HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

A World Of Pandemoniumについて~1

2011年11月27日 | 細美武士/the HIATUS
the HIATUSのこの新譜「A World Of Pandemonium」を聴いて
こんな音楽初めて出会ったって思った人や
なんて新しいんだろうって思った人や
なんて懐かしいんだろうって思った人や
もうついてけないやって思った人や
やっぱり大好きだって思った人など
いろんな感じ方が交差したんだろうし
今もしているんだろうなって思う。

私はその中で言うなら、懐かしい感じがした人。
それはかつて聴いた音楽っていうのではなくて
かつて感じた空気がそこに感じられたっていう。

私は海外ではイギリスにしか住んだ事はない。
でも、そこで出会った北欧の人たちや
アイルランドの人たち、スコットランドの人たちとの
時間を思い出した。人は時としてその国の空気をも
持ち込んでくるし、人は過ごした国の空気をも持ち帰る。
思い出という箱に入れて、時にそこで聴いた音楽に
しおりのようにはさんで。

このアルバムの全体のイメージを言うなら
「ムーミン谷」だ。

怒られちゃうかもしれないけれど
あのフィンランドの人が私にくれた空気が
そこにある。

あるいは「やかまし村のこどもたち」だ。
あるいは「ロッタちゃん」だ。

あるいはレイ・ブラッドベリが滞在した
アイルランドの空気だ。

ロックファンに怒られそうだけれど
その空気感をどうしても感じてしまった。

でも、それを細美さんは願っているような気がしている。

それは東北で今も大変な暮らしをしている
被災者の方に向けてのつかの間になるかもしれないけれど
その曲を聴いている時は感じられるぬくもり。

まだ寒い時に被災し、また寒い季節が訪れた東北。
そこに温かいものを
少しでも少しでも感じられるようにという
そんな思いを感じたアルバムだった。

1曲1曲についてはまた書くけれども
ひとつひとつの曲に彼が実際に
ボランティアとして行ったその場所で
感じたことや思うことが投影されているように
感じて、北欧の冬のように感じる歌が
福島や宮城の歌でもあるんだなって思った。

あえて、違う世界のように感じることで
人はやすらぐこともある。

私はこのアルバムを聴いて
旅している気持ちになった。

まるでthe HIATUSに
この世界のいろんな人たちが
強い生命力をもって
今と立ち向かっているところに
案内されているような
そんな気持ちになった。

電気を通さなくても
再現できるような
生音をたくさん
取り入れた曲。

ドラムがロックドラムというより
オーケストラの打楽器のように響き
アコースティックギターが
弦楽器であることを思い出させる。
ピアノは鍵盤楽器あるいは打楽器としての
もともとの顔を出し、
歌は空へ向かって放たれるようだった。

音が電気によっていろいろな音に変わって行く今の世の中で
あえて、その音をもとの原始の音に戻そうとしてるんじゃないかって
思うほど、ひとつひとつの音がくっきりと素のまま聞こえる気がする。
もちろん、いろいろ加工も重ねてはいるけれど、だからこそミキシングの
腕前というのかほんとすごいと思う。
すごい物質を取り出すために不純物を見事にとりのぞく
科学者のように。

私はこのアルバムを聴いていたら
いわゆるナショナルジオグラフィックのような
壮大な自然を感じるし、時にはビルディングの
立ち並ぶ都市の風景も感じはするけれども、
そこにも青空や太陽の光がうつるのが見えてくる。

もちろん、これは私の感じ方。
他の人はまったく違うかもしれない。

なんかわからないけれど
いつか細美さんは本当に
東北地方の人たちにとっての
サンタクロースになるんじゃないかと
思ってしまった。

彼はきっと東北が本当の本当に
再生する日までずっと自分を
注いで行くんだろうなって
感じるし、彼はそういう人なんだと
思う。


WAKE UP

それが何度も出てくる言葉。


「目覚める」

自分自身が目覚める。
希望に目覚める。
町が目覚める。
国が目覚める。
世界が目覚める。

そして、あなたが目覚める。

そんな祈りもここに感じた。

それも私の感じ方。
すべての人はまた違う。

だから音楽は素晴らしい。








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「Deerhounds」PVを見て

2011年11月23日 | 細美武士/the HIATUS
タワレコJPで予約してたのに届かない「A World Of Pandemonium』。
発売日に届くというのでタワレコに直に行けそうになかったから
頼んだのに、同日発売の他のCDが入らないからという理由で
届かない。フラッドのも届かない。ならあと一枚をあとにして
先に2つ送ってくれたらいいのに。新譜発売日に出ない国内盤が
あることすら信じられないけれど、アマゾンなら先にあるやつだけ
送ってくれるよ。なんとかしてよ。タワレコさん。

さて、まあそんなこと言っても届かないのはしかたがない。
ゆえに昨日スカパーで見た「Deerhounds」のPVを
またくりかえし見ていた。

最初見た第一印象は映像においては
映画「かいじゅうたちのいるところ」である。
この映画を見たことがある人は納得できると思う。

細美くんがこの映画を見たかどうかは知らないし
この歌はまったく違う次元でできたと思う。

でも、この監督、深津昌和氏が「Deerhounds」を
聴いて「かいじゅうたちのいるところ」をイメージしてしまったのは
理解できる。あの空気感がそこにあるもの。

曲の歌詞を全部聞き取るほどの能力はないけれど

♪朝の霜~っていう(英語だけれど)
部分から
♪ゴミを捨てて(英語だけれど)

っていう最初の部分から私はなぜか
震災後の町を思い浮かべてしまった。

もちろん、私は実際に行ったわけではない。
テレビでの映像や写真や人の話からの
想像に過ぎない。

でも、細美くんは実際にそこに行った人だ。
実際にボランティア活動をしている人だ。

だからこそ、感じたこと
実際に経験したことが
そこに出ているのかもしれない。

この歌の中にアルバムタイトルの
「the world of pandemonium」という言葉が
出て来た。

混沌の世界。

震災後の日本もそうだし、
今年は世界中で政変による混乱
洪水による被害など
あるいはやはり地震に見舞われたトルコなど
いろいろな国で人々が辛いできごとに
出会った一年だった。

