6月10日(土)晴れ夕刻一時雨【純情】
中国人の友人から、先日感激した話として耳にしたこと。それは中国の西の方に住んでいた若者の話である。彼のフィアンセが癌のために亡くなってしまった。若者はフィアンセの両親に一週間尽くした後、フィアンセのお墓の前で命を絶ったということである。
このことについては、賛否両論があろうと思うが、常に世の中には何事にも賛否両論がつきまとう。私は賛成とも言えず、反対とも言えないが、この純情については心うごかされるものがある。若い人がこういう話に感動することは、かえって好ましくさえ思う。この頃は、若者たちの純情、特に恋における純情はどうなったのかと心配さえしていた。
一昔前は失恋したら一人しょんぼりとしたり、自殺しようかという若者さえいたのに、最近はこの頃冷たくなったとか、見向きもしてくれないとなると、その相手を刺してしまうという恐ろしい事件を耳にすることが多い。いったい恋の純情はどうしたのかと時折に心配していた。歳をとってから大学院に入ったので、若者たちと触れ合う機会は多少はあったが、大学院生ともなると恋愛も落ち着いているようで、純情を感じるような恋愛をしている若者たちとは触れ合うチャンスもなかった。
この中国の若者のように、最愛の相手を失ってその後を追う、というような話は新鮮でさえある。"RIGHT PERSON(まさにふさわしい相手)"はこの世に生まれてくるときに約束して生まれてくる、と大学生の頃ヨーロッパの友人に吹き込まれて、私もその説を信じていたのであるが、どうも出会えなかった。いや、出会えたのかもしれないが、私が愚かであったのだろう。
まさにこの人と思える人に出会えて、婚約までして、先立たれたとき、躊躇なく後を追えることは幸せとさえ言えるかもしれない。残された家族は悲しいには違いないだろうが、天国で二人は結ばれている、と思えることは救いだろう。
たまたま井波律子先生が編集された『中国の名詩101』(新書館2005年刊)を読んでいたら、妻を失った悲しみを詠んでいる次のような詩に出逢ったので、紹介させていただきたい。
「悼亡詩トウボウシ」 *カタカナは振り仮名です
如彼翰林鳥 彼の林に翰トぶ鳥の
双棲一朝隻 双棲ソウセイなるも一朝にして隻セキなるが如く
如彼游川魚 彼の川に游ぶ魚の
比目中路析 比目ヒモクなるに中路にして析ワカたるるが如し
春風縁鄛来 春風 鄛スキマに縁ヨりて来り
昃霤承檐滴 昃霤シンリュウ檐ノキを承けて滴シタタる
寝息何時忘 寝息シンソク何の時か忘れん
沈憂日盈積 沈憂 日びに盈積エイセキす
庶幾有時衰 庶幾コイネガわくは時に衰うる有らんことを
荘缶猶可撃 荘缶ソウフ猶お撃つ可し
訳
あの林を飛んでいる鳥が、二羽で棲んでいたのにある時突然に一羽になってしまったように、
あの川を楽しげに泳いでいる魚が、並んで比目の魚のように泳いでいたのに途中で別れ別れになってしまったように、(私たち夫婦も別れ別れになってしまった)。隙間から入ってくる春風に身を震わせ、軒から滴る夜明けの雨だれに(一人)聞き入る。眠ってはいても忘れるときは無く、深い憂いは日々に積み重なっていく。願わくはいつの日か妻を失った悲しみがやわらぎ、荘子が缶を叩いて歌を歌ったような日が来てくれることを。
これは潘岳が、亡くなった妻を思う哀切の情を詠った詩である。
このように想える妻を持った幸せと、想ってもらえた妻の幸せというものが伝わってくる。長じても思い合う樣子が、純情な少年、少女のようなご夫婦がいるが、どちらかが先立たれるとより一層そのご夫婦の結びつきの強さを感じるような場合が多いように思う。
江藤淳氏のように、最愛の夫人の後を追って逝ける幸せもあるだろうが、老いた親や責任のある立場にある人はたとえ後を追いたくても許されないだろう。やがては必ず帰るのであるから、その時が来るまで、この世に生き続ける勇気をお持ちいただきたいと願う。屋根の上に一羽の鳥が止まったら、それは先に逝った人が心配して見に来てくれているのかもしれない。この世で比翼の鳥であったなら、必ずまた比翼の鳥になって天を駆けめぐる日が来るのではなかろうか。
