mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

最果ての「ふるさと」を訪ねて(3) 西表島は未開の魅力、石垣島は「ふるさと」と決別

2016-03-21 08:22:11 | 日記
 
 西表島の宿の食べ物には、与那国島と違って、野菜がたくさんあった。豊富という感じではなかったが魚の刺身もあって、おいしかった。聞くと魚がとれても魚市場がないから売れないから、取れすぎるとご近所に配って食べてもらうそうだ。島の人たちは買うくらいなら自分で海にとりに出るというわけである。サトウキビも育ててはいるが、平地には田んぼが結構多く、広い水田を造成しているところもみた。水田では二期作というが、ふと目を留めた「いりおもて」という銘柄の泡盛はタイ米を使ってつくっていると知った。とすると、ジャポニカではなく、インディカを育てているのかもしれない。「いりおもて」は43度、試飲でも飲んだが、甘みが強く生のままでおいしいと思った。島の人の話では、畑で農産物が取れるのは冬場、夏場は暑すぎて作物は実らないのだという。与那国島でも感じたことだが、野菜をつくっているのをみかけなかった。やはり全部、石垣島から運ばれるのであろうか。
 
 西表島の三日目の朝、9時半には仲間川クルーズの船に乗っていた。40人も乗れば一杯の平底の舟。平屋根のほかはビニールに錘をつけて舟縁へ垂らして、雨避けにする。雨が落ちて来なければ巻き上げて周囲がよく見えるように工夫している。天気は曇り空、時々雨が落ちてくる。私たちは雨具を着ていたので、そうでない一般客5人には前の方に座ってビニールを垂らしてもらい、私たちは小雨と風にうたれながら川を遡上していった。ここも川幅は広く、河口部は500m以上の広さを持って海につながり、強い風雨に波が逆立っていた。マングローブの森をみるというクルーズであったから、河口部は速い速度で通り過ぎ、肝心なところはゆっくり通るという心遣いを船長がしてくれた。もっとも、船長はバスの運転手でもあった。つまり、同じツアー会社現地事務所の職員で、車と船も操るという仕事ぶりだったわけだ。この船長は鳥にも詳しく、目が良い。止まっているカンムリワシを見つけては指さしたり、水辺の立木の上に止まっていたアオアシシギを見つけて教えてくれたりした。ここでもマングローブの説明を聞き、みごとな実生の育つのをみたが、そこが小魚の揺り籠になったり、水の浄化作用をしているというのも、面白い自然の循環だと思った。引き潮になりつつあって土がむき出しになったマングローブの林床を駆け抜けるシロハラクイナやシロチドリの姿などは、乗船している鳥観の人たちが探し出す。
 
 上流部に小さな船着き場がある。上陸して、付設された木道を30mほどたどると、大きなサキシマスオウノキに突き当たる。大きな板状の根を周囲に張り巡らして、周囲が10mもあろうかという巨大な幹を支えている。板根と呼ばれる根っこも、まっすぐ伸びているのではなく、くにゃくにゃとねじ曲がって途中で何枚にも分かれる。幹にくっつくところの板の高さは、優に2mは超える。樹齢400年というから、江戸幕府が開かれたころからの時がたつ。その脇には、300年物、200年物と思われる大きなサキシマスオウノキもあれば、まだ数十年しかたっていないと思われる若いのもある。これをみるだけに日帰りで西表島に来る人がいると聞いて、さもあらんと思った。
 
 実際この上流部の船着き場にいたのは25分くらいなのだが、その間に何隻もの船が着き、定員いっぱいの人たちが降り立ち、ぞろぞろと木道を歩いてくる。交わされる中国語がかしましい。押し出されるように私たちは舟に戻り、さかさかと出発する。100mはあろうという川幅も狭いかと思うほど、登り下りの船がすれ違う。ウィークデイだ。これほどの人たちが訪れれば、観光業も十分やっていけるだろう。だが、私たちが立ち寄っているのは、西表島のほんの一部だ。西表島を縦断する1泊2日の山越えツアーもある。私たちは舟に乗ったが、川をカヌーでさかのぼるのも、一日を使うコースに組み込まれている。そうして、手つかずの原生林と渓が島の大部分を覆ってひっそりと沈黙している。西表島を描いた池上永一の小説『統ばる島』の章は、行方不明になる探検隊の話であった。魔物が棲むと伝承されているという御嶽(うたき)に拠る神々が登場していたっけ。それを不思議と思わない不気味さを、この島の自然は湛えていると感じた。
 
