mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

生きるエネルギーの源

2019-05-05 09:50:48 | 日記
 
 角田光代『笹の舟で海をわたる』(毎日新聞社、2014年)を読む。図書館の「今日返却された本」の書架にあって目に止まった。この人の作品をいつか読んだ覚えがある。そう思ってこのブログを検索してみたら、 2015/7/18に「毎日がお祭りでは苦しくないか」で、角田光代『私の中の彼女』(新潮社、2013年)を読んだ感想を、印象深く記している。どんな話であったか、すっかり忘れている。
 
 『笹の舟…』は、敗戦のころ11歳くらいの、学童疎開体験を共有する二人の女性のかかわりあう半生を、1995年ころまでにわたって描いたもの。ふと思ったのだが、ここに登場する主人公たちは、この5月に退位した上皇と同じ歳になるのではないか、と。とすると、彼女らの見聞きして育った風景と昭和・平成と駆け抜けた時代とが重なって、イメージできる。角田という作家がそこまで狙っていたかどうかはわからないが、この作品に書き込まれた昭和の終わり、平成のはじまりというのを「時代の変化」として一般化することにもドライブがかかると思った。
 
 学童疎開体験が、この二人にもたらした悲惨と紐帯を、戦後が落ち着いてからの出逢いに絡ませ、記憶していることと忘れていることとを対照させ、さらに二人の生き方にかぶせて、その体験が生きていく力になっているかどうかを最後に問うかたちにもっていくストーリー。その主人公の思いに起こる変化と、物語りの運びに私は、人の持つ「原罪」が生きるエネルギーの源に転化する流れを、この作家が見つけたように思った。しかしそれは、川の流れに浮かべた笹の舟で海をわたるように、たよりなくもあやうく、はかなくもちっぽけな人生に過ぎないわねと、やはりこの作家の見極めた諦観というか自己認識に、行き着いていると思った。
 
 実際に思い出すことだが、私が結婚して借家に住まうことになったとき、ソファを買って家へ運び込んでもらったときに、なぜか激しく気持ちが動揺して、運んできた家具屋さんに持ち帰ってもらったことがあった。何に私の心もちが揺さぶられたのか、そのときもわからなかったし、今でもわかったわけではないのだが、角田のこの作品を読んで、幼いころの自分を裏切っているという感触が、私自身を襲ったのではなかったかと、いま思う。
 
 自分を裏切る。私にとっては、戦中戦後の食糧難と悲惨な体験を、高度経済成長の時代になった自分がすっかり忘れて、いい気になっていると身体が拒絶反応を起こしたのであったか。「笹の舟…」もまた、昭和前期の悲惨を学童疎開とその間の東京大空襲によって家族を亡くしてしまうことに象徴させて、戦後の経済成長と高度消費社会と一億総中流という思わぬ暮らしの変化を味わっていくなかで、戦争を悲惨を忘れ、いつしかそんなことなどなかったかのように思い振る舞う自らの「悲惨」をじっと見つめる。まだやっと50歳を少し過ぎたばかりというこの角田光代が、たぶん彼女の親の世代の生きるさまを見て、この作品を制作したのではないかと思う。そのようにして私たちは、親世代から受け継いだものをわが身に移し替え、それをエネルギーの源にして生きるしかないという祈りを込めていると、わたしは受け取った。
 
 わたしは、作家・角田光代の親の世代に近い。おまえは、戦中戦後の幼いころの体験をエネルギーに変えていきているか? そう問われると、わからない。ただ、「わたし」が生まれてくる始原からの、系統発生的・遺伝的・文化的継承物の上に「わたし」が載せられており、このわが身に乗り移っていると思う。それが「笹の舟」に過ぎず、果てしなき混沌の海に漕ぎだしてきて、今ここに揺蕩っていることを実感している。
 
 代替わりをしてつい先ごろ天皇になったばかりの「彼」が、親の世代から何を受け継ぎ、何を忘れて振る舞うかということと相通ずる物語りにもなると、変換してやっと、「笹の舟」は、一般化した物語りになるのだろうか。とすると、「彼」と私たちの原体験の違いがどうであったのかも、そのにおける「悲惨」が全く質が違うものであった(であろう)ことをどう変換・算入するのか。そんな埒もないことを、お祭り騒ぎの喧騒の中で考えたりしている。

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