私はここではないけれど
別のところに「かいじゅうたちのいるところ」の
映画を見たあとの感想を書いていたんだけれど
次のようなことを書いていた。


「絵本のテーマは母子愛だったのかもしれないけれど
映画ははみだしっこ、悪い子って言われる子の葛藤と
そんな子が愛を感じる時がどんなときかを
かいじゅうと子どものふれあいの中で
ほろっと感じさせてくれる映画だった。
映画の終わりは万々歳のハッピーエンドって訳じゃない。
「ごはんがあってお母さんの笑顔があって」
みたいなほろっと感じる幸せが描かれる結末。」

この当たり前のような日常が
ほんとうは一番幸せなんだということを
震災は教えてくれたし、
そんなことをこのPVの監督はもしかして
同じように感じて、あえてこの曲に
この映画のイメージを取り入れたのかなって
思った。

素の音が響く感じの歌。
いろんなものをそぎ落として
何が一番大事なのか
そういうものを考えさせてくれる
歌のような気もした。

これを聴いて
アルバムが届いたら
またどんな印象を受けるのだろう。

早く全部聴きたいな。

ちなみにdeerhoundってスコットランドの大型犬のことだよね。
細美くんはイギリスで見たのかな?
それとも被災地で見たのかな?
もともとは狐狩り用の犬だけれど
でかいから救助犬にもかり出されるかもしれない。





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MorroW by FoZZtone

2011年11月19日 | FoZZtone
11月5日に東京キネマであったフォズのアナザーファイナル
の「組曲 白鯨 Premium Live」にて演奏されたという「MorroW」
という曲。この曲は2004年に出された「boat4」というミニアルバムの
冒頭に入っている曲だ。

私がFoZZtoneに出会ったのは2007年12月に
「黒点」がリリースになってSSTVで流れていた頃だ。あのMVを見て
一瞬そこに釘付けになったのを今も覚えている。
「フォズトーン」ってなんだか楽器みたいな名前だなって思った。
サキソフォーンとかそういう類いの。

2008年になってから彼らのCDをその時に出ているすべてを
買った。インディーズ時代のも含めて。
その中に「boat 4」もあったんだ。

なんでそんなタイトルなんだろう?って
思っていた。そこからすでに海はあった。

「MorroW」ってどうしてMとWが大文字なんだろう?
って思っていた。とにかく彼らのことを何も知らなかったし
私はどうも音楽を聴いているだけで安心してしまうようで
彼らのことをいろいろ知るようになったのはほんの
最近のことなのかもしれない。

MとWってMasashi Wataraiのイニシャルだなって
思ったのも最近。もちろんそれは私が勝手に思ったこと。

あるいはMは山に日が沈むイメージで
Wは谷から日が昇って行くイメージなのかとも思った。

morrowは古語で「朝」すなわちmorningのこと。

tomorrowは明日ってことだけれど
これはto morrowってことで「朝へ向かう」ってことで
これが明日を表すのかな?

渡會さんは「朝」のイメージの曲をたくさん書いている。
おそらく彼は夜明け前から本格的に朝が始まる時間が好きなんだろう。
私も昔からその時間帯にいろいろな思い出がある。
高校も大学も遠くて、社会人になってからは職場も遠くて
いつも5時起きだったんだけれど、まだ外は夜みたいに真っ暗だった。
そこからだんだん空が群青色からうすい青い色になって白くなっていく感じ。
あるいは群青色に強い赤が見えたと思ったら、そこがオレンジに変わり
そしてだんだんオレンジもうすまっていく感じ。
そんな朝が私に毎朝希望や負けないぞという力を与えてくれていた。

この「MorroW」を初めて聴いた時はまさにそんな私の朝が
そこにあって、ほんと「光が射して、体を刺して」っていう
表現が痛いほど体に入って来た。

「NEW WORLD」というアルバムが出た今
これを改めて聴くとここに「NEW WORLD」が
出来るデッサンがあったんだと驚く。

これをキネマでやったというのはそういう事からではないか
と思った。(あくまで私の勝手な想像だ)

村上春樹の小説でいうなら
「NEW WORLD」が「ノルウエーの森」で
「MorroW」が「蛍」だ。

渡會氏はこの「MorroW」を書いた時には
まだそんな長編を書くなんて思っていなかっただろうけれど
彼が過ごして来た年月やできごとがこうして
「NEW WORLD」その中でも「白鯨」という組曲を
書かせるに至ったんだと感じている。

私は初めてフォズトーンと出会った時から
渡會氏にはどこか緑色というか蛍の光色というのかを
感じていた。私の好きなアーティストにはそんな光を
放つ人が多い。真田氏もそんなひとりだ。

「蛍の光」っていうスコットランド民話に
日本詩をつけた歌がある。

子どもの頃
♪ほたるのひかり窓の雪~♪っていうのを
聞いて、ほたるのひかりはなぜか黄色っぽいって
思っていた。

でも、大人になって初めて田舎に住んで
真っ暗な川辺で見た蛍の大群の光は
グリーンだった。

とても繊細だけれどしっかり照らしてくれるグリーンだった。

村上春樹のそれらの作品の主人公のように
私もビンに蛍を何匹が捕らえて、家に持ち帰った。
机の上に置いたそのビンが電気を消した部屋の中で
ほわ~ほわ~っと緑の光を放つ。
それがなんと明るい事か。
ほんと「蛍の光」の歌のように本をその光で
読めてしまう。

