HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

The Afterglow Tour 2012 by the HIATUS at 大阪オリックス劇場

2012年11月25日 | 細美武士/the HIATUS
2012年11月21日(水)晴

年に5回だけ午後から気兼ねなく有休をとれる日がある。
そんな5/365日にこの日を合わせてくれた音楽の神様に感謝だ。
私は堂々と午後からの休暇をとって堂々と大阪に向かうことができた。

そして生まれて初めて同じツアー中に2回ライブを見れるチャンスが
巡って来たんだ。

先日の名古屋は二人で行ったけれど
この大阪は私一人。しかたがない、この休みが取れるのは私だけだから。

ほんと何年ぶりか十数年ぶりの元厚生年金会館。
公園は昔のままだった。ただ厚生年金会館はなんか分断されたのか
一部だけがオリックス劇場になり残りはなんか他の敷地のようになっていた。

昔ここに私はSIAM SHADEを何度か見に来た。
もっと前は劇団四季のミュージカルを。
もっと昔の子どものころはクラシック音楽を。

で、新しくなったオリックス劇場でthe HIATUSのライブを見た。

そのライブのステージはある意味ミュージカルの舞台のようでもあり
クラシックのステージのようでもあり
ロックのステージでもあって
昔見たいろいろなステージがこの日のthe HIATUSへ至るまでの
伏線のようにすら感じた。


早めに行って、この前はできなかったガチャポンをやった。
どんなものが入っているか知りたかっただけなんだけど。
入っていたのはバッチ類だったけれど、たまに当たりもあるんだね。

さて、私の席は結構いいところだった。
一階であったけれど、そんなに前方ではない。
でもとても見やすい席だった。

この日は橋本累さんも撮影に来ていて
彼の姿をあちこちで見かけた。
あの水玉模様のストラップのカメラを構えて
いろいろ撮られていた。写したのを一度ご自分で
確認とかされていて、それを後ろからちらっと
見てたり(笑)

私が見ている風景と近いものがどこかの雑誌に
載るといいな~。

名古屋は2階席からだったのでステージを全体的に見れて、床の様子から
配置から見れて、それはたとえるなら昔の絵巻物とかにあった
吹抜屋台(ふきぬきやたい)」という描法のようでもあり
鳥瞰図(ちょうかんず)のようでもあった。

一方で大阪の方はややステージよりは上ではあったけれど
それほどの違いはないので後ろの方のドラムセットの様子や
管弦楽のメンバーの全部の様子とかは横から見る感じで
床の柄やパーカッションの場所の様子とかをはっきりと
見ることはできなかった。あとドラムセットの前にあった
透明なつい立てというかしきりにいろいろ反射して
それがまた不思議な感じになっていた。
名古屋のときはそれが上からなのであまり目につかなかった。

このしきりはドラムの振動とかと管弦楽の演奏とのなんか
関係でされているのかな?詳しいことはわからないけれど
先日テレビでミスチルが出てたときにやはり弦楽器とドラムとの
間にこのしきりがあったから。

さて、客層を見てたら、もちろん若者がたくさんいるのだけれど
スーツ姿の人も結構いて、会社帰りに来たんだろうなっていう
人たちもいっぱいいた。会場のスタッフもスーツ姿だったので
スタッフかなと思ったらファンだったり。でも仕事終わりに
ライブに来ようって思うだけでもうれしい。私も
そうなんだけれど、どんなに仕事が大変でも音楽を聴きたいっていう
気持ちを永久に失いたくないなって。


この日細美くんが
「俺たちも年とって、おまえらも年とっていっても
年齢とかどんな仕事をしているとかそんなこと
まったく何にも関係ないから。ここではすべてを
忘れて音楽を楽しんで笑顔になってくれればいい。」
っていうようなことを言ってくれたんだ。

ここでは笑顔の人もそのドアを出たら
また上司の顔したり、店長の顔したり
しんどいことがいっぱい待っているだろうけれど
この中にいるときはそんなこと忘れて楽しもうって
そんな風に言ってくれたときに
私はこういう居場所が自分にはあってよかったって
本当に思ったし、今の自分の年齢もいやじゃないなって
思った。

自分がしんどいときも周りの人が笑顔だと
自分も元気づけられるけれど
こんな風に笑顔がいっぱい見れるこの仕事を
これからもやらせてくれよねっていうような
ことを彼が言った時には

