HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

朝が来る

2006年01月31日 | Weblog
最近変わった生活リズム。最初は朝早く家を出るのはつらいかと思ったけれど、なんだか気に入ってきた自分がいる。家を出たらまだ暗くて月が出ている。星も一番星ではなくて、夜明け前のいわゆるトリの星なんだろう。でも、同じ月でも夜見る月とは違って、すごく明るく見える。早朝に暗い部屋にぱっとついた電灯の光と似ている気もする。なんだか、一晩かけてこの天空やあるいはこの街が洗濯されたかのように空気が澄んでいて、いい匂いがする気がする。

電車に乗っているとだんだん空がグレイがかった水色に変わってきて少しづつ夜が明けてくるんだけど、今日は霧に街が浮いていた。ほわ~んとぼんやり浮かぶビルや家の屋根。全体にグレイブルーに支配されてはいるけれど、どこか優しい色。絵のような街が流れ過ぎる。

私の耳にはサリューの曲が流れ、その歌はその景色に吸い込まれて行く。

私は朝が似合う曲が好きだ。そして朝や夜明け前を詩にするアーティストが好きだ。朝を大事にする人はきっと一日を大事にするそんな気がするからだ。
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珈琲時光

2006年01月30日 | 音楽・映画・本
この映画は一青窈が主演の映画で、世界的名匠・小津安二郎の生誕100年を記念して、小津を敬愛する台湾の名匠ホウ・シャオシェンがオマージュを捧げて作った映画だそう。最初見た時は小津監督のオマージュとは知らなかったんだけど、なんとなく小津映画に撮り方が似ているな~って思ってみていた。あとからそんな記事を読んで、なるほどな~って納得。

全体的に『静』が支配していると感じるのが私にとっての小津映画。でてくる人もうるさくわめきたてたりしない。どこか控えめで無口な感じの人がよく登場する。そして日常のほんのひとコマを切り取って写し出して行く。ほんと静かに時間は流れて、大きなすごい事件も起こらない。

そしてなぜか電車と喫茶店がよくでてくる。

この『珈琲時光』もまさに電車と喫茶店・・・そして古本屋。すべてが揃っていて、しかも舞台は東京。現代なのになぜか昔風に見えてしまう。携帯電話やノートパソコンが出て来るのが不思議に思える。さらに台湾の監督が撮ったからか、どこか異国の国のようにも見えてしまう。そんな映画だった。

共演は浅野忠信。彼はほんとそこにいるだけで雰囲気があって、すばらしい。

この映画を見ていると不思議と街のにおいや人の体温、陽射しや古い本のにおい、あるいは珈琲の香りなんかが感じられる。まさに「温度」の感じられる映画だった。

小津映画にももちろん似ているんだけど、どこかフランスのエリック・ロメールの映画とも共通するものがあった。淡々と話が進んでいき、決して派手な美人が主人公ではなくて、素朴なピュアな雰囲気の女性が静かに自分を見つめて、そして愛を見つけていくあたり。

もちろん、そのロメール自身も小津映画に影響を受けているんだろうけどね。

映画も音楽と同様、万国共通の感情、人間の不変の何かを揺り動かすもんなんだね。

激しいアクションものが好きな人には退屈かもしれないけど、なんか心をまっさらにしたいな~って思う人にはいい映画かもしれない。

是非一度見てください。

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アール・ヌーヴォー

2006年01月29日 | スポーツ/芸術/コラム
今日テレビで「日本が生んだアール・ヌーヴォー」というスペシャル番組が天海祐希をナビゲーターとして放映された。思わず、用事をほっぽりだして見入ってしまった。

実はアール・ヌーヴォーは私の大好きなアートだ。それゆえスコットランドのグラスゴーのマッキントッシュに決して叶うことのない思いを抱いていたわけだけど、スコットランド以外にもヨーロッパあるいはアメリカにまで広がったアール・ヌーヴォーという芸術。でも、それは日本の文化に多大な影響を受けたものなんだ。