ただ、蛍はそんなパワーを出してしまうから
力つきてしまうんだろう。でも、そのビンに
入れていた蛍たちは見事に脱走をはかり
どうやらまた飛び立っていったようだ。
そこで息絶えていたら可哀想なことしたと
思ったかもしれないけれど、緑の光が
外の闇に飛んで行くのが見えたから
また仲間のところへ行ったんだろうって。

そういえば、渡會さんのかつてデザインした
グラニフのTシャツの色は緑だったし
最近、頻繁に彼の口から放たれる言葉
「ネギ」も緑だよね。

もしかしたら、蛍よりネギ系なのかな(笑)

村上氏の小説に「めくらやなぎと眠る女」っていうのがあるけど
なんかそれが渡會さんなら「ふかやねぎと眠る男」になりそうだ。











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ギタリストに全力投球だった頃(FoZZtoneとUESAのギタリストへ捧ぐ)

2011年11月12日 | FoZZtone
金曜日にやっていた映画「BECK」を見たからかもしれない。
あるいは最近、ギターサウンドが頭の中で鳴り止まないからかもしれない。

たぶんロックが好きになった人は一度はロックギタリストにはまると思う。
それが中学生高校生時代なら、もう勉強そっちのけでひたすら音楽を聞きまくるわけ。
私もそんな時代があった。もちろん今も好きだけれど、その頃の徹底ぶりは
半端ないというか、ある意味ギタリスト48的なぐらいデータを集めていた。

まずはギタリストの名前を覚える。
その演奏方法を覚える。
そのギタリストのギターのメイカーを覚える。

私はエレキギターが欲しくて欲しくてしょうがなかったけれど
親からは絶対にエレキはだめだと結局通信販売で買う
クラシックギターならいいと音の善し悪し関係なく
ただ、ギターとつくだけでいいという感じで
それを買った。ギター教本を買い、そこにあった曲を
練習していたが「違う。違う。こんなんじゃない。」
そりゃそうだ。そこにはアコギで弾ける超ポップな
歌しか載ってないんだもの。

私が弾きたいのはエリック・クラプトンや
ブライアン・メイみたいなすごいギタリストの
サウンドなんだと。でも結局どうしようもなくて
ホテルカリフォルニアとかをコピーしていた。

ある日、友達の家に行くとそこは下宿屋さんも
していたので京都大学の学生さんとかが
家にいる。そのうちの1人が私と友達の前で
レッド・ツェペリンの「天国への階段」を
弾いてくれた。すごく感動した。

それからツェペリンを聴くようになった。
試験中に家に帰って勉強の合間に
「Black Dog」や「Rock'n Roll」とか
もういろいろ聞いていた。
親からすればなんてうるさい曲聞いてるのかって
感じだけれど、私は癒されてあげくは寝てしまうぐらいだった。

とにかく歴史の勉強をするがごとく
自分が好きなギタリストが好きなギタリストもまた
調べて、ノートに書いて行くぐらいの熱心ぶりだった。

もちろん、好きなタイプもあればあまり聴く気にならないタイプまで
いろいろ聴いて来た。

ざっと好きなギタリストをあげると

大御所ではジミ・ヘンドリックス
ジミー・ペイジ
エリック・クラプトン
ジェフ・ベック
ブライアン・メイ
ジョー・ストラマー
リック・デリンジャー
ミック・ロンソン
エディ・ヴァン・へイレン
シド・バレット
スティーブ・ヴァイ
カート・コヴァーン
グレアム・コクソン
プリンス
ノエル・ギャラガー
リッチー・ブラックモア
デヴィッド・ギルモア
トム・ヨーク
ティム・ウイーラー
リヴァーズ・クオモ
ビリー・ジョー・アームストロング
ジョン・フルシアンテ
シニスター・ゲイツ
マシュー・ベラミー
マーク・ノップラー
レイ・トロ
スティーブ・ハウ
ピート・タウンゼント
などなど

挙げたらほんときりがない。
まだまだいっぱい出て来る。
ここにあげたのをすべて知っているという人と
一晩かけてギターについてお話するというのが
もしかして夢かもしれない(笑)

これはとりあえず洋楽に限ってるけれど
ここに日本のギタリストをくわえると
ほんと大変なことになる。

今、FoZZtoneはレコーディング中ということで
USTで竹尾さんは新しく買ったと(でもマネージャーさんは買ってないと)
言ってもっていたフェンダーのテレキャス。
それもいいのかもしれないけれど
竹尾さんのイメージはやっぱりギブソンのイメージだ。
あのどっしりしたギターを優雅にかっこよく弾くイメージ。
実はちらりとギブソンのレスポールをSIAM SHADEの
DAITA氏の大ファンということで盛り上がったとある楽器店の
店長さんに弾かせて(というか触らせて)もらったことがある。
重かった。こんなに重いのにレスポールを弾く人って
すごいなってその時改めて思った。

渡會さんは今はフェンダーだけれども私が出会った頃は
ESPのカスタムメイドを弾かれていた。最近のライブでは
見られなくなったけれど、先日のファイナルでは
確か弾かれていたんじゃないのかな?写真を見ただけで
わかんないけれど。

家には島村楽器のオリジナルのヒストリーと
ポール・リード・スミスのSEがある。
ちなみにベースもあってそれはフェンダーだ。

historyはそんなに有名じゃないかもしれないけれど
いいギターだよ。音がやわらかいし、澄んでいて
弾いてて心が落ち着くそんな音を出すギターだ。

ギターのメイカーではbye bye circusの真田さんが
持っているグレッチのテネシーローズとかは
絶対に女の人は持てないな~って思う。
でかすぎるというのか、グレッチ弾いている女性ギタリストって
思い浮かばないよ。