あなたの笑顔が見るためにここに来るんだよ!って
心で言った。

あなたの笑顔こそ心の栄養になるんだって。

笑顔の力を本当に教えてくれたのはまさに細美武士という人なんだから。

それまで本当のところ信用してなかったんだ。笑顔の力って。

今は信じてるけれど。

セットリストはまだ書けないし
知る人はどこかで知るだろうけれど

これだけは言わせてね。

べテルギウスの灯をやったときの間奏で

「3年間ありがとう」って細美くんが言ったのは
きっと堀江さんに向かってだったんだと思うんだ。

堀江さんがもうこのツアーが終わったらいないのかと
思うとこの大阪でのライブが私にとっては堀江さんがいる
the HIATUSのラストなんだなってなんかものすご~く
寂しくなった。

去年の京都のボロフェスタでは私の目の前に彼がいたんだよ。手を伸ばせば触れるぐらい。
その堀江さんを今度はどこで見るんだろうな。

さて、大阪でのステージはまた名古屋とはちがった。
当たり前だよね。ライブは生き物だもの。
その日でぜんぜん違うはず。

でも今までツアー中は一カ所しか見たことなかったから
他と比べる(って言い方はわるいけれど)ことはなかった。
その見たライブがすべてだった。
だけど、今回は2つのライブを見たから初めて
この感覚を味わったんだ。

どちらにもそれぞれの良さがあって
どっちが素晴らしいとは言えないと
思うし、一度しか行かなかった人には
その行ったライブが何より最高のはず。

名古屋も大阪もどちらも素晴らしかったのには変わりはなかった。
でもやっぱりあの名古屋の空気感や細美くんの感情やらが
特別に思えた。あの日、彼はいつもの下ネタは言わなかったよね。
とてつもない大きな感情の渦がセンチュリーホールを包み込んで
みんなが心を揺らしていた感じ。あの渦は大阪ではなかった。

もしかしたら、ナオちゃんが来ていたからかもしれない。
特別なお客様を迎えていたからかもしれない。
下ネタはナオちゃんは言ってたけれどね。

一方で大阪では下ネタオンパレードだった。
いつもの細美くんに戻っている感じだった。

誰かにブスとかもいつものように言ってた。

オリックス劇場始まって以来のAVで使われる専門用語(笑)
を何度も発して、なんてファンだって言われようぜみたいな
ことも言ってた。

どうしてかわかんないけれど細美くんが言うと
いやらしく思えないんだ。なんでだろうね。
なんかある意味それが彼の仮面のような感じなのかな。
彼が自分を隠そうとするときの武器のような気もするんだ。

彼が面目な人なのはわかるよね。って生きることに対してね。

あと私は1階席だったので3階とかの急斜面ぶりは
わかんなかったけれど、かなり怖い感じらしくて
細美くんが「そんな怖い思いをさせてごめんね。」
って3階の人に話しかけていた。
これってすごいよね。ホールで3階の人たちと
いつものライブハウスのように話すって。
彼はどんな空間も居心地のいいライブハウスに変えちゃうんだ。

ファンは最初ホールだからちゃんと座ってみていた。
おそらくすでにいろんな場所を体験している人たちは
立っていいことを知っているんだけれど
みんなちゃんと細美くんが「立ちたければ立ったっていいんだよ。」
って言うのを待ってから立つんだ。そういうところが
ファン側の素敵なところだと思う。自分勝手な感じが
今回は感じられなかった。ファンサイドの方も。

マサが会場を見渡して「まるでエヴァンゲリオンみたいだ。」と
言ったら細美くんはチャットモンチーのあっこに
「エヴァンゲリオンを観た事ないって言ってすごく怒られた。」って
話になった。細美くんは観てない世代だったんだね。まあ私もだけれど。
で、あとで観るっていう方(笑)
堀江さんに関しては「何、それ食べ物?」ってきいてましたが(笑)

で、細美くんが一階席のきっと彼から見て中央部にいる男の子に
君がシンジね。って言ったんだ。
そこで誰かが何かを言ったのか聞こえなかったけれど
細美くんが「シンジじゃだめなの?」って言った。
でも、おれはシンジだ。みんなを敵にしようが。って
あとで言ったんだ。

これがなんかわかる気がした。
彼がシンジを押す感じ。
だめだめ人間的シンジを押す感じ。

あくまでこれは私の主観的発想だけれど
シンジが聴いているバンドがあるならELLEGARDENじゃないかと。

人のせいにして
いろいろと逃げて
でも本当はそういう自分がいやなんだ。
でもどうにかしたいとも思っている。
そんな時、おれも同じだから大丈夫だって言ってくれる
音楽がELLEGARDENだったなって。