浮世絵や着物、寺院や町家いろんなものが影響を与えている。ゆえに懐かしさや日本の心もそこにあるわけだ。

ウイーン、ベルギー、フランスのナンシーなど、私がひとりでリュックを背負って、ジーパンでたずね歩いた場所が映って、ほんと懐かしかった。特にベルギーのオルタ博物館やら、ナンシーの美術館で見た着物の女性やちょんまげの町人とかが描かれたグランドピアノとかがまた映像を通して見れてうれしかった。

妙な話だけど、こういう美術館とかでは日本人であることがすごく誇りに思えたものだし、外国人の方も日本人である私にいろいろ話しかけてくれて、うれしかった。

グスタフ・クリムトやエゴン・シーレ、エミール・ガレにオルタ・・・そしてマッキントッシュ。皆日本を愛してくれていたんだな~って思うとほんとにうれしい。さらに皆、音楽を愛していた。ゆえに彼らの絵には音楽が表現されていて、それは最高のものとして描かれていた。

芸術って、ある意味、命の証明みたいなもののように思える。
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メジャーなメロディにマイナーな詩

2006年01月29日 | ELLEGARDEN
PVもはちゃめちゃでメロディも明るくて笑顔で歌っているんだけど、その歌詞は自分の辛い状況が綴られている。それが「Space Sonic」という曲だ。昨日書いた「サマータイム」と正反対だ。でもそのギャップというのが曲の深みを増すという点では同じなんだよね。

ELLEGARDENの細美さんはこれほどCDが売れて、インディーズでありながら、メジャー級になってしまった状況の中ですごく苦しんでいた。ノイズが彼を苦しめた。ファンを信じたいという彼・・・おそらく、冷やかしやあるいはつぶしにかかる人間もファンや音楽関係者の仮面をかぶって紛れ込んできているのを感じたからだろう。でも、彼はいろいろ悩んだ末、やっぱり信じようと思ったみたいだ。いっとき、飛び下りようかとも思ったそうで、それは結構ショックな話だ。

最近、人から聞いた話ではあるけど、オダギリ・ジョーとかもそういう渦にはまってしまったようでやはり「飛び下りそう」になっていたみたいで、ノイズの恐ろしさを知った。

私は何もできないわけだけど、

「あなたたちに救われて、勇気をもらって、苦しさもなんとか乗り越えられてきた」

と声を大にして言いたい。

細美さんはレコーディングの時には目の前にはマイクしか見えないわけだけど、このコードを通して目に見えない多くの人を感じるわけで、それは逆にリスナーの立場から言えば、この世の音楽はすべて自分のために歌われていると思うらしい。自分のために歌われるから救われるんだと・・・

もちろんすべてのミュージシャンがそう思って歌っているわけではないだろうけど、少なくても細美さんはそう思って歌ってくれている。そして、私の知るミュージシャンの人たちもそうだと信じている。

前にも書いたけど、ELLEGARDENを知った当時はほとんど周囲に知る人はいなくて(特に関西だったからだろうけど)CDショップでも探すのは大変だった。自分が好きなバンドが有名になると自慢もしたくなるだろうけど、私は実はそんなことどうでもいい。結局ブレイクしないままに終わったバンドであったとしても、あるいはなかなか知名度が上がらなくて地道にやっているバンドであったとしても、私が「好きだ」と思えることが一番大事であり、それをより多くの人に聴いてもらいたいと思うわけだ。

ゆえに、ELLEGARDENの曲を知った当時、音楽が好きな人で私が大事な人だと思う人たちにはしつこく言って聴いてもらった。頼まれもしてないのに勝手にプロモートしていたわけだ(笑)。