今月RUDE GALLERYとフェンダーがコラボしたライブが
あるんだよね。それにFoZZtoneも出るんだ。
すっごく行きたいイベントだ。
”POWER OF MUSIC"っていうんだけれど、そこに
a flood of circleの佐々木さんも出るんだ。あとbloodthirsty butchers、Droogも。
すっごくかっこいいイベントになるって最初からわかるイベントだよね。
東京に住んでいたら絶対に行く。
なにせRUDE GALLERYとフェンダーだよ。
RUDEは私が好きなお店だ。って男性もののお店なんだけれど
私は好きな人にRUDEのTシャツとかをプレゼントに買って着てもらったり
自分はバッジとか小物を買う。全体的に高価なのでジャケットとかには
手は出ないけれどね。(苦笑)
ただ、関西でRUDEのシャツ着てても大方わかんないけどね(苦笑)
このお店にはthe Clashの写真が飾られている。そもそもそのお店の
コンセプトがジョー・ストラマーだから。
フェンダーとコラボするのもわかるよね。
フェンダーのテレキャスといえばジョー・ストラマーだもの。

この店にはNCISの生形さんはよくプライベートでも
買いにこられるんだって。生形さんもよくブログで
RUDEの話をされているものね。
佐々木さんもお気に入りみたいだし。
チバさんもというかRUDEといえばチバさんっていう
イメージが先にあるものね。

クラッシュ好きなら当たり前って感じかな。


今回FoZZtoneが参加するけれど
このRUDEのイメージに渡會さんも合うと思う。
「黒点」の時の彼はまさにRUDEな感じだったもの。
今もだけど。

曲的には「ラナウエイ」とかがまさにぴったりな
イベントだよね。是非これをやってほしいな。

そういえばフォズの歌に「Black sheep dog」って
あるけれど、ツェッペリンの「Black dog」と
マンドゥ・ディアオの「Sheep dog」を合体させたような
タイトルだなぁ~って思っていた。曲はぜんぜん違うけれど
たまに竹尾さんの弾く感じがジミー・ペイジっぽかったりする。
あるいはブラックモアっぽかったりもするし、いろいろな
遺伝子を持っているのが竹尾さんだ。

竹尾さんの弾くギターってほんとうにこの人はギターが好きなんだって
わかる心が全力で注ぎ込まれた弾き方をする。
音で心を伝えるってこういうことを言うんだって感じるんだ。
彼の演奏を見て聞いていると。

どうして俺のギターの思いがわかんないんだよってきっと
ある時期思っていたんだろうけれど、今回のツアーでは
みんなわかってくれてるんだって安心している竹尾さんの顔が
見れてほんとうによかった。ギターの音が心と心を繋いでいた。

今レコーディングで渡會さんがジョン・メイヤーのように
歌ったというようなことが書かれていたが、そういえば
彼のインストアでの弾き語りの時の歌い方とかギターの
弾き方ってジョン・メイヤーに似てたなって思った。
特に弾き方が。ああいう弾き方好きだ。

アコギでも人によっていろんなクセがあって
それがなんか音といっしょに心に残る人もいる。


そういえば、UESAの植田さんはテイラーのアコギを
弾いているけれど、最初のうちはこのテイラーさんと
戦っているような感じだったけれど、最近は
だいぶ打ち解けてきたように感じていた。
最初の頃はにらみあって、負けるかって感じだった
植田さんが今じゃあテイラーと微笑みをかわすぐらいに
なったなってライブを見たときに感じた。

UESAの2月の活動休止後の予定はたってないようだけれど
テイラーさんとの約束はやっぱり守るべきだと思うんだよね。
テイラーさんを有名にすると約束したんならね。
ギターってギタリストにとっては弾けば弾く程
分身になっていくと思うんだ。最近意味不明な
故障をしていたという植田さんのギターはきっと
植田さんの心に反応したんだと思う。だから
元気になって弾いてあげてほしいと思う。

「そのギターはどこのギターなんですか?」
「テイラーのです。」

私はなぜか「ロジャー」で覚えてしまった。
この勘違いわかる人にはわかるよね(笑)

ミュージシャンとして人生をたとえまっとうしなくても
他の職業についたとしても、音楽っていうのはいつも
そばにあるし、ましてギターは永遠に分身なんだから
生涯弾かないなんてことはない。
生きているかぎり、ギタリストとギターは一心同体なんだ。
















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絵を描く人

2011年11月09日 | FoZZtone
私が好きになる音楽家は絵が上手い人が多い気がする。

海外で言うなら
クイーンのフレディはアートスクール出身だし
それこそあの「オペラ座の夜」のジャケットや
彼らのロゴもみんなフレディが描いている。

デヴィッド・ボウイも凄いんだよ。
彼の絵ってもうスコットランドの美術館とかで
展示されてるんだから。

日本では私がこの名を書くのはとっても
珍しいかもしれないけれど
米米CLUBのカールスモーキー石井こと石井竜也氏も
すごいよね。展覧会開けるほどだし。
知っている人は知っているけれどSIAM SHADEの
栄喜さんは石井さんのファンだったんだよ。
ライブ前に実は米米クラブの曲を聞いてたりした時も
あるってずっと昔言ってたんだ。
実際、音楽活動で悩んだ時に行ったのが
石井さんの展覧会だったんだ。

米米CLUBっていうとショービジネスって感じがするけれど
石井氏の根底に流れる音楽遺伝子は洋楽だからね。
だから「浪漫飛行」だって知る人はジョージャクソンからの影響って
わかるし、他にもそういうのがいっぱいあるけれど
真似ではなく遺伝子を受け継いでいるだけだからね。

ミッシェルがクラッシュの遺伝子を受け継ぐように。

栄喜さんと石井さんっていう繋がりも
ちょっと不思議だけれどわかる気がする。

実はね。この2人血液型がたしかO型なんだ。
FoZZtoneの渡會さんもO型。

なんかこだわりの人たちっていう感じがする。

ひとつのことに
「はいそうですか。」
「はいそうしましょう。」
「わかりました。変更しましょう。」
って絶対に言えない面々。

「それは違うだろう。」
「そこのそこだけが気に入らないから全部だめ。」
「俺の言う事が聞けないならやらない。」
みたいな人たちではないでしょうか?

