mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

夏至の動態体調、定点観察

2024-06-22 07:46:18 | 日記
 昨日(6/21)は夏至。昼が一番長い日。一年前に「夏至の動態感覚」を書いている。山歩きの疲れが歯のぐらつきになり、体調の劣化につながっていると老化を慨嘆している。今年はペースメーカーを入れたこともあってか、今のところ体調は万全。山歩きの意欲もゆっくりだが湧いてきた。
 ただ、体力の衰えとバランス感覚の衰弱は如実だから、昔日のように調子よく歩くわけには行かない。ぼんやりしていて、道を間違えたりもしている。山を歩くと、危うい足元に集中して、他のことを考えることがない。それを瞑想と呼んで、山歩きの最大の悦びとしてきた。
 だがそれが、迷走になっていると、このところの山行に感じている。どうしてかは、わからない。何度も歩いたことのある、勝手知ったるところという慢心が、迷走の初発の契機かと自己診断しているが、それも高齢化に伴う心身劣化の徴候かもしれない。
 ご近所の月例飲み会があった。皆さんの意気軒昂なお喋りに乗せられてか、ワタシもあれこれとお喋りをした。今朝になって、随分いい加減なことをいってたと気づいて身が縮こまる思いがしている。赤城自然園で見たサンショウクイをサンコウチョウと言ったりした。キビタキの声を聴いたのが5月であったのに、つい先日のことであったように口にしている。いや、お恥ずかしい。逆にホトトギスや、カッコウ、5月のツツドリの声を聴いたことをとんと忘れていた。このところ週一くらいで行っている山のことと自然園や秋が瀬公園や見沼田圃のことが皆ごっちゃになっていたりする。ちゃらんぽらんである。
 うん? ちゃらんぽらんって、いつか調べたことがあったなと、気持ちが移る。やはり一年前、デジタルの厳密さに振り回されて辟易しているヒトを取り上げて、もっと「ちゃらんぽらんに」と主張している。
 そのときAIに「ちゃらんぽらんの語源は?」と訊ねて、こんな回答を受けとっている。
《「ちゃんぽらん」という言葉の語源は、諸説ありますが、有力な説は「ちゃらほら」が変化したものだと言われています。「ちゃらほら」の「ちゃら」は「でたらめ」「嘘」「でまかせ」の意味で、「ほら」は「ホラ吹き」の「ホラ」と思われます。いいかげんで無責任なことや人を表す言葉として使われています》
 なんと「恥ずかしいワタシ」そのものではないか。でも一年前には、それを恥ずかしいとは受けとっていない。むしろデジタル時代に振り回されるヒトを揶揄って、誇らしげにこうつけ加えている。
《ははあ、恐れ入りました。いいかげんで無責任なことや人か。/ソンナヒトニワタシハナリタイ?》
 と。ははは。今年はこうつけ加えよう。
「なってるやんか、もう。」