いい曲は多くの人に届くべきだ・・・これが私の音楽に対する純粋な気持ち。

細美さんはというかELLEGARDENのメンバーは皆お互いに~さんづけで呼び合う。お互いに尊敬の念があるからなんだろうね。でも、そんな中で細美さんは「自分は最低な人間だ」と劣等感を抱くことが多いと語る。あんな素敵な人なのにね。

私なんてなんにもないから劣等感だらけで仕方が無いんだけど、会社なんかでも「自分ってなんでこんなにダメなやつなんだ」って周りの人が眩しくみえて、余計に落ち込む事がたびたびある。さらにインディーズのライブなんかにいっても、そのミュージシャンと他のファンみたいに上手くコミュニケーションがとれなくて、やはり「ダメなやつ」と落ち込むことが多々ある。

でも、中にはそんな私のことを理解してくれて、接してくれるミュージシャンもいて、救われる。
ほんと、苦しい状況であっても、その歌や言葉で助け舟を出してくれて、なんとか踏ん張れる力をくれる。その見えない力を表現するのは難しいけど、細美さんの言葉を借りるなら「音楽って、どこまで行っても本気だ」というところから来るエネルギーなんだろうね。

「思って無いことを歌っていたら、1発でバレる」っていうこととイコールなんだよね。

とにかく、私自身は誠実なリスナーでいたい。

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言葉の利息

2006年01月29日 | Weblog
週末だとやっぱり夜更かしをしてしまう。最近仕事形態が変わったから、ほんと家で過ごす時間が寝る時間を差し引くと3、4時間しかなくなった。その間に料理作ったり、食べたり、かたづけたり、洗濯したり、お風呂に入ったり、あと次の日の用意をしたり(ってまるで小学生の時間割の準備みたいだね・笑)もろもろ用事をしているとあっという間に終わってしまう。ゆえにテレビもちゃんと見て無いというかニュースを流しているだけみたいになる。

それなのにブログを書こうとする私っておかしいのかな~って思ったりする。

用事の隙間にちょろちょろ書くわけで、見直したりしてないから次の日読んでみて、びっくりして訂正したりする。

実は私は子どもの頃は無口でどちらかというとあまり感情を表現出来ない子だった。ゆえに大学時代の私とか社会に出て、ついた職業とか今の仕事とかをその当時を知る人が聞くときっとびっくりすると思う。あの子がそんな話す仕事を・・・って(笑)

今だから思うのだけど、きっと小さい頃は言葉を自分の中にためていたんだと思う。そして感じたことも出せずにやはりためてたんだろうね。それが年月を得て、いつの間にか利息までつけて(笑)あまりにも膨れ上がってきたために、自分の中から出さないといけなくなったわけだ。このままではパンクしちゃうって・・・(笑)

だから、きっと空ッ欠になるまで言葉を出し続けるんだろうな~。赤字覚悟で(笑)

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サマータイム

2006年01月28日 | 邦楽
この前「スペシャ中学」でサリューが自分の音楽人生を決定付けた1曲ということで「サマータイム」という曲をあげて、それにまつわるエピソードを熱く語っていました。

彼女はとっても頭のいい人であり、また感性がとっても豊かな人なんだろうなって彼女の講議(この番組ではレギュラーのメンバーが何かについて語る時間が毎回あるんです・・・これがなかなかおもしろい)を聞きながら思いました。

「うたうことって」っていうテーマだったんだけど、彼女はこの曲でマイナーなメロディをメジャーな歌詞で歌うこと・・・悲しいメロディなのに前向きな歌詞を表現することでその奥行きの深さを表現し、それを歌うということの意味を感じたみたいです。笑顔で悲しいメロディにのせて前向きな詩を歌うってことはどんな感じなんでしょうね。笑顔で歌って人を泣かせる・・・すごいことです。

彼女はここでまた自分が楽曲をいっさい作らずに作曲家さんよりもらった曲をどういう風に表現するかという、いわゆるアーティストではなく職人なんだとも言っていて、そのことをしっかりと踏まえてこれからも「歌うこと」を大切にして、さらにいつか自分でも曲を作りたいと語ってました。