それぞれの純情の表し方があるだろう。純情を表せる相手のいる人の幸せに祝福を。たとえ今は天地に別れているとしても。
気の重い話の多いこの頃、中国の若者の話から潔イサギヨい純情に思いを馳せたことである。
*潘岳:(247~300)西晋の文学者。美男子であったそうで、彼が洛陽の道を通ると、女性が競って果物をその乗り物に投げ入れたといわれている。(今見つけられないが、たしか女性の愛の表現は果物を男性にあげることであり、男性は宝石の玉ギョクをお返しする、ということを読んだ記憶がある。)多くの詩文を作ったが、特に哀傷の歌が多い。その最期は誣告されて処刑された。
*悼亡詩:悼亡はもともとは死者を悼む意味。潘岳の詩によってもっぱら妻だけを対象とするようになった。
*比目:想像上の魚。雌雄それぞれ片方の目しかなく並ばないと泳げないとされる。「連理の枝」「比翼の鳥」とともに仲の良い夫婦の喩えに使われる。
*荘缶猶可撃:荘子が妻を亡くしたとき、友人の恵子が弔問におとずれたところ、荘子は盆を叩いて歌っていた。恵子の非難に対して、「人の死は季節がめぐるように、当たり前のことだ」と答えた、という話をもとに作られた一句。
**以上道坂昭廣氏の解説による。
*江藤淳:(1932~1999)漱石の研究が名高い。評論家。小説家。慶子夫人が癌で亡くなった翌月、自ら命を絶つ。次のような遺書を残している。「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳」
中国人の友人から、先日感激した話として耳にしたこと。それは中国の西の方に住んでいた若者の話である。彼のフィアンセが癌のために亡くなってしまった。若者はフィアンセの両親に一週間尽くした後、フィアンセのお墓の前で命を絶ったということである。
このことについては、賛否両論があろうと思うが、常に世の中には何事にも賛否両論がつきまとう。私は賛成とも言えず、反対とも言えないが、この純情については心うごかされるものがある。若い人がこういう話に感動することは、かえって好ましくさえ思う。この頃は、若者たちの純情、特に恋における純情はどうなったのかと心配さえしていた。
一昔前は失恋したら一人しょんぼりとしたり、自殺しようかという若者さえいたのに、最近はこの頃冷たくなったとか、見向きもしてくれないとなると、その相手を刺してしまうという恐ろしい事件を耳にすることが多い。いったい恋の純情はどうしたのかと時折に心配していた。歳をとってから大学院に入ったので、若者たちと触れ合う機会は多少はあったが、大学院生ともなると恋愛も落ち着いているようで、純情を感じるような恋愛をしている若者たちとは触れ合うチャンスもなかった。
この中国の若者のように、最愛の相手を失ってその後を追う、というような話は新鮮でさえある。"RIGHT PERSON(まさにふさわしい相手)"はこの世に生まれてくるときに約束して生まれてくる、と大学生の頃ヨーロッパの友人に吹き込まれて、私もその説を信じていたのであるが、どうも出会えなかった。いや、出会えたのかもしれないが、私が愚かであったのだろう。
まさにこの人と思える人に出会えて、婚約までして、先立たれたとき、躊躇なく後を追えることは幸せとさえ言えるかもしれない。残された家族は悲しいには違いないだろうが、天国で二人は結ばれている、と思えることは救いだろう。
たまたま井波律子先生が編集された『中国の名詩101』(新書館2005年刊)を読んでいたら、妻を失った悲しみを詠んでいる次のような詩に出逢ったので、紹介させていただきたい。
「悼亡詩トウボウシ」 *カタカナは振り仮名です
如彼翰林鳥 彼の林に翰トぶ鳥の
双棲一朝隻 双棲ソウセイなるも一朝にして隻セキなるが如く
如彼游川魚 彼の川に游ぶ魚の
比目中路析 比目ヒモクなるに中路にして析ワカたるるが如し
春風縁鄛来 春風 鄛スキマに縁ヨりて来り
