょう!京都MUSEのところに発売中の文字が
慌てて見るとどうやらキャンセル分を発売しているのです。
すぐに買いました。その整理番号は結構真ん中ぐらいだったので
これはよく見える場所なんじゃないかと思いつつ、激しいモッシュとかには
耐えられる年齢をもう超えているので後ろで見ようかと思いつつも
京都MUSEに行けることに本当に神様に感謝でした。

もう、私のためにチケットがこうしてキャンセルされたのじゃないかと
思う程でした。しかもその時に見てなかったら手に入れられなかったかと
思うと危機一髪でもありました。
どうやら少なかったようでそのあと見たらすぐにソールドアウトに
なっていたからです。

こうして、願いが叶って、正当なチケット購入で
ハイエイタスのライブを地元京都MUSEで見ることができたのです。

平日にライブはなかなか行けません。でも、その日はライブに
合わせてくれたかのように会議等がありませんでした。
時間休もとらせてもらいました。すべてがそろっていました。

ハイエイタスをこの規模のライブハウスで見るのは初めてで、
エルレの時にここよりは大きい京都磔磔でライブを見て以来の
400人規模のライブハウスで細美さんが見れて本当に幸せでした。

この京都MUSEのスタッフさんは第一印象がすごくよくて
もう10年ぐらい前かにAUDIO RULEZというバンドを観にきた時に
ライブ終了後にメンバーとお話する機会があった時に、とても
親切にしていただいたし、ここでライブするUESAの
ライブ映像をスタッフとして撮影する時にもお世話になりました。
他にもインディーズのいろいろなバンドの撮影をさせていただいた
思い出深い場所であり、現bye-bye circusの真田さんと
最初に出会ったのもここですし、FoZZtoneもここで見ました。

だからこそ、どうしてもここで大好きな細美さんが歌うのを
見たかったし、ここで聴きたかったのです。

それが実現して私は夢を見ているようでした。

物販の販売が先にあって、それで並んでいたら、
ウエノさんとマサと一葉さんが外から帰ってきたのか
中に入るのを見ました。何人かは細美さんやカシクラさんも
見たそうです。うらやましい気もしつつ
ライブで生で見れるのだからとそんなに残念な気はしませんでした。
おしゃべりできたのならうらやましかったかもしれませんが。

最近思うのはそういうチャンスもいつかどこかで来るんじゃないかと
それは神様がここぞというところでセッティングしてくれるんじゃないかと。


というのもあんなに大好きだったのに遠くの存在だった
SIAM SHADEの栄喜さんと最近になって出会って握手してもらって
お話ができたわけですから。

私が大好きだというのはいわゆる恋愛感情ではなくて
こんな素晴しい音楽を作ってくれて、それで自分の日々を
潤わしてくれる人であり、自分の人生において
欠かせない存在という事なのです。
細美さんも今では私の生きる上でなくてはならない存在であり
彼がいない人生は考えられない感じなのです。

もちろん、リアルな自分の生活があって
家族があって、そこは大事なものであるのは変わりないのですが
細美さんの音楽が精神的に自分がまいってしまって
誰にも頼ってはいけないときに、救命道具のように
私に「生きろ!」って手をさしのべてくれるのです。

いわゆる水中にもぐる時に必要な酸素ボンベ的存在なのです。
素でももぐれるけれど、息が苦しくなって溺れそうになった時に
助けてくれる存在なのです。


さて、前置きが長すぎでここで読むのをやめてしまった方もいるでしょう。
ここは私の個人的な戯言のブログなので許してくださいね。

会場に入って、最初は後ろで見ようかと思っていましたが、
前方がまだ空いていたのでやっぱり前に行ってしまいました。
ステージの感じはある意味シンプルで
ライブハウスのライブっていうエルレを思い出す感じでした。
こんな感じでハイエイタスを見れるなんてと彼らが出て来るまで
ほんとドキドキしました。

そして、彼らが出て来た時、こんなに近いんだと汗まで見える感じに
「今ここにいる」その命を感じました。

細美さんは終始笑顔でした。
今回はMCが結構多くて、いろんな話をしてくれました。
なんか過去を振り返る余裕が細美さんにできてきたんだなって
かつてエルレですっごく彼のことを心配していた時期があったのですが
(あくまで私が勝手にですが)今の彼を見たら、そういう時期は
もう超えたんだと思えて来ました。