彼女は本物のシンガーなんだなあ~って思いました。

私はどちらかというと曲も自分で作るアーティストが好きだったけど、サリューと出会って、歌の力というのを知り、本当に新鮮に感じました。アイドルのような歌わされているという歌手ではなくて、彼女のためにできあがった曲をいかにすばらしく表現できて、何倍もすごいものにするかを常に考え努力している彼女・・・私は心から彼女の歌い方が好きです。

小林さんも彼女のいいところを本当に理解して、彼女の世界をしっかり曲にしていると思います。それももちろん小林さんの才能なんでしょうが、ある意味サリューの魅力が小林さんにそういう曲を自然と書かせてしまうのでしょう。無意識に彼女は人に自分の心を伝えて曲にしてしまっているんです。

彼女の語った「サマータイム」は私はジャニス・ジョップリンのバージョンしか知りませんでしたが、彼女はジャズのシンガーであるサラ・ボーンのを最初に聴いたようです。さらに彼女が勉強したところによるともともとは現代のクラシックの作曲家のジョージ・ガーシュインによる黒人を主役としたオペラの中のアリアだったそうです。ガーシュインといえば「ラプソディーインブルー」という有名な曲があり、これはジャズにすごく影響を与えているのではないかと思ってますが、よくニューヨークの映像なんかに使われています。そうイメージがニューヨークな曲だと私は思っています。おそらく、いろんな所で皆さんも聴いていると思いますよ。

サリューがいうには音楽にはジャンルなんてなくて、ほんとは太いところでそれぞれが影響しあって繋がっているんだと・・・まさにそうですよね。昔の曲が今に、そして未来にその子孫を生み出していくわけです。

シンガーとしてサリューはこれからますます素敵な職人アーティストになっていくのでしょうね。
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モーツアルト生誕250年

2006年01月27日 | 音楽・映画・本
今日はモーツアルトの誕生日だそう。私は実は隠れモーツアルトファン(笑)・・・って別に隠れる必要もないのだけど。ゆえに彼の生まれた街、オーストリアのウィーンやザルツブルグに行ったことがある。クリスマスあたりに行ったのだけど、寒さは今の日本よりはましだったような気がする。

さて、私が子どもの頃「この曲好きだ」と思ったのがモーツアルトの「トルコ行進曲」これがいたく気にいって、ピアノ弾ける人をつかまえては弾いてもらってた気がする。

モーツアルトというのはクラシック界のパンクだと私は考えている。はちゃめちゃですごい音楽を作ってしまう人。だからこそ、惹かれるんだろうな。

彼のオペラに「魔笛」というのがあるんだけど、それに出て来る鳥をつかまえるパパゲーノとパパゲーナというカップルがいるんだけど、この2人のシーンは結構喜劇で笑える。実は私の音楽の師はこのパパゲーノを演じたことがある。ピーターパンみたいな格好をして・・・ちょっと笑えたな~。

今日は寝る前にモーツアルトのセレナーデでも聴こうかな~
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空にはしごをかける

2006年01月26日 | 音楽・映画・本
ふたたび『東京タワー』だけど、読んで初めてわかったのがあれが巨大なテレビ塔だということ。この年にしてわかるとは・・・。それでもって、今の時代にはもう要をなさないようで、それゆえ取り壊しの計画があるとは・・・嫌だ!嫌だ!嫌だ!絶対に嫌だ!と私は心で叫ぶ。

実際のところ、まだ一度しか昇ったことがない。しかも幼稚園児の時以来一度もない。ゆえになんかすごく行きたくなった。昇りたくなった。昔見た景色とは違うかもしれないけど、もう一度東京を見渡したいと思った。

