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『法華経』メモ「譬喩品」四聖諦

2019-03-07 12:11:16 | Weblog

3月9日(土)【『法華経』メモ「譬喩品」四聖諦】

今朝は、朝霜が降りて、土の部分が白くなっていました。やはりまだ3月ですね。昼からは暖かくなってきました。今日は、総代会があり、今年、お寺にとって、特に工事をしなくてはならない個所について相談しました。またいろいろと書類の提出を促す手紙などが、宗教法人の中心からきていまして、住職はじっくりと本を開く時間が少ないです。さて、そのようなことばかり言っている暇があったら、少しでも学びましょう、と自分を奮い立たせています。

「譬喩品」に書かれている四聖諦(ししょうたい)ですが、「譬喩品」というと「三車火宅の譬え」がメインですが、ここでも四聖諦(ししょうたい)が説かれています。なんといいましても、初期仏教の中心教義の一つです。釈尊の初転法輪(しょてんぼうりんーお悟りになってから初めての説法)の内容は、四聖諦とされています。

いかにして人々を真の悟りに導くか、悟りとまで言わずとも、いかに幸せに導くか、それぞれの人生を、まことに幸せ、と言えるような日々に導くために四聖諦は夜道を照らす灯りであると言えましょう。四聖諦は四諦とも表現しますが、耳に聞いて「したい」というのはどうも響きがよくないと、私の意見で恐縮ですが、ここでは四聖諦と統一して書きます。

さて、四聖諦とは、苦諦・集諦(じったい)・滅諦(めったい)・道諦という4種の真理のことです。苦諦は迷いの存在は苦であるという真理、四苦八苦(生老病死・愛別離苦・求不得苦・怨憎会苦・五陰盛苦)。集諦はこれらの苦が起きる原因についての真理、それは渇愛にあるとされる。滅諦は苦の滅する真理、渇愛が完全に止滅した状態。道諦は滅諦に導くための真理、八正道(正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)の具体的な実践徳目。

さて、「譬喩品」における四聖諦を説いている鳩摩羅什訳の漢訳部分は次のようである。

若人小智 深著愛欲 為此等故 説於苦諦 衆生心喜 得未曾有 仏説苦諦 真実無異 若有衆生 不知苦本  深著苦因 不能暫捨 為是等故 方便説道 諸苦所因 貪欲為本 若滅貪欲 無所依止 滅尽諸苦 名第三諦  為滅諦故 修行於道 離諸苦縛 名得解脱 是人於何 而得解脱 但離虚妄 名為解脱 其実未得 一切解脱   仏説是人 未実滅度 斯人未得 無上道故 我意不欲 令至滅度 我為法王 於法自在 安穏衆生 故現於世  汝舎利弗 我此法印  為欲利益 世間故説

(若し人小智にして 深く愛欲に著せる、此等の為の故に 苦諦を説きたもう。衆生は心に喜んで 未曾有なることを得、仏の説きたもう苦諦は、真実にして異なること無し。若し衆生有って 苦の本を知らず 深く苦の因に著して 暫くも捨つること能わざる。是等の為の故に 方便して道を説きたもう。諸苦の所因は 貪欲を本と為す 若し貪欲を滅すれば 依止する所無し。諸苦を滅尽するを 第三の諦と名づく。滅諦の為の故に 道を修行す。諸の苦縛を離るるを 解脱を得と名づく。是の人何に於いてか 而も解脱を得る。但(ただ)虚妄を離るるを 名づけて解脱と為す 其れ実には未だ 一切の解脱を得ず。仏、是人は 未だ実に滅度せずと説きたもう。斯の人は未だ無上道を得ざるが故に。我が意にも 滅度に至らしめたりと欲わず。我は為(こ)れ法王にして 法に於いて自在なり 衆生を安穏ならしめんが故に世に現ず。汝、舎利弗よ 我が此の法印は 世間を利益せんと 欲するが為の 故に説くなり。)

しかし、苦縛を離れただけでは、それは単に正しくないことへの執着から解放されただけのことだから、真の解脱を得たとは言えない、真実 無上道を得させるために、衆生に安楽を得させるために、仏は出現なさった、と、この後に説かれています。

私は、八正道の実践さえ十分ではありません。正語についても、昨日、滅茶苦茶ひどい暴言の独り言を言いましたら(偉いと言われている僧侶に対しての暴言ですが)突如スマホが機能しなくなりました。天は見ています。

*今日は、ここまでといたします。おそらくここまでお読みくださった訪問者の方はいないと思いますが、もしいらっしゃったら、と思い、猫ちゃんたちの写真をお楽しみください。)

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