昨日は山の会の月例登山。足利市の最高峰・仙人が岳。最高峰といっても標高は662m。上り口は標高200mであるから、途中上り下りがあっても累積標高差は500mほど。歩行時間は5時間程度、むつかしくはない、と考えていた。
8時20分に到着する電車で足利市駅に全員が集合。借用したrent-a-car2台の運転手を務める私とKさんは、手はずを整えて駅前で待っていた。登山口へ向かう。岩切の駐車場付近のサクラは5分咲きというほどに咲いている。ソメイヨシノではないのかもしれない。梅も花開いていて、山の春は一斉にやってくるという気配。私は昨年の2月にここを歩いている。その時の感じでは猪子峠までがすぐであったように思ったのに、今日は30分近くもかかる。先月末からの痛風以来、八重山諸島に旅はしたものの、山らしいところは歩いていない。私にとってはこの春の初山行、体が慣れていないのだろうか。皆さんの歩調は快調である。
猪子峠には「赤雪岳への登山路が崩落して通行止め」と地図を掲げて表示してある。ここから仙人が岳を回って赤雪岳に下山するルートをとる人もいるのであろう。そこから上りにかかる。ジグザグに道をとりながら急斜面を登る。猪子トンネルの上を通るところで、赤い花が咲いている。ツツジだとKwrさんがいう。ミツバツツジだろうか。葉は一葉もなく、濃い赤の蕾が今にも開かんとたくさんついている。その先には花が開いている。蕾と異なり、明るい赤に白い花びらも混じって大きい。さらに日当たりのいい上の稜線では、その木の花が全部満開という状態。暗いスギ林を過ぎて枯れ木ばかりの冬枯れの木立の中に赤い色を付けたこの花は、いかにも際立つ。小さいスミレが2輪足元にあった。後方の人たちは「アシカガスミレ」と名づけて、喜んでいる。標高429mの地点を過ぎてひと休止する。約1時間半。風はない。曇り空がほどよく、汗もかかない。急斜面で黙々と歩いていた人たちも、おしゃべりが出てくるほどに気持ちがほぐれてくる。そのうち鼻歌も交じるようになった。子犬を連れた若い男二人が勢い良く登ってきて、追い越してゆく。
登山路の途中に「トレイル・マラソン 3/27(日) ご協力ください」と、ビニールの覆いに包まれた掲示が掲げられている。四日後の日曜日だ。どこからどこまでのマラソンかはわからないが、春の陽ざしを受けて走るのだ。そういえば昨年ここを登ったときに、トレイル・ランニングのトレーニングで上ってくる若者二人に出逢ったことを思い出した。彼らはほんの小さなリュックを背負って、半袖姿ではなかったか。生不動尊からのルートが迷いやすく困ったとこぼしていたなあと、不意に細かいことが思い浮かぶ。
標高511m、猪子山山頂。東の下方に大きなダムが見える。松田川ダム。猪子トンネルを抜けた先に設けられた足利市の水源である。遠方に赤雪岳も見える。ここを歩いてわずか1年にしかならないのに、私はほとんどこのルートのことを忘れている。たしか「犬返し」と名づけられた小さな岩場があった。稜線はだんだん細くなって、小さな岩を乗っ越すように歩かなければならない。正面の大きな岩が重なり合って屹立するのが居に返しかと思っていたが、近づいてみると、傍らの崩れた小石を踏みながら登る急斜面。こんなものではなかった。
それを過ぎたところで、岩場はあった。鎖もついている。だが私は、鎖を離れて右の方へどんどん上る。岩は垂直に近くなる。手がかり足掛かりはある。だが、最後のところを登るときに、女の人の身の丈と手足の長さではここはちょっと難しいかな、と思う。そこで、違ったほうを覗いてみると、下にあった鎖はこの上部までつながっていて、それをたどると、それほどスタンスを大きく取らなくても上ることができる。声をあげて、そちらへ方向を変えてもらう。私の後に続いて中間地点に来ていたKwさん夫妻が、左へトラバースして先頭で上がってくる。最後のところも上手にクリアする。「あなたの上がったルートを直登するのは、俺には無理だよ」とKwrさんは言い、「いやあ、面白いねえ」と嬉しそうだ。この緊張感がたまらないという風情だ。
でも下にいる人たちは、10mほどの岩場にしり込みしている。Kさんが途中まで登って、「そこを左、その岩角に足をかけて、そう、右手で岩をつかんで……」とガイドしてくれている。一人ずつ、Kさんのガイドに従って岩にとりつき、鎖をもち、岩角をつかんで這い登ってくる。顔は緊張感に包まれて引き締まっている。いい顔だ。「岩場があるから怖い」と言っていたOkさんが、上がってくる。上について、「やったあ」と声をあげる。「何よ、こんなの登れないわよ」と愚痴っていたMrさんも、上からみている限りでは、さほど難しくなくクリアする。「Kさんは神様です」と、Kさんのガイドをほめちぎる。あとの人たちは、手際よく登って、達者であることを示している。誰かが「さっきのイヌは越えたのかなあ」とつぶやいていた。