リリーフランキーは東京タワーから見た東京は墓場みたいだと本の中で言っていた。その表現を読んで、昔大学で勉強したジョセフ・コンラッドの小説を思い出した。『闇の奥』(原題『Heart of darkness』)というその作品で彼はベルギーの首都のブリュッセル(なぜか日本語訳ではパリになってしまっているけど)を墓場のような街というように表現していた。すっかり忘れていたのに『東京タワー』を読んで思い出した。それでもって、久々に洋書の方も岩波文庫の方も本棚から出してきた。開くといっぱいラインが引かれていた。そうそう、この言葉やフレーズが気にいったんだ・・・

この『闇の奥』を原作にして現代のベトナム戦争に置き換えて映画化したのがフランシス・コッポラ監督の『地獄の黙示録』だ。深く、深くジャングルに入っていく・・・そこには人間のエゴやどろどろした欲望が渦巻いている・・・そんな感じの映画であり、原作もアフリカが舞台だけど、不法な象牙取り(すなわちゾウを殺すわけだ)をモチーフにした、人間の心の闇を描くすごい作品だった。これを読むだけで、私がもしミュージシャンならイマジネーションがかなり刺激されて、1曲ぐらいできてしまいそうだ(笑)

私はコンラッドの小説が好きだった。自然を人間の心と重ね合わせていくその表現の仕方が深くて好きだった。読み終えた時、きっと何かを感じて、何かを得たそんな気がするだろう。是非、一度は読んでほしいな。

話がどんどん展開していってしまって、何を言いたいのかわからないと思われる人もいるでしょうが、許してください。

それで話はもどるけど、東京タワーはちょっと見たら、りりーさんも言ってるけど空にかかる「はしご」みたいに見える。今の時代ではそんなに高い建物ではないけど、あれに昇ったら、空にすごく近づく気がする。

聖書の中にバべルの塔という章というか、エピソードがある。それは人間が神に近づきたくて、高い高い天まで届く塔を建てようとした。しかし、それが神の怒りにあって、崩され、それまで共通の言語をもっていた人間たちに話が通じないようにいろんな言葉をしゃべらせるようにした。ゆえに英語やら日本語やらイタリア語やらができたという、そんな話だったように記憶している。

高校がカトリック系だったので、聖書の時間があったので、聖書は全部ではないけど、ちらちら読んだ。結構、おもしろいんだよね。英文学を勉強すると、どうしても聖書のエピソードはいろいろな場面で比喩として出て来るので参考文献の1つとして大事になる。

あっ、また話がそれた。

私にとって、青空のもとにそびえる東京タワーの印象はやっぱり楽しいサーカスのはしごのイメージだな~。

あ~行きたいな、空にかかるはしごを見に・・・

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ちょっと修正

2006年01月26日 | Weblog
昨日書いたブログの一部をちょっとだけ修正した。なんか悪くない人を責めているような書き方をしてしまっているのに気付いたから。そう、何も悪くない。私の自己満足の世界なのにね。ごめんね。って・・・ここを読んではないと思うけど。とにかく、ごめん。
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『東京タワー』

2006年01月25日 | 音楽・映画・本
リリーフランキーという人は不思議な人だ。もともとはイラストレーターとして認識していたんだけど、結構文章も書いていた人なんだね。最近は「ココリコミラクルタイプ」に出ていたり、NHKでアニメ化された「おでん君」という漫画を描いていたり、安めぐみさんと「リリメグ」というユニット組んで歌ったりとほんと多才な人だ。ふんわりした安めぐみさんのことは前にもこのブログで書いたけど私は好きで、この2人はお似合いだな~って思う。年令はかなり離れているけどね。

そんなリリーさんが書いた、今もベストセラーの『東京タワー』これを今日やっと読み終えた。「泣ける」というのが宣伝文句のようで、『世界の中心で・・・』とか『今、会いにいきます』とかの類いかと思ったら大間違い。同じ泣けるでも違う。