実のところthe HIATUSもその血筋は流れているんだよね。
だから大人になってしまったファンたちも
いまだにまだ頼ってこの場所(ライブ)にやってくるんだ。

まだまだダメ人間な私のような人の逃げ場所なんだよね。

今回はいつものメンバーの他に管弦楽のメンバーやコーラスに
坂本美雨さんが加わってたけれど、まずチェロの青弦さんが
本当にすばらしかった。ロックのリズムなのに狂わないところ。
ほんとうに弦楽器ならではの難しいところを見事にロックに
合わせて演奏されていた。

美雨さんをジェイミーのかわりに選んだのはほんとよかったと思った。
日本の数いる女性シンガーの中で彼女を選んだのは偶然ではなく必然だったんだろうね。
彼女ほどthe HIATUSという集団にぴったりくる女性シンガーは日本では他に
いなかったと思っている。声の美しさ、英語の発音の確かさ。不思議な感じ。
こうして細美くんはそのお母様の矢野顕子さんともお父様の教授ともそして娘さんとも
すべて共演されたんだね。

私は細美くんが今に世界の細美となると信じてる。
アメリカのマイケル・ジャクソンやボブ・ディラン
イギリスのビートルズやクイーン
というように今に
日本の細美武士、the HIATUSと
言われる日が来るって信じてる。

だって彼は言ったもの
これだけ音楽で笑顔をみることができるんだから
笑顔がいっぱいなら世界を変えることもできるんじゃないかと
思うんだって。

それは世界中の人たちのところに音楽を届けて
そしてその笑顔を増やして行く事なんだと思うから
彼は世界に行かなくちゃ行けないと私は思うんだ。


日本でまだthe HIATUSを聴いてない人がいたら
それはビートルズを聴かずして一生を終えるぐらい残念だと思える。


セットリストや曲それぞれについてはまたツアーが終わったら
改めて書こうと思ってる。

感情だけで綴った文を読んでくださった方
どうもありがとうございました。








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The Afterglow Tour 2012 by the HIATUS at 名古屋センチュリーホール

2012年11月20日 | 細美武士/the HIATUS
2012年11月18日(日)晴

この日は本当に本当に他の日と違った。
今まで生きて来た結構な長さの人生において
これほど「人生」というものを感じるライブは
あっただろうかと思えた日だった。

まだツアー中なのでセットリストとか
ステージの雰囲気とかは書かないけれど
(終わったらまた改めて書くつもりですが)
この名古屋でしかなかったことについて書こうと思う。

まず、私のライブ人生において自分の住んでいるところから
特急を使わないと行けないような遠方でのライブに行くことは
今まで一度もなかった。ふつうのきっぷで行ける
せいぜい大阪までだった。

なのに今回なぜ名古屋まで行く事ができたのか!

実は私にはかなり長い年月いっしょにいる人がいて
その人は私にとってはとても大事な人なんだ。
その人はクラシック畑の人で声楽科卒業の人で
出会った頃は「モーツアルトがすべて」のような人だった。

ところが、私が細美武士という人と出会い、
ELLEGARDENの音楽を聴くようになり
それをある日その彼が聴くと
彼に何かが降りて来たかのようにエルレそして細美氏の
ファンになったんだ。

モーツアルトから細美武士へと彼は愛すべきアーティストを
チェンジしたんだ。

それからthe HIATUSになってもその気持ちは変わることなく
むしろクラシックをやっていた人間だからますます
the HIATUSの素晴らしさに日々感動し続けていた。

毎日エルレやthe HIATUSの曲をピアノで弾きそして歌い
一時は多くの人に聴かせていた。

残念ながら今は仕事が変わり、そのようなことは
なかなかできなくなってしまった。
しかも平日にライブなど行けなくなってしまった。

だけど、彼はどうしてもこの管弦楽と融合する
the Afterglow Tourのライブを見たかったんだ。

そこで私に日曜にあるところを探してと頼み
そしてなんとか日帰りで行ける名古屋のチケットを
取った。

こうして私は彼と名古屋で生まれて初めてライブを
見たんだ。


そのライブで細美くんがへんなこと言っていい?
って言ってこんなことを言ったんだ。
もちろん記憶の断片なので少し違っているけれど
こんなことだ。

「子どものときはさ。なんでも信じられるかんじだったけれど
大人になったら何かすごくわかんない気持ちになっても
それはただの偶然だと思うだけなんだよね。
でも、今日のこのなんだかわかんない気持ちは運命だと信じられる。
この場所にこうして今日来るためにみんなは生まれて来て
俺もメンバーもスタッフもこうしてここに来て
この日をいっしょに過ごすということは運命だったんだって。
集まってくれてありがとう。」