彼が千葉の友達と久しぶりに会って昔の写真を見せてもらったら
一枚も笑っている写真がなかったという話。

その友達に昔はお前は笑わない男で有名だったと言われて
自分でそうだったんだと思ったそう。

でも今はこうしてライブハウスではいつも笑っていられて
それはメンバーや会場のみんながいるからですというような
話をしてくれました。

私も細美さんの笑顔があるから明日からがんばれるのですよ。

そう心で叫びました。

九州から車で京都まで来る途中であった出来事。

細美さんは本当はこんなこと言いたくなかったそうです。が、そこで
むかついてたんだけれど、京都に着いて、ホテルで駐車する時に
車が駐車場に大きくて入らないかも知れないという時に、そこの
従業員さんが一生懸命、消火栓のところに上ったりしながら
車が無事入るように見てくれたのに感動して、そのむかつきが
一気にとれたという話をしてくれました。

京都はいいところだ、といいつつ、あ、みんながいい人って
わけではないけれど、って過去の京都でむかついた話も
してくれました。

それは一人で先に京都入りした時に夜のタクシーで
東寺のライトアップがあまりにきれいで
少年のような気持ちで「きれいですね。このお寺はなんというのですか?」
とたずねたら、運転手に「そこに書いてあるやろ。」みたいに言われて
すごくむかついて後ろから座席をけりまくって
「お客さんやめてください。」と言われた話もしてくれました。

その様子がなんか浮かんでくすっとなりました。

関係ないけれど、もし私がポリスでたまたまスピード違反できっぷ切った相手が
細美さんだったら、心で「なんで、細美さんなんだ。よりによって、ついてない
自分。大好きなのに嫌われる。仕事とはいえ、なんで私がこういう立場になるんだよ。」
ってその日は憂鬱になるだろうな。ってふと思いました。

さて、京都のバンドではロットンとか10-FEETとか仲がいいっていう話になって
京都大作戦も呼ばれたらまた出るって話と、最近細美さんはボクシングやってて
ストレートだったかカウンターだったかうるおぼえだけれど、そのパンチの
ことが頭いっぱいになっていた時に、酔っぱらった勢いでそこにいた10-FEETの
なおきにパンチを食らわせて、そのときなおきは「どうしたんですか。細美さん。」
って痛いのをガマンして言ったそうです。それで現実にもどり、あとで謝り、次の日もまた電話して謝ったら
なおきは「え、そんなことありました?覚えてないです。」って言ったそうです。
絶対に覚えているはずなのになんていいやつなんだと思ったと話してくれました。

このなおきさんはまだ今ほど10-FEETがでかくなかった時代、フェスもやってなかった時代に
知り合いがバイトで働いていた京都の小川珈琲で彼も働いていて、当時「東京にいく」と言ってやめたと
その子が言ったのが忘れられなくて、その彼をフェスで見た時は本当に感動しました。

Takumaさんとは音博のときにいっしょに写真を撮ってもらって、10-FEETは大好きな地元バンドのひとつです。

細美さんは大分へ行く時のフェリーの話もしてくれました。
フェリーのお風呂に入ると、フェリーが波で傾いたら
湯船も傾くのでお湯に溺れそうになったり、反対に
体が見えちゃったりするそうですね。
その時にまだインディーズでライブハウスでも
ライブできない時代のことを思い出したそうです。
ストリートで全国を回ってた時、ほとんどは1枚は
CDを買ってくれる人がいて、たとえば商店街のお店の
おじさんとかもそんなひとりだったそうです。
でも、ある日一枚も売れない日があって
そんな日に乗ったフェリーのお風呂の中で
「CD1枚を買ってもらえる重みを忘れない」と
誓ったそうで、それを改めて今回のフェリーで
思ったそうです。

聴き手側である私もいつも思っています。
CD1枚に込められたアーティストの思いや努力や大変さや
喜びや愛情を大事にしようと。
実際、ブックオフとかで並んでいるCDたちは悲しそうに
見えます。だから私はブックオフには廃盤になっていて
手に入れられないものを探すため以外は滅多にいきません。
いつもCDを買うからには一生大事にすると思って買います。

だから、家はCDだらけですが(笑)
でもすべて愛してます。

TOSHI-LOWさんから作業用のブーツをもらったり
メンバーからアクセサリーもらったことに触れ
こういうのが自分をすごく支えてくれるという話から
自分がミーちゃんとい呼ばれるのが結構好きだという話になり
それはアスパラガスの忍さんだったかに初めて会ったばっかしなのに
「ミーちゃん」って自然に言われて、それ以来そう言われているそう。
その時に細美さんはなんか違う自分と出会った気になったそう。

去年の年末に名古屋でそのアスパラガスとハイエイタスをいっしょに
見れたのは本当によかったし、あの忍さんの雰囲気で言われると
なにかに包まれる温かさがあるな~って。