リリーさんの「泣ける」気持ちは万国共通、世界中のどの国の人もあるいは命あるものはすべてもつかもしれない「気持ち」なんだよね。誰しもが絶対に経験する「涙」がそこにあった。だから、押し付けがましく無く、でもぐっと出てきそうな涙をこらえてしまうような言葉がそこに散りばめてあるんだ。

おかん・・・そうお母さん。なんか私自身の母ともダブることがあった。

人が来たら「お腹すかせているだろう」といつもごちそうを振る舞うおかん。

私の母もそうだ。今も健在だけど、自分も年なのに「老人のためのレストランを作りたい」なんぞ言って父を困らせている。ひとりぼっちの老人にご飯を食べさせたいそうだ。でも、そんな資金はまったくない。

私が子どもの時も社会人になっても、誰かを家に連れて来ると必ず何かを作って友達なんかにふるまってくれた。近所の人にもいまだにおすそわけといってお惣菜をいろいろ作ってもっていく。私が会社の人とテニスをして結構たくさんの人がちょっと休憩に立ち寄った時も夕食を作って皆にごちそうしてくれた。そんな家だから、食器数も多いし、炊飯器もでかい。そして、料理の腕もかなりのものだ。ほんとうは料亭の女将なんかになりたかったようだ。でも、サラリーマンの父と結婚して、しかも途中父の病気のために苦労して、そんな夢は叶うはずなかった。

できの悪い子もこうしているからね(笑)

リリーさんのおかんのエピソードを読んでいて、私の母も福岡だし、リリーさんとこも福岡だから、なんか共通するものがあるのかな~って思った。

私自身はそんなに料理の達人ではなく、ふつうのものを作るばかりだけど、やはり遺伝なのか人に食べさせたいというのは昔からあるようで、大学の時は彼と遊園地に行く時はカフェに寄ればいいのに、お弁当持参でいって、遊園地のベンチでその彼はお昼を食べることになったわけだけど、迷惑だったかな~。「おいしい」とは言ってくれたけど・・・どうなんだろう。今となっては聞く術もない。

近所の小学生が家が留守で外で待っているのを見て「お母さんが帰るまで家で待ってたらいいよ。」(よく知った中なので大丈夫なんです・念のため)といって、家でフレンチトーストを作って食べさせてあげたりしたし、先生時代は生徒が来るたびになにやら作って食べさせていたな。

別にすごい料理ではないんだけど・・・というか簡単なものばかりだったけどね。

そんな私がインディーズバンドを知ってまだ間もない頃、ついついリリーさんのお母さんの言葉をお借りするなら「インディーズバンドの人は皆お腹すかしちょる」ではないけど、そう思いはじめるとどうしようもなくなり、一度だけ作ってもっていったことがあった。

しかし、この頃のインディーズバンドの中にはそんなに飢えている人もいないわけで、失敗したかな~ってすごく落ち込んだ。きっと全部は食べてもらってないんだろうな~。って思うと悲しかった。

迷惑だったかもしれない。そんなにまだ知らない人からの手料理なんて気持ちのいいもんじゃないものね。でも、衛生管理はかなりしっかりしていると自分では思っているんだけど・・・

とりあえず、ひとりでも食べてくれたのなら、私は幸せだ。その人に「食べてくれてありがとう」って言いたいな。

話がそれたけど、この『東京タワー』に出てくるお母さんは本当に素敵な人だ。私は絶対にこういう人にはなれないけど、この本を読んでいるとなんか希望がもらえるんだ。不思議だけど・・・

子どもを愛し、そして別居してほとんどいっしょにいなかったのに生涯ずっと旦那様を愛し続けたリリーさんのお母さん。苦労があってもなんか明るいイメージの人・・・もちろん本から感じたイメージだ。好奇心なんかも結構旺盛な人だったんだと思う。

評判どおりというかそれ以上に私にとってはいい本だった。

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