昃霤承檐滴 昃霤シンリュウ檐ノキを承けて滴シタタる
寝息何時忘 寝息シンソク何の時か忘れん
沈憂日盈積 沈憂 日びに盈積エイセキす
庶幾有時衰 庶幾コイネガわくは時に衰うる有らんことを
荘缶猶可撃 荘缶ソウフ猶お撃つ可し
訳
あの林を飛んでいる鳥が、二羽で棲んでいたのにある時突然に一羽になってしまったように、
あの川を楽しげに泳いでいる魚が、並んで比目の魚のように泳いでいたのに途中で別れ別れになってしまったように、(私たち夫婦も別れ別れになってしまった)。隙間から入ってくる春風に身を震わせ、軒から滴る夜明けの雨だれに(一人)聞き入る。眠ってはいても忘れるときは無く、深い憂いは日々に積み重なっていく。願わくはいつの日か妻を失った悲しみがやわらぎ、荘子が缶を叩いて歌を歌ったような日が来てくれることを。
これは潘岳が、亡くなった妻を思う哀切の情を詠った詩である。
このように想える妻を持った幸せと、想ってもらえた妻の幸せというものが伝わってくる。長じても思い合う樣子が、純情な少年、少女のようなご夫婦がいるが、どちらかが先立たれるとより一層そのご夫婦の結びつきの強さを感じるような場合が多いように思う。
江藤淳氏のように、最愛の夫人の後を追って逝ける幸せもあるだろうが、老いた親や責任のある立場にある人はたとえ後を追いたくても許されないだろう。やがては必ず帰るのであるから、その時が来るまで、この世に生き続ける勇気をお持ちいただきたいと願う。屋根の上に一羽の鳥が止まったら、それは先に逝った人が心配して見に来てくれているのかもしれない。この世で比翼の鳥であったなら、必ずまた比翼の鳥になって天を駆けめぐる日が来るのではなかろうか。
それぞれの純情の表し方があるだろう。純情を表せる相手のいる人の幸せに祝福を。たとえ今は天地に別れているとしても。
気の重い話の多いこの頃、中国の若者の話から潔イサギヨい純情に思いを馳せたことである。
*潘岳:(247~300)西晋の文学者。美男子であったそうで、彼が洛陽の道を通ると、女性が競って果物をその乗り物に投げ入れたといわれている。(今見つけられないが、たしか女性の愛の表現は果物を男性にあげることであり、男性は宝石の玉ギョクをお返しする、ということを読んだ記憶がある。)多くの詩文を作ったが、特に哀傷の歌が多い。その最期は誣告されて処刑された。
*悼亡詩:悼亡はもともとは死者を悼む意味。潘岳の詩によってもっぱら妻だけを対象とするようになった。
*比目:想像上の魚。雌雄それぞれ片方の目しかなく並ばないと泳げないとされる。「連理の枝」「比翼の鳥」とともに仲の良い夫婦の喩えに使われる。
*荘缶猶可撃:荘子が妻を亡くしたとき、友人の恵子が弔問におとずれたところ、荘子は盆を叩いて歌っていた。恵子の非難に対して、「人の死は季節がめぐるように、当たり前のことだ」と答えた、という話をもとに作られた一句。
**以上道坂昭廣氏の解説による。
*江藤淳:(1932~1999)漱石の研究が名高い。評論家。小説家。慶子夫人が癌で亡くなった翌月、自ら命を絶つ。次のような遺書を残している。「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳」
風月庵様、純文学の世界ですね~。感動しました!何にも差し上げられませんけど・・・
私のような性格のものには、何ですか・・・化石を見るような思いです。世の中の男女が皆、その様な方達ばかりであったら離婚率は低いのでしょうね。
CMでさえ、「一生物の結婚式」とかやっているのですから、今の時代には結婚式は、場合によっては2度目、3度目もあるぞと、と言う前提の下に行われているのでしょうか?
もう少し書き直したいところがあります。またチラッとお目をとおしてみてください。
月曜日の法事は滅多にないのですが、今日はたまたま頼まれまして、法事をさせて頂きました。仲の良いご夫婦のご主人の三回忌でした。
このようなブログを書いた後でしたので、私も感じることが更にありました。