私は泣けました。
ほんとそうだとこの時は思いました。
私と彼がなぜここに来たのかも
みんながなぜここに来たのかも
一瀬くんの代わりになぜマキシマム・ザ・ホルモンのナオちゃんが来たのかも

みんなみんなこの日に集まることは最初から生まれ落ちたその日から
決まってたんだよ。

年齢は様々で私たちなんかかなり上のほうだけれど
それでも決まってたんだ。


名古屋センチュリーホールはこの日the HIATUSのメンバースタッフ全てと
ナオちゃんと会場のすべての人たちが集まるためにだけ本当は作られたんだよと
細美くんが言った言葉をこの日は信じられた。他の人たちがなんといおうとね。
明日からセンチュリーホールはエピローグになっても
その本編であった昨日のライブは永遠に語り継がれる名作になった。

また彼はこんなことも言った。
「生きて行く上で大事にしないといけないもの。そのひとつは友達。
いや友達につきるかな。俺はおまえらのことも仲間だと思っているからな。
そしてこんな風にこうして集まってるおまえらを見ていると
変わらないというこの世界も変えられると思うんだ。みんなで変えていこうぜ!」

the HIATUSのステージセットは今は語る事はできなけれど
素晴らしいものだった。きっと他のバンドとかがやると
「俺たちはこんなに素晴らしいんだ。」となんか押し付けられそうな
ところだけれど、the HIATUSにおいては一切そういうことがない。
みじんも無い。

彼らがどれほど純粋に音楽を愛し、音楽を聴く人を愛し、
音楽を奏でる人を愛しているかだけわかるステージだった。

ステージセットはそれをはっきり見せてくれる影のような役割すら
担っていた気がする。

まっすぐだ。
とことんまっすぐだ。
メンバーすべてがそうだ。
管弦楽のメンバーもそうだ。
女性ボーカルで参加していた坂本美雨さんもそうだ。
助っ人のナオちゃんもそうだ。

ナオちゃんが登場したときに会場があのホルモンポーズを
彼女がとったときに、即座に対応してやったのをみて
「おお!」って驚いてたけれど、
当たり前なんだよ。ナオちゃん!
だってホルモンのメンバーは細美くんにとっては
いつも仲間だもの。で、私たちも細美くんが仲間だって
言ってくれるから、ナオちゃんとも仲間なんだよ。
だからホルモンのライブに結構みんな行ってるんだよ。

そんなナオちゃんが「緊張する。中学の合唱コン以来な感じの
雰囲気!」って言って「失敗したらどうしよう」って
言ってたら細美くんは「楽しめばいいんだよ。友達は失敗はするもんだから。」

あとナオちゃんが髪の毛を名古屋巻きにカールしたと見せてたら
細美くんは「アンジェリーナ・ジョリーにしかみえねぇ。」って
言ってナオちゃん「いただきました!」って喜んでた。
ナオちゃんはこの日、美雨さんのおすすめでつけ睫毛もつけてたんだよ。

彼女とタカシ君との向き合ってのドラムセッションというか
演奏はすばらしかった。その後もナオちゃんはパーカッションとか
いろいろいそがしく演奏してたけれど、この日のために
仲間のためにいっぱい練習してくれたんだね。
それがすっごく見てて伝わって来て、そこでも泣きそうになった。

このツアーが終わったら堀江さんがthe HIATUSを去って行くんだけれど
今回の彼は今までみた中で一番楽しそうだった。
赤かオレンジかピンクかの(遠くだったのでライトの関係でよくわかんない)
シャツはとても彼を明るく若々しくみせた。あまり話さない感じのイメージだったのに
この日はマイクをもって細美くんに話しかけたりしていた。
ドラムの一瀬くんがいないから代わりに細美くんが叩くの?とかね。
細美くんは「叩けませんよ。」と言って、それからサプライズゲストのナオちゃんを
呼んだんだけどね。
堀江さんはある意味この日の指揮者みたいな存在でもあった。
グランドピアノもシンセもアコーディオンも演奏していた。
彼が去るかと思うと寂しい気がした。



