mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

無菌室の中の子どもたち(3) 「事態」を抽象化する次元

2016-12-26 19:11:52 | 日記

 12/9と12/12に「無菌室の中の子どもたち(1)」と「無菌室の中の子どもたち(2)」をアップしたまま、気移りして放っておいた問題をとりあげたい。

 ある地方都市の市立中学校の4階の窓から一人の少女が転落した。自殺未遂であった。転落した少女aが半年ほど前からグループをつくっていた少女bとcとの「人間関係のもつれ」が主要因とわかったが、それをはたして「いじめ」と言えるのかどうかを問題としてきた。市会議員が父親の同意を取り付け、「いじめ」として市議会で問題化し、マスコミがそれに乗じた。その経緯をレポートしたRさんの話を聴いていて、どの場面で「モンダイ」を取り上げるかによって、どんどん「事態」が抽象化されて行ってしまうと、私は感じた。「事態」の起こった中学校においては、転落した少女aの救急搬送と家庭への連絡、警察への報告と手配をすると同時に、市の教育行政当局に報告している。この段階では、少女aとともに、彼女と悶着のあった少女bとcから教師が事情を聴いている。

 ここ(学校現場)では「事態」に具体的に即している。3人の少女たちの振る舞いを知っている教師たちが、彼女たちからだけでなく、クラスの他の生徒たちからも事情を聴き、少女bやcに対するカウンセリングも(親の同席を含めて)開始している。同時に学年保護者会を開いて「事情説明」を行っている。ところが教育行政当局は、その「事態」収拾の進行の報告を受けながら、少女aとその保護者への接触を行おうと試みているが、踵と腰の骨折治療中のaとは(精神的に不安定)との理由で、精神科の医師からの許可が出るまで事情を聴くことができなかった。しかし教育行政当局としてマスコミ向けの記者会見もしなければならない。

 だが、少女aばかりかbやcに関するプライバシーの保護もしなければならない。マスコミは具体的に詳細を「公開せよ」と迫るが、少女aがグループをひきまわしておおよそ「いじめ」を受けるとは考えられないという同級生や教師たちの「証言」を公表することなど、できようはずもない。つまりマスメディアは、自殺未遂をした当事者に何の瑕疵もなかったと前提して、取材し、記事を書く。中には書けないと記事化するのを断念する記者もいるのであろうが、デスクがそれを許さないこともあろう。つまり社会全般の「既成概念」に従って物事の因果を当てはめて、物語りをつくりあげる。となると、文科省の「いじめ」概念の通り、「当人がいじめられたと言えばいじめ」といういうのに従って教育行政当局も「事態」を説明し、「公開」するほかない。自ずから抽象化される。

 そうこうするうちに、転落した3月が終わり学年は改まり、当事者たちも3年生になる。ところが新学期に、転落事故を起こしたのとは別の学年の女子生徒が、やはり2階のトイレの窓から身を投げて、自殺未遂事件を起こした。マスメディアは当然大きな話題にする。しかしこちらは、転落した女子生徒は(その後も)「事情説明」を拒み家族もそれに同じたため、マスコミ的には報じられなかったのだが、それだけにいっそう、入院加療中の少女aにメディアの関心は集中することになり、それがのちの「いじめ」としての訴えになったのであった。

 年度替わりに教育行政当局に勤務することになった職員の一人が、じつはその中学校の女子教員であったことが幸いしたと、Rさんの話でつづく。女性職員に少女aとの接触を担当してもらった。「女性にしかわからないことって、あるんだね」とRさんは感嘆する。a自身のカウンセリングを含みこみながら、彼女の心うちを解きほぐし、人と人との「かんけい」を内省的に振り返るやりとりをしていった結果、ほどなくaは、「自分もいじめていたけど……」といくらかは自分を対象化してみる視線を身に備えるようになり、やがて教育行政的には第三者委員会を設けたこともあって、そちらに「事態」は預けられ、後日の「報告」を待つようになった、という。

 さて問題は、「事態」がどのような次元で俎上に上がっているのかと、私たちは考えなければならない。そのときしばしば、既成概念に寄りかかって、亡くなった人や自殺を試みた人を悪く言わないという社会風潮を、「儀礼」としては認めても、「事態」の解明には役立たないときっぱり見切りをつける必要があると、私は受け止めた。メディアだけではない。教育行政当局も「ただ頭を下げればいい」という事態収拾を行うのではなく、言葉にはできないが子細に入り組んだコトがあると、子どもの成育をふくめて社会的な規範を共有する必要があると思った。そのためには、もっと率直に、しかし、公表はできない「子どもたちのかんけい」をしばらく胸中に溜め置くという、おとなの社会的余裕をつくりあげていきたいと思う。


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