って怒られそう?

だからそれぞれがお互いに納得できないだろうって
ことがわかり合えるのかもしれない。

でも、いっしょに仕事するとしんどそうだよね。
譲らないから、お互いに。

で、話を戻すと
栄喜さんは絵を得意としたかは覚えていないけれど
(ごめんなさい。)

渡會さんはほんとうに絵がすばらしい。
アルバムジャケットの絵とかデザインも
ほぼ彼の作品だし、たまにブログとかで
絵を描いているのを順番にアップしたり
されていたけれど、その書き始めとかが
凡人とはやっぱり違うんだよね。

私の近くにも絵で賞をよくもらう人が
いるんだけれど、「そこから描く?」って
いうところから書き始めるもの。

極端な話、人物を描く時は
私とかふつうなら顔の輪郭とかから
描くけれど、その人は耳の後ろから
書き始めて首にいったりするんだよ。
顔はどこだ?って感じで。
凡人には見えない全体像がすでに見えてるんだよね。

私はそんな絵を描いている人を見るのが好きだし、
実は私の両親とも絵を描く人で母の方は京都の
伝統的な人形作りでもあった人なんだ。
だから、そういうのを近くで見て育った。

渡會さんが描いている姿を写真とか
SSTVの特番とかで見た時に
素敵だな~って思った。
絵を描く人ってほんとオーラが出ている。

私が敬愛する奈良美智さんもほんと素敵だ。
彼は現代美術のすごい芸術家であるけれど
反対に音楽に対してもすごく愛情のある方だ。
やっぱりミッシェル好きだしね(笑)

私は芸大に行けなかった人だから
才能はないけれども、絵を描くのは
好きな方だ。高校時代は友達のレポートのために
ベートーベンを描いてあげたりしてた(笑)

家には画材道具がいろいろあるし、
ペンも結構いろいろな種類がある。
最近はぜんぜん描けてなくて
ほんともう描けないかもしれないな。

だから本当にうまい人たちの絵を見ることで
心が癒されるんだ。

細美くんもほんとうは絵を描く人なんだけれど
ぜんぜんそれを表に出してくれないよね。
彼の作品が見たいのに。
でも、彼の字を見ればわかるよね。
絵の上手い人は字にも味があるんだ。

とりあえず、今渡會さんが描いている絵が
DVDのジャケットになることを想像して
早く出ないかなと待つ日々だ。

DVD見たら、行った人に負けないくらいの
(いや、絶対に負けるけれども・苦笑)
感想を書こうと今から思っている。

まあ、思っているだけで
書けないかもしれないけどね。

あ、そうだストレイテナーのシンペイ氏も
ジャケットの絵描いているよね。
彼大好きなんだ。私。
というかストレイテナーも大好き。

年末のRADIO CRAZYでテナーは絶対に見るつもり!
ナッシングスも出るけれど、それがかぶることは
絶対ないものね(笑)

両方見るぞ!

って話が飛び過ぎた。

FoZZtoneもRADIO CRAZYに
来てくれたらいいのにな~。





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東京キネマ倶楽部のファイナルの意味。

2011年11月05日 | FoZZtone
2011年11月5日(Sat)

東京キネマ倶楽部にてFoZZtoneのアナザーファイナルあり。

いつものごとく、そういう大事なライブに行けたためしがない私。

SIAM SHADEの解散ライブも
この間の復活ライブも
Jet Lily Starのラストライブも
ELLEGARDENの休止前のラストも
驚くほど見送っています。

でも、地方在住者である私は無理であり
仕事的にも無理であり
あと生活的にも遠くは無理なのです。

でも、ずっと想像してました。
行ったことがないけれど
イメージは昔の映画館。
キネマって言う言葉だけでそう思いますよね。

どんなドラマティックなステージだったんだろうと
まるでメーテルリンクが描いた舞台のように
青白いライトは照らされたのだろうかとか
そんなことを思いました。

リキッドのライブも素晴らし過ぎて
どの方も感想を書けないと言われました。
もちろん、その中でもなんとか書いて下さった方達も
いて、そういう方には行けなかった私は本当に感謝しています。

だから、このキネマのも難しいかもしれませんが
少しでも多くの方の感じたままを知りたいです。

リキッドはFoZZtone自身のロードストーンのファイナルでしたが
キネマはNew Worldというアルバム自身のファイナルだと思っています。
最初はファンが作ったそれぞれのNew Worldが
今度はFoZZtone自身によっての2枚組のNew Worldになって
今宵ファンの方とFoZZtoneとが作品として立体化したんだと
思っています。

そこに参加できなかったのは本当に残念ですが
それを言い続けるのも前向きじゃないなと
思っています。

だから、私はまた次の旅にFoZZtoneといっしょに
出られたらいいなと思うし、またそのファイナルに
行けなかったら、またその次の旅にと
ずっとずっととこしえに彼らの旅に
つきあっていきたいなと思っています。

ツイッターでいろんな人がリツイートしてた
渡會さんの「サイドワインダーとカウンターカルチャー」
という言葉。すっごくわかります。

ほんとFoZZtoneの音楽はそれだと思います。
既存の流行の音楽に対して挑戦してるというか
ある意味、アートな音楽です。
それを理解するにはある程度の音楽的センスや
アートのセンスそして感受性が高くないと
だめかもしれない。

だからこそ、フォズのファンはそういう人の
集団。だからある意味すごいのですよね。

みんな自己を掘り下げて考えられる人たちばかりだし
端からみれば面倒くさい人たちばかりなのかもしれない。
私を含めてですが。

遠い昔STYXがロックのライブでやった
「パラダイスシアター」というストーリー性のある
ステージのごとく、
最近といっても少し前だけれど
マイケミカルロマンス(最近、フォレスタだったっけ?車のCMで曲使われてるよね。)
の「Welcome to the black parade」のコンセプトステージのごとく
きっと今日は組曲「白鯨」のコンセプトステージだったのでしょうね。

ファイナル2本とも行けなかった分、せめてそのパンフだけでも欲しかった。。。。。。

まあ、それはともかくとして

FoZZtoneみたいに次何やってくれるんだろう?っていう
マジックボックスみたいなバンドってほんと珍しいですよね。

新曲もやったとか?

