mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

9年ぶりの山

2024-06-02 09:13:03 | 日記
 鳥沢駅を歩き始めたのは8時10分頃。線路を間において南の方に今日登る山が見える。山は上の方を雲に隠している。今朝ほどまでの雨が湧き立つ雲になっているのであろう。高畑山へ向かうのは、どうも私一人のよう。陽ざしが差しているが、空気は涼しい。
 民家を過ぎようかというところで、道いっぱいに広がった大きなトラックが来ていて、足止めを食らう。10トントラックだそうだ。
「何を積んでるの?」
「砕石です」
 そうか、どこかの道路工事にでも必要なのだろう。なんとそれが、断続的に3台もやってきた。その都度、道の広いところを見つけて身を寄せる。運転手が片手を挙げて挨拶するけど、住宅の屋根に荷台が触れやしないか気を遣っている。カーブを曲がるときには、大きく迂回し、そういうところには交通補助員が立って誘導している。
 30分ほどのところに小篠貯水池がある。9年前に歩いたのは3月だったが、ここにオシドリもいた。ところが、いま水は全くない。底を干し上げてユンボで工事をしている。トラックも入っているようで、要所に鉄板をしている。飲み水の水源地といっていたが、防災を施しているのかもしれない。
 ここから山道へ入る。「峠道文化の森入口」と標識が立つ。それで想い出した。ここを真っ直ぐ「穴路峠」へ上がると昔の都留郡秋山村に出る。南北集落の往還の道であった。でも沢に沿ったそれを行かず、途中から道を分けて山体に取り付いて高畑山に向かう。分岐点にかつては小さな地蔵があったが、今回はそれを見過ごしたのかわからなかった。広葉樹が大きく背を伸ばし、明るい空からの陽ざしが緑色の光を地面にもたらして、初夏の山を演出する。大きな倒木が道を塞いでいる。広がる枝を避けて少し上へ上がり、幹を跨いで乗っこす。急登が平らかに変わり山体を撒くように上る。それがまた急登になるのは2時間ほどのところ。山頂まであと30分ほどだ。
 下の方からチリチリという鈴の音が聞こえる。私より一本後の電車で来た人が追いついてきたのかな。たぶん若い人。ほぼコースタイムで歩いている私に、20分くらい後の電車できて、山頂手前で追いつく。そうだよなあ、それくらいこちらが歳をとったってこと。
 上から降りてくるアラカンの男がいた。今日の私のコースを逆に歩いている。
「それにしても早