アンコールの最初に細美くんがひとりで出て来たときに
マイクを置いて、生声で会場の2階席、3階席にも向かって
「聞こえますか~?」って言ったんだけれど
2階席にいた私にも十分聞こえた。
思わず「聞こえてる!」って言っちゃったけれど(笑)

そのときに細美くんは
「俺はお前らのこと本当に仲間だと思ってるから、
力合わせて(自分の掌と掌を合わせて)いろんなもんと戦ってこうね。
ほんとこんな幸せな夜はないです。生きててほんとうによかった。」って
(たぶんこんな感じ)言ってくれました。

泣かねえよって言ってた細美くんですが
アンコールの一曲目をやっているときにちょっとつまってたところが
あったんだ。でもそれでもいつもどおりに歌ってくれた。

その次のアンコールの曲との間に後ろを向いて回りにいるメンバーたちすべてに
「ほんとありがとうな。ほんとここにいてくれてありがとう。すばらしい演奏をありがとう。」というような
ことを言いながら、彼は泣いていた。ほんとうに彼はメンバーにもスタッフにも
会場にいるすべての人にありがとうを連発して、そして泣いていた。

それを見ていた私たちも泣いていた。
ほんと幸せすぎて泣いていた。
そしてここにいっしょにいる運命に感動していた。

きっと死ぬ間際に思い出すのはこのシーンなんだと思う。

ここにわたしたちは運命によって集まったというこの感覚をもった瞬間を。

大好きです。細美くん。
ほんとうに心からあなたの音楽と音楽への愛をリスペクトします。

最後に
Afterglowは「楽しい思い出、余韻」というような意味があるけれど
まさにそのタイトルを全身で受け取ったライブだった。






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アルケミストby ACIDMAN

2012年11月11日 | ACIDMAN
こういう長い時間をかけての出会い方もあるんだなと最近感じることがあった。

それはACIDMANの音楽との出会い。

彼らのことを知ったのはもうずっと前、おそらくメジャーデビューするかしないか
あたりから彼らの存在は知っていたと思う。

彼らのイメージは最初から評価が高かったということ。
いろんな人が彼らをベタ誉めし、素晴らしいバンドだと言ってた。

私の彼らの最初の音楽の印象は「水写」であり
あのMVだった。

たぶんそれより以前の曲も聴いてたと思うけれど
あの音楽が私の中のACIDMAN像を作り上げてしまったように思う。

嫌いでは決してないのだけれど、どこか自分の中の
変なレディオヘッド考みたいなものが出て来てしまって
「あ~レディオヘッドみたいになりたいバンドなんだな。」って
勝手に決めつけてしまってた。まあ、レディオヘッドのファンにしたら
あるいはACIDMANのファンにしてもどこが似てるんだよ!って言われそうだけれど、
なんか感覚的に2バンドのひとつの静脈みたいなものが共通しているように
感じてしまったんだ。


私はレディオヘッドが好きだけれど、レディオヘッドの匂いがすごくする
他のバンドにはあまり興味がなかったんだ。


そこで、私はACIDMANの音楽と関わることはほとんどなくなってしまった。

ところが、いろんな場面でACIDMANという名前は私の前に登場し
まるで何かの電波を発しているかのように定期的にその名を
送ってきていた。


そんな中、年数も経った頃、Under the rainという曲が
CSの音楽番組でMVとともに流れた。

この曲は私をひっぱり始めた。
なんだよ。どうしてそんなにひっぱるんだよ。
そんな感じだったが、その曲は「水写」とは反対に
ACIDMANってこういうバンドだったのかと
新鮮な感動をくれるものだった。

それからあとに出たDEAR FREEDOMという曲。
この曲で私は自分の中にかなりの大きな変化が
起きたのを知る。

もうガマンができなくなり、CDを買いに行った。
そして何度も何度もくりかえし聴いていた。

私はこのバンドの深さを知った。

大木氏の書く詩がとてつもなく広大な奥行きをもって
人間を超えたものを描いていることに改め気がついたんだ。

そして、驚いたのが最新作の「アルケミスト」

これはパウロ・コエーリョの「アルケミスト」を
モチーフにしているらしい。きっと大木氏はこの本を
愛読しているんだね。


「何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して
実現するように助けてくれる。」
(from 「アルケミスト」by パウロ・コエーリョ)