なんか細切れの情報を繋ぎ合わせて
今日のキネマを感じようとしている私って
なんだかね~(笑)

同情票100票ぐらい入れてもらえるなら
是非、そのキネマの感想を教えてください。



無いのに聴こえる音楽
見えないのに見えるステージ

今から2年程前に

「カニッツァの三角形」という言葉を
渡會さんが語ったというのを思い出しました。



「俺達の曲ってストレートに「頑張れ」とか言わなくて遠回りだけど、
 ここにいるみんなは俺達が曲に込めた記号を読み取ってくれて、
 輝く何かを見れたからこそ、ここに来てくれてる。
 頭が良いんだと思うよ。

 勉強できるじゃなくて、感受性が強いって意味の。」

(参照  http://ja.wikipedia.org/wiki/カニッツァの三角形)

この法則自体はウイキペディアで検索してもらえれば
そこにその図形と説明があります。

そこには本当はありえない三角形があり
ありえない光の輝きがみえるのです。

音楽っていうのは見えないのに
心の中でその形を残しているんですよね。

無いのにあるのです。

FoZZtoneはいつもそういう音楽の光を
感じさせてくれるし、そのファンの方たちも
その見えない光をしっかりと感じられる方ばかりです。

Missing massはもしかしてカニッツァの三角形と
イコールだったのかもしれないですね。

とにかく、明日から新しいFoZZtoneの旅が
また始まるんですね。







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ねぇ、君は誰なの?~真田暎人と植田健一のUESA

2011年11月04日 | 真田暎人/UESA
今朝、夢を見た。
どうしてこんな時にそんな夢みちゃうんだろう。
別に見ようと思ったわけじゃないのに。
UESAの2人がそろって登場。
夢の中でどうして今のリアルな話を聞かせてくれるの?
なんか痛かった。聞いてて。
夢なのに。別に聞かせてって言ったわけじゃないのに。
どうして出て来ちゃったの?私の夢に。
夢のドアに鍵かけとけばよかった。ほんと。


昨日、UESAが来年の2月で活動休止するって
ふたりのブログに書かれた。
多くのファンは動揺し、お蔭でこのブログは
いつもの細美氏や村松氏や栄喜氏をふっとばして
ほぼ20位ぐらいまでの検索はみんな「UESA」だった。
心配しなくていいよ。ここはmixiみたいに
誰が見に来たとかそんなことはまったくわかんない。
ただ、何人来たとか、どんな検索ワードで来たとか
そんな程度さ。

正直、UESA関連の記事なんて最近書いてなかったし
ちょっと前ので申し訳ないなって思ってた。

しかも、最近のその内容たるもの
UESAファンにとっては
あまり気持ちのいいものじゃなかったんじゃないかな?

どんな内容かはまたカテゴリーで「真田暎人/UESA」か
「bye bye circus」のところを探してみてもらったら
いいかと。


♪駆け込み乗車のイメージで思い切って聞いてみるよ
「あなた、私が嫌いでしょ?」
鏡の前で独り言 なんだか恥ずかしくなったよ
握った右手 振り下ろしそうになって
グッとこらえるとこだとかそんなお前が嫌いじゃない♪
 (大人になって by 真田暎人)

この歌は実は聴いたことがない。
でも、この歌詞を読んだ時に
暎人さんの今の気持ちが見えたような気がした。

今の自分があまり好きじゃないんじゃないかなって。

休止を発表する前のブログを読んでいても
音楽を楽しめてないっていうような内容のがあって
彼はもう自分を偽れなくなってるのかなって
感じていた。

私はほんと辛かった。
私の知る真田暎人って言う人は
ほんとうにいたのだろうか?って
最近、思う程彼をとりまく環境や彼の作る音楽さえ
なんだか違う世界に行ってしまうようだった。
だから、Jet Kellyの時代からJet Lily Starまでの
音楽をくりかえし聞いて、そして涙してた。

こういう音楽をもう彼はやってくれないのか?
彼はもうUESAのヒデトで生きて行くのか?って

bye bye circusを始めてもUESAのライブが多過ぎて
それが入る余地がない感じで、なんだかそのbye byeも
立ち消えそうで、このままUESAがメインになってしまうんだと
私の中から真田暎人というミュージシャンが
過去に吸い込まれて行くような
だんだん薄まって行くような
脱力感が私を包んでいった。

UESAにも名曲はたくさんある。
でも、その名曲たちを聞きたいというような
以前のような燃え上がるような気持ちは
どこか取り残されたろうそくの火のように
うっすらと燃えるだけでライブハウスへ
行く力さえ、もうなくなりそうだった。

私にとって真田暎人っていうミュージシャンは
細美武士氏と渡會将士氏と並ぶ3大天才詩人であり
作曲家であり、歌い手だ。

それなのに今の環境はなんなんだ?ってずっと思っていた。
あのくだらないステージでのやりとりに
笑う観客。何がおもしろいの?
音楽聴きに来てるんじゃないの?あんな会話するぐらいなら
あと1曲やってよって。グダグダとつまんない話ばかり。
こんな時間つぶしをする人だったっけ?って。

正直、私は観客にもイライラした。
UESAをだめにした一因は観客にもあると思っている。
甘やかし過ぎたんだ。植田健一という人を。
そして、みんなは知らないうちに真田暎人と彼を引き裂いていったんだ。