 仲間川クルーズから戻って大原港から石垣島へ渡る舟を待つ。港にクロサギがいるというので、双眼鏡でのぞく。クロサギの白いのだという。まるで詐欺にあったようだ。と、隣にクロサギの黒いのもいると、鳥友が見つける。いる。クロサギの白いのがなぜコサギやチュウサギでないのかも教えてくれたが、忘れてしまった。いやはや、面白いというか、奥が深い。鳥友たちは、船を待つ間に「鳥合わせ」をして、このたびのあいだに何種の鳥を観たかをチェックしている。80種を超えているというが、あいにく私は、その区別を見分けるほどの腕前には遠いから、「数」は耳を素通りする。
 
 風が強く船が出るかどうか心配したが、「なに、港は波が静かだから船は出るさ」と言う件のキャプテンの説明が、ワケがわからないながら説得的であった。船は出た。高速船は高い波の上を渡るようにピョンピョンと飛び越してゆく。北西の風が蹴立てる波を船に吹き付けて、左側に座っている人の脇のプラスティック板を叩くようにしぶきをあげる。座っている人たちは船酔いを避けるために、はやばやと眠っている。竹富町の島々が波間に揺れて見える。ほんの30分ほどで石垣島の港に入り、静かな走りに変わる。
 
 そうそう、西表島で小さなキノボリトカゲをみた。木の幹に張り付いている。擬態のつもりなのだろうが、虫の専門家の手にかかると、すぐに見つけられてしまう。ほんの3センチの小さなトカゲも面白いと思った。モグラもいた。雨の後であったから、土に水が入り込んで住処を追われたのであろうか、地面に這い出て、慌ててコンクリートの道路を駆け抜けていった。シロハラクイナが車にはねられて横たわっていた。すぐわきまで行って写真を撮ったが、歩いているときの大きさに比べると、一回り縮んでしまったように思った。イリオモテヤマネコも夜間に交通事故に遭うことが多いそうで、それらが出てくる道路には直線路なのに、凸凹が設けられていて、車が走るとガタガタと音を立てるようにしている。その音でヤマネコに、出てくるなよ危ないぞと警告しているのだと、ガイドの運転手が話していた。自然を売り物にするのであればとも思うが、そうではなくても、この原生の自然の中に人類が少しばかり住まわせていただくのであってみれば、その程度の遠慮はしなくちゃなるまい。そういう思いをもって、もう一度訪ねてもいいところだと、思った。
 
 石垣島は、やはり中心都市だ。港からホテルまで大きな荷物をもって歩くのはたいへんと、タクシーを使った。ワンメーターが430円。部屋に荷を置いてすぐに、海辺の探鳥に行く。何しろ、陽が沈むのが東京より1時間ほど遅い。7時前なのだ。もっともその分朝が暗く、6時50分頃にやっと日が昇る。石垣港は、中国か台湾か香港の(中国語を大書した)大型の客船が停泊している。その他の貨物船などの出入りする港が、いくつもの防波堤に仕切られて、延々と続く。その切れたところに、砂州があり、潮加減によるが、水鳥が寄り集う。ホウロクシギ、コチドリ、シロチドリ、ウミネコ。水鳥とは言わないがカワセミも今回初の登場だ。海辺にいるイソヒヨドリやキセキレイもツグミも見かける。カラムクドリの群れが飛び交う。シロガシラも群れている。スズメをみたのは久しぶりだ。翌日も、朝から飛行機の出発する3時ころまで、バスで案内してもらって、シギやシギ、チドリをみて回った。中心都市とは言え、車で10分も走ると、田んぼのあるすっかり郊外に出てしまう。
 
 こうして、鳥観の旅は終わった。石垣島の夕食は、マグロの店・石敢當のある店というところでの、今回初の宴会。石敢當は、魔よけ。実際には道路の曲がり角に設えて、車が飛び込んでこないように石で作っている。このたびの主宰者は、こういう宴会が好きなのだ。そして久しぶりにおいしいマグロをいただいた。赤身、中トロ、大トロと握りもうまかったが、ことにマグロの兜煮は8人でつついて十分すぎるほど食べでがあった。石垣島が八重山諸島の中心都市として君臨している「実力」を見せつけられた気がする。ふと、竹富町の町役場のことをタクシーの運転手に尋ねた。
 
 「ほらっ、この石垣市の市庁舎に同居していたんだがね、今年西表島に移るんだ。同時にね、石垣市の市庁舎も新設されて別のところに移るから、今、大騒ぎしているよ。」
 
 と、勢いのある声が帰ってきた。石垣島は、3年前の新空港の開港を機に、いま上り調子の気分を湛えているようであった。もう「ふるさと」と決別しているのかもしれない。(終わり)