今回のライブはKeeperのツアーだったのでアルバムの曲がもちろんメインなのですが、
以前の曲もたくさんやってくれたので、本当に充実していました。

このアルバムで私が一番好きなSomething Ever Afterが始まってすぐに
細美さんが出だしを間違えたって珍しくストップしました。

こんなこと初めてらしいです。
きっとそこでお話をするっていう目に見えない何かがやってきたのでしょうね。

だからか、その仕切り直しの前にSomething Ever Afterができた経緯を
語ってくれました。

ボランティアで知り合った東北の方が夜寝れないと
ときどきメールしてきたりするのだけれど、
その彼の苦しみやそんな様子から生まれた曲だということです。

その話をして、「そいつは奥さんを失ったんだ」と言ったときに
言葉を詰まらせた細美さん。彼の目は赤くなっていました。

私もそのひとことですごく胸の奥が苦しくなりました。

その痛みがこの歌を通して伝わってきて
この歌は心を強く揺らすのだとわかりました。

震災前は細美さんはそれまで休みがあれば海外にでかけたけれど
震災後は日本にいようって思ったんですって。
もう大丈夫と思える日までいようと思っていたんだけれど
自分の枠が最近小さくなり始めたので、まだぜんぜん大丈夫じゃないけれど
また海外に行ってこようと思うというような話もされました。

私は細美さんの海外でのできごとを聞くのが大好きなので
またそんな旅の話を聞きたいなと思いました。

京都でのライブ。なんか楽しいって、声の調子もいいって
言ってくれてすごくうれしかったです。

ツアーの中の一日ではなくて、今日は特別な一日なんだと
感じられたって。

人生はタフ。でも何かひとつだけ頑張れるものがあるはず。
それを大人になってもずっと忘れずにいたらどうにか
生きて行ける。

そこからHorse Ridingを歌ってくれました。

京都に来て、賀茂川を走っているときに
トラッシュのTシャツを着ているやつがいて
その頃からずっとどうなるかわかんない俺たちを
みてくれたんだな。5年間もって
話してくれたんだけれど、私もそして他のファンの人たちも
最初からそしてこれからもずっと細美さんの歌をそして
ハイエイタスを見て行くと思います。

この日強く感じたのは、本当にファンの人はみんな
ハイエイタスそして細美武士というアーティストが
大好きで、大好きで、泣けるほど大好きなんだということ。

震災後、じゃあなをメンバーや友達とわかれる時に心をこめて
しっかり言うようにしている。また明日って言って、会えないことが
あるから。でも、また会いにきます。

って言ってくれた細美さんに私はまた必ず会いに行きます。

この日3回ほど涙をぐっと押さえていた細美さん。
それを見て泣いていたファンや私。

彼をこんなにも好きなのは
彼が正直な心をいつもさらけ出してくれる人だからなのかも
しれません。いいことも悪い事も。

彼がマイクだけを持って歌うことがすごく多くなって
楽しそうに、パントマイムを演じているかのように
体を動かし、手を動かして歌う姿が、とっても素敵で
まるで魔法をかけられたかのように会場のファンたちも
体を揺らして、踊ります。
ジャンプもどれだけしたことか。自分がこんなにも
飛べるのかっていうほどに。

こんなに楽しくて、幸せを感じるライブに行く事ができて
自分が生きている今に感謝しました。

今に感謝する。

細美さんのライブはいつもそれを思い出させてくれます。

「keeper of the flame」という言葉。

火守りの人というような意味なのかしら。

私はこのライブの日に改めて思いました。

まさに細美さんがその「keeper of the flame」だと。

どんなにつらくても、彼の歌があれば
消えかけそうな心の火もまたパチパチと音をたてて
勢いを取り戻そうとしていく気がします。

みんなの心の火が消えてしまわないように
彼はみんなを見守っているって感じます。

そして、彼の心にもずっと火がパチパチと
燃え続けて行くように
こちら側(ファン側)も「keepers of his flame」で
あり続けたいと願っています。

素敵な京都の夜でした。



P.S. 2度目のアンコールにshimmerをもってきたのはなぜなのでしょう?
好きな曲なのだけれど、アンコールでは意外な気がしました。
この曲に込められた細美さんの思い。これは東北へと繋がっているのでしょうね。
そして、その場所にいたみんなの心にまたひとつの種が蒔かれたような気もしました。
まだまだ、これからなんだという。化学に汚染されていないきれいな世界を
取り戻すには、それぞれが動かなくっちゃという。




<セットリスト>(見せてもらったリストより)

Roller Coaster Ride Memories
Deerhounds
Storm Racers
Something Ever After
Horse Riding
Superblock
Silver Birch
The Flare
Monkeys
Thirst
Unhurt
Tales Of Sorrow Street
Lone Train Running
Sunset Off The Coastline
Burn To Shine
Insomnia
紺碧の夜に
EC1)
ベテルギウスの灯
Waiting For The Sun
EC2)
Shimmer

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