ミュージシャンに「ちゃん」づけで呼ぶのも私はいやだった。

たとえば、細美さんに「武ちゃん」とかファンはいわないし
the Birthdayのチバさんに「ゆうちゃん」なんていわない。

アイドルじゃないんだよって。

あなたは彼の近所のおばちゃんなの?
あるいは近所のお姉さん?って

私は真田さんであり植田さんであってほしかった。
それが私なりの彼らに対するリスペクトだった。
もちろん、1回ぐらい「健ちゃん」って
どこかに書いたこともある。で、自分でぞっとした。
そう彼を呼ぶことで彼のミュージシャンとしての
価値がなんだか下がった気がした。
これはいけないとやっぱり植田さんと呼ぶ事にした。

暎人さんがギターの弦の話をしていた。
これは大事なことだと思う。
弦を一度切ったら、その日のライブがすべて
台無しになるぐらいの緊張感が必要なんだと思う。

植田さんは音楽に命を懸けていたと書いていたけれど
弦を何度も切ってしまうあなたにはそれはあてはまらないと
私は思っていた。

今までいろんなバンドやアーティストのライブを
見て来たけれど、洋楽邦楽含めてほとんど
ギターの弦を切るっていうのは1、2回見たぐらいで
98%ぐらい一流のバンド、いやインディーズの
パンクバンドだってそんなことはめったになかった。
それはどういうところで違ってくるのか?
なぜ弦が切れるのか何度も考えたこと、あるいは悩んだことはあるのかな?
その時の運によるって思っていたとしたら大間違いだと思う。
それを一度したら2度としないのがプロっていうもんじゃないのかなって。

なんだかすごくえらそうなことを言ってるよね、私。
何様なんだって思われているだろうね。

そう、ただの音楽バカだよ。
もう何十年もロックばかり聞き続けて
どれだけギターの音を聞いて来て
どんな音が素晴らしいかを何度体感してきたか
わかんないし、家にもアンプもエレキもエフェクターもある。
ギターを愛していても、自分の才能が無いのもよくわかってる。
だから、私はロックファンのままだ。

与えられた譜面だけじゃなくて
海外のギタータブ譜をダウンロードして
練習したりしているのかな?
英語と数字の並んだタブ譜と
にらめっこしていろんなギタリストの技を
盗んでみようって思ったことあるのかな?
今どきの大学のバンドのギタリストたちは
そんなことを毎日して耳と指とセンスを磨いている。

それでもプロにはなかなかなれない。

だって、プロになるっていうのは
そんなに簡単なわけないもの。

当たり前みたいにテレビに出ている人たちは
ほんとうはみんな天才なんだ。
ふつうみたいな顔していても
神様が選んだ人たちなんだ。

誤解しないでほしい。
植田さんが天才じゃないなんて
誰も言ってない。

彼にわかってほしいのは
あなたはアイドルになりたいのか
ギタリストになりたいのかってこと。

植田さんには実のところ
アイドルになる才能があると思っている。
ならば、それを活かせる場所に行くべきだと思うんだ。

一方、真田さんは根っからのミュージシャンだ。
アイドルにはなれない。なんかお愛想ができなかったり
女の子が喜ぶような台詞を吐いたりできない。
でも、歌で彼はすべてを彼らしく語る。

そんな2人がいっしょにやっていくのは
やっぱり無理だと思うんだ。

いつもいつも植田さんに気を使っていた
真田さんを見るのはいやだった。
なんで?って思ったけれど
「彼はアイドルだから。」とかばってて
私は「どうして天才真田暎人がこんなに
気を使わないといけないんだ。すべて
彼が作っているのに。なぜ。」って


それでも、植田さんにもいいところはある。
そして真田さんが守ろうとする人だから
私も植田さんのいいところをもっと見つけて行こうと
思って来た。

でも、最近はもう限界だった。
どんどん下方に合わせて行く真田さんを
見るのが忍びなかった。

このようなブログを
植田さんが読まれたら
気分はよくないだろう。

でも、彼に気がついてほしいんだ。
誰も彼に言わないし、
彼自身も気がつかない。

彼にギタリストしての才能がないわけじゃないし
音楽で生きて行けないとも思わない。

今、一体彼に何を求められているかを
自分で気がついてほしい。


あ~もう終わったなんて思っていたら
一発お見舞いしたいぐらいだ。

植田さんが持ついいところ。
それは一体何か。
まずは自分でしっかりそれを見つけてほしい。
私にはわかっている。あなたのいいところ。
それに気がつかないのがまた歯がゆい。

ギターであえていうなら、
「summer movie」のあなたのギターが好きだ。
ドライブ感があって、湧き出る熱情が感じられて。

彼のブログへのコメントを読んでいると
「ギターが大好きです。」と山ほど書いてある。
で、ギターのどこが好きなのか?どのフレーズが好きなのか?
どういう弾き方が好きなのか?どういう曲のどのあたりが好きなのか?
誰も具体的に何も書いていない。そんな抽象的なことでは
彼には結局自分のどこがいいのかがわかり得ない。

ちゃんと具体的に言ってあげないと
彼の自信につながらない。
世界で一番彼のギターの音が好きというのなら
どういうところが世界で一番好きなのかを
言ってあげてください。


私は正直、彼はまだまだ発展途上だと思っている。
ジョン・フルシアンテにも
スティーブ・ヴァイにも
ブライアン・メイにも
まだまだぜんぜん近づいていない。

でも、そうじゃない弾き方で
彼しか弾けない弾き方で
多くの人を魅了することだって可能だと思っている。

それにはみんなが具体的にどこが好きなのかを
教えてあげないと。

それを繋ぎ合わせたら彼のオリジナルのギターワークが
肉付けされていくんだと信じている。


あと、ミュージシャンになることに命がけならば
自分の苦手なことにもあえて食いついて行けるはずだ。
歌が苦手なら歌うべきだ。どんどん歌うべきだ。
オペラをやっていた人が言っていた。
人間はだれしも音痴な人なんていないんだ。
生まれながらセンスがある人もいるけれど
訓練によってそれはどうにかなるんだって。

