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『法華経』「譬喩品」メモ 罪の報い?

2019-03-16 10:00:23 | Weblog

3月16日(土)晴れ【『法華経』「譬喩品」メモ 罪の報い?】

(この覚書は、自分自身の学びのための一文ですので、もしご意見などありましたら、ご教授ください。)

「譬喩品」の後の部分に、次のような偈文があり、大変に疑問を感じました。

若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種 或復顰蹙 而懐疑惑 汝当聴説 此人罪報 若仏在世 若滅度後    其有誹謗 如斯経典 見有読誦 書持経者 軽賤憎嫉 而懐結恨 此人罪報 汝今復聴 其人命終 入阿鼻獄

若し人信ぜずして 此の経を毀謗(きぼう)するときは 則ち一切 世間の仏種を断ぜん 或は復顰蹙(ひんしゅく)して しかも疑惑を懐かば 汝は、当(まさ)に 此の人の罪報を説くを聴くべし 若しくは仏の在世に 若しくは滅度の後 其れ斯くの如き経典を誹謗(ひぼう)するもの有りて 経を読誦し 書し持つ者有るを見て 軽賤(きょうせん)し憎嫉(ぞうしつ)して 結恨(けっこん)を懐かば 此の人の罪報を 汝、今復(また)聴け 其の人、命終れば 阿鼻獄(あびごく)に入らん。

以下、この経、つまりこの教えを誹謗したりする者は、阿鼻地獄におちるだけではなく、もっといろいろとひどい目に遭うことが書かれているのであるが、そのようなことを釈尊がお説きになったとは思えない。この個所以降は、後の者の創作ではなかろうか。すべての衆生をお救いになりたい、すべての衆生は仏になることができる、と説かれた釈尊が、自分の教えを信じない者は、ひどい目に遭うなどと、お説きになるはずがない、と思う。

私がこのように思える根拠は、法華経の散文個所と偈頌の個所は、成立時期が違うということを教えていただいたこと、また法華経の教えを説いて回った説教僧がいたということ、このようなことを辛嶋先生の講演で教えていただいたお陰です。また、友人のF博士も、後の者が付け足した創作であろうという意見でした。

よって、たとえ経典とはいえ、そのまま鵜呑みに信じてはならない、と思うのである。            辛嶋先生は、「譬喩品」の偈頌の部分は『法華経』の古層、前一世紀に書かれたであろうと、解説なさいましたが、この内容にまで触れる時間がありませんでした。

とにかく釈尊は、自ら文章をお書きになったわけではありませんので、後の者が書いた経典には、注意が必要ではないでしょうか。日常においても、恫喝を畏れて、萎縮して生きないようにしたいものです。

(罪の報いでジャッカルや犬にも生まれ変わると書かれているが、ボクもその報いで猫でしょうか????)

#『法華経』

#「譬喩品」

#罪の報い?