地理院地図には山名はほとんどないのだが、一つひとつのピークに、「維の岳500m」とか「宗の岳530m」と、小さなプリンタから打ち出した山名がビニール袋に包まれて木立に縛り付けられている。その「宗の岳」でお昼にする。11時半過ぎ。先ほど通過してきた岩場のことが話題になる。優しいエスケープ・ルートもあるはず、と誰かが言う。栃木百名山というガイドブックに書いてあったらしい。「ならば、それを探せばいいのに」と口を挟む。「だって……」と、リーダーである私が先へ行っているのに口を挟むことはできない、と言いたいのであろう。私はそういうエスケープルートがあることを知らない。それを通過するのが難しいと思った人が自ら調べて、安全な道をとるのは必要なことだ。それをリーダーのせいにしては、我が身は守れない。
「妙義山のときは安全確保のカラビナなどもあったし……」という。「自分に必要なモノだったら、ご自分で購入して使うようにするものですよ」と付け加えながら、そうだ私がこの山の会のガイドをつづけていてなんとなく釈然としなかったのは、私に頼りきりで、独り立ちするような気配をみせない会員がいたからだと、ふと気づいた。「退会しろってことでしょ……」とどなたかがぼやく。「違う、違う。退会しろなんて言ってない」と言いながら、(私は案内人になりたくないのだ。同行者になって一緒に山を歩きたいのに、私を案内人にしたてる構えが嫌なのだ)と、私自身の内心が見てとれたような気がした。
標高50mほどを下ってさらに100m上るようにして、「知の岳561m」に着く。そこから5分ほどで「熊の分岐」、生不動尊からの登り道と合流する。「← 仙人が岳 20分」とある。Kwrさんが先頭になって山頂を目指す。6分ほど歩いたところで、「(山頂は)ここじゃないの?」と振り返る。山歩きのときには、時間の感覚は体の疲れの感覚に応じてしまう。わずか6分で20分歩いたように感じているのだね。そういうペースを体に覚えさせることも、一つの技法だなと思う。17分で「赤雪岳との分岐」につく。「← 仙人が岳 0.3km」と表示してある。「行こう、行こう」と、腰を下ろした先頭を追い越して頂上に向かう。なだらかな稜線は落ち葉に包まれてふかふかと歩きやすい。だが、周りの木々の根本は黒々と焼けた跡を残している。去年は気がつかなかった。この山のずいぶん広い部分が焼けてしまったようになっている。倒れている木もある。渓の下を覗くと、切り倒された根株が何本も切り口をさらしている。焼けたから切り倒されたのか、延焼を防ぐために切り倒したのかわからないが、その谷の向こう側の斜面の木々も、根方が黒々としているから、延焼防止には役立たなかったと見える。新しい実生がかなり背丈を高くしているから、数年は前のことかもしれない。私も、何も見ないで山を歩ているんだなあと、去年のことを思い出していた。
山頂でもおしゃべりをして賑やか。「神様のKさん」の足のふくらはぎ筋肉が固い、「触らせて」と女性陣がワイワイやっている。アスリートの彼の体脂肪率は「8か9。近頃は二ケタになった」と。あと3月ほどで後期高齢者になるという。彼の話を聞いてほかの方々も、元気を回復しているようだ。風が出てきた。下山にかかる。
先ほどの「熊の分岐」まで15分で戻り、そこから先頭をOkさんに行ってもらう。彼女はさかさかと急斜面を下り、後続との距離が開いてしまう。「早すぎるよ。速度違反、後方注意義務違反」とMrさんが言い立てる。生不動尊で一度合流し、今度はMsさんが先導してまたどんどんと先へ下る。Sさんがニリンソウの花を見つける。後から行く私が、それをカメラに収める。と、斜面にカタクリの葉を見つける。上へと目を移すと、上方に花が一輪咲いている。先行する人たちに声をかけるが、沢の水音に消されてか届かない。枯葉を踏んで斜面を上り、それもカメラに収める。
里の感じが漂う頃、ツバキの花が、みずみずしい常緑の緑の葉に囲まれて、咲いたばかりの新鮮な赤色をみせている。傍らには今にも咲かんとする蕾がいくつも出番を待っているようだ。サクラもほどなく満開の風情。畑の梅は終わって、実をつける用意が整っている。2時半、駐車場に着いた。先着の皆さんは、荷物を片付け、4月からの山歩きの話をしている。
下山中に話の出た「お花見」をすることにした。今月末頃が満開の見ごろになる。Kさんがチーズフォンジュをつくるよという。私がワインとフランスパンを用意することにした。Kwさんが松山のヤキトリを手に入れてくるといい、すぐにそこで、日取りを決めて森林公園で行うことになった。
さあこうしてはじまる、5年目の山の会、山歩講。私を山案内人から解放してくれるだろうか。