別に植田さんは音痴でもなんでも最初からないし
ただ、自分に自信がないだけで、最初は笑われたって
いいから思いっきり歌ってみればいい。
セックスピストルズだって上手くなんてなかった。
それでもパンクの王になったわけだ。

自分を捨てて
自分を認めるっていうのかな。

そこから新しい自分が見えてくる気がする。

私は真田さんのことはこれからもずっとミュージシャンとして
好きだし、彼の歌を愛し続けるけれど

一方で植田さんがもっと強くなって
「ほら、これが植田健一っていうアーティストだ!」って
見せつけてくれる日も待っている。

逃げちゃだめだ。
今逃げたら後悔する。
まずは「見返してやる!」っていう気持ちで
とにかく捨てちゃだめだよ。ただ、そこから
新しい夢も生まれてくるかもしれない。
そうしたら、そこに行けばいい。
ミュージシャンだけじゃなくて
人を幸せにしてくれる職業は案外
この世界にころがっているんだ。

信じてるからね。

君のどや顔が見れる日を。


ってことでここまで読んで下さった方
あまり期待にそえるような内容でなくて
ごめんなさい。

何を言いたいかもわからないかもしれない。

でも、私は言い訳よりロックンロールを
信じるタイプなんです。昔から。




コメント (4)
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Dear FoZZtone様

2011年11月01日 | FoZZtone
明日はいよいよ恵比寿LIQUIDROOMで
ツアーファイナルですね。

なんだか遠くにいるのにあなたたちの鼓動が聞こえてきそうです。
いろんな意味で長い長いツアーだったと思います。

昔の古い映画に「心の旅路」っていう白黒映画があって
CSかBSで見たことがあるのですが、
なんだか私にはこのLodestone Tourに
サブタイトルがつくとしたら
そんな感じじゃないかなって
勝手に思ってしまいました。

英語で言うとと「journey in spirits」って
感じになるのかな?

mind ではなく spiritを選んだのは
より深い人間の精神的な部分を表したかったのと
spiritにはウイスキーなどのお酒という意味があるので
ダブルな意味で考えました。
勝手にですが。

映画自体の原題は「Random Harvest」
というので、心の旅路とはぜんぜん違います。
でも「ふろぞいな収穫」っていう意味にも
何か深いものを感じます。

この映画自体もほんとうに心に滲みる
せつなく愛おしい映画でした。

私はこの長いツアーにおいて
たった一回しかライブに参加していません。

そのくせにこんなことを書くことを
このツアー中、たくさんライブに行かれた方は
なんだと思われるかもしれません。

でも、それが私の努力不足によってのもの
ではなく、そういう星のもとに生まれてしまって
抜き差しならぬ状態においての
全精力を結集した一回のライブだったのです。

それを「少ない」とかたずけられたら
目に見えないものしか信じない
カウントできるものしか信じない
そんな人なんだと思うだけで
私はいっこうにかまいません。
劣等感を感じたりはしません。

たった一度きりの私も
たくさん行かれた方も
同等にその手で音楽は掴めないんです。

そこにとどめて置こうなんて
思っても、何度見ても
そこに縛り付けておくなんてことは
できる人だれもいません。

それが音楽の平等性なんだと思います。

一回きりも
何百回も
同じ「最高」を心に残して
さっさと立ち去っていくのです。


明日のリキッドのファイナルには
そうはいっていても
真底行きたかったです。

その心の旅路の明日を
私もみなさんと同じ場所で見たかったです。

どんなセットリストであろうとも
そこで演奏され
歌われる全てが
そこにいるすべての人たちに
心から祝福されるのはわかっているのですから。

演奏し、歌う側も
今まで何度も流して来た涙を
♪に変えて、リキッドに
明日への虹をかけてくれることでしょう。

彼らのカヴァー曲の
「Over the rainbow」を思い出します。

想像し得る全てなら
到達し得る事であり
思い描いた夢ならば
いつか叶う
(渡會氏 訳)

私はFoZZtoneがこれからも
その詩のように
私たちに何かを見せてくれ続けると
信じています。


地方にいて
いろんな枷があって
ライブに行くことが
どれほど難しくても


音楽はすべてを

超えて
超えて

超えて

ここに届いてくれます。


だからきっと今のあなたたちの
ドキドキが感じられるのでしょう。

だっていつもあなたたちの音楽には
本物の血が通っているんですから。

とっても傷つきやすいけれど
とっても感情的になりやすいけれど
そんな音を私はまるで自分の血のように
感じてドキドキするのです。


明日が素晴らしい日になるのは
百も承知。

でも、そんなこと以上に
こうしてFoZZtoneというバンドに
出会えたことを幸せに思います。


そして、Missing massは生涯の思い出と
なるでしょう。あんなに多くの方が
見てくださり、そして評価して下さった方もいて
言葉もいただいて、本当にうれしかったです。

「君に届け」ではありませんが(笑)
私の思いが少し届いたように感じました。


あのMVはある意味
私からのFoZZtoneへのラブレターです。

ラブレターなので片思いのこともあるわけですが

私がどれだけあなた達の事が
好きか伝わったでしょうか?

ひとつひとつの場面はFoZZtoneの歌の言葉から
切り取って作りました。アルバムジャケットを
再現したところもあります。

だって、好きで好きでどうしようもないのですから
FoZZtoneの歌のすべてが。

賞をとれずしても
なおここに載せることをお許しください。

ラブレターっていうのはそんなにたくさん
そしてそんなに頻繁に書けるものじゃないから






さて、明日は空を見上げることにしよう。
同じ空の下、多くの思いとともに
幸せな音楽を風といっしょに聴くために。

















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