私はACIDMANの「ALMA」の大木氏のドキュメンタリー映像を
見たときにこの言葉がすごく思い出されたんだ。

大木氏はチリやボリビアなど「ALMA」のMVの撮影にでかけたんだけれど
この映像はほんと見ていて心打たれるものがある。
もちろん、淡々とそのまま撮影されていくのだけれど
そこにある自然の素晴らしさや美しさや過酷さなどが
そしてきっと見えるだろう満天の星を想像して
彼はまるでアルケミストに出て来る少年のような
自然からもらう力というものを感じているんだろうなと
見ていて、すごく感じた。

この映像はACIDMANというバンドを超えて素晴らしいと思った。

ALMAというのは電波望遠鏡のことで、可視光線を集光して天体を観測する一般の光学望遠鏡に対して、電波を収束させて天体を観測する装置の総称。
電波望遠鏡は、光学望遠鏡では観測できない波長の電磁波を広く観測することができる。可視光を放射しない星間ガス等を観測するのに有力である。
(wikipediaより)

この宇宙からの目に見えない電波を受信する場所はとてつもなく標高の高いところで
そこに大木氏は行って、歌ったんだ。

不思議なのは私がACIDMANの曲にぐいっと引き込まれてついにCDを買ったのが
この「ALMA」のアルバムに入っているDEAR FREEDOMからということだ。

ACIDMANからずっと放たれていた音楽の波を
やっと私がキャッチできたのが
どこかこのALMAが宇宙からずっと発せられていた
電磁波をキャッチできたのに重なる気がした。

私はこのブログでもたびたび書いているが
サン・テグジュペリの作品が好きなのは
自然の中で人間っていうのはちっぽけなものだけれど
どこかこの宇宙に包まれて、生かされて、
力をもらっているように感じるということを
感じさせてくれるからだ。

そして現代のサン・テグジュペリと言われる
パウロ・コエーリョの「アルケミスト」にも
やはりそれがあって、ときどき夜空を眺めると
この星々を何百年も前に生きていた人たちも
眺めていたんだろうかと思うだけで
胸の奥がきゅっとなるんだ。

サン・テグジュペリが言ってた。
「砂漠で満天の星を寝転がってみていると
まるで自分がその星々の中に落ちて行ってしまうようだ。」

私はそれを一度だけ経験したことがある。沖縄の宮古島で
夜草原に寝転がって空を見上げたら、ほんとうに自分が
その星空に落ちて行くような感覚になって思わず
手元の草を握りしめた。

きっと大木氏が見たALMA展望台での星空は
もっともっとすごいものだったんだろうね。
行ってみたいな。

細美武士さんもエジプトに旅行している時に
きっとそういう感覚になったと思う。
彼は実際に「アルケミスト」を道中読みながら
アフリカ大陸を旅したんだから。

アルケミストがまるで大事な言葉のように
最近思えて来る。

何か大事なものを発見したかのような
それが何なのかはっきりはわからないけれど

生きて行くうえでいろいろな困難なことや苦しいこともあるけれど
すべては自分の望むことへの「前兆」であって、それを
超えていくことで自分の夢はきっと叶えられるということを
信じさせてくれる存在が「アルケミスト」なんだなと。

あと、ACIDMANの曲ってどこかいろんな鉱石が組み合わされている
壁や柱や建物や噴水や石畳のようなイメージがある。

私がときどき行く科学センター。プラネタリウムを見るのが
結構好きなんだけれど、それ以外でもいろいろな鉱石を展示しているのを
見るのも好きなんだ。とても美しい鉱石がたくさんあって
こういうのはどこから来るんだろう?っていつも思う。

また、薄く切られた石を顕微鏡でのぞくと
ちょうどACIDMANの「アルケミスト」のジャケットのような
カラフルな模様が見えることがある。

彼らの歌は心の顕微鏡で見ると果てしなく美しい色を見せてくれるんだね。
今まで気がつかなかったけれど、やっと私も自分の心の顕微鏡を手に入れた気がする。
そして、自分の中のALMAもね。

遠くまで行くことを人を怖れるかもしれないけれど
遠くまで行くことで初めてわかることもあると思う。
もちろん、近い場所に真理があると言う人もいる。
どちらが正しいとかはないけれど、
私はACIDMANというバンドはいつも果てしない距離感を
描いて、そこに伝えたい何かを散りばめて行くバンドだと
思った。自分が豆粒みたいであっても、この広大な宇宙と
心で対峙できるんだということも教えてくれる気がする。


これって偶然なのかどうかわからないけれど
今年のRADIO CRAZYの30日にthe HIATUSとACIDMANが
出る。それぞれにどんな宇宙を見せて、聴かせてくれるのか
本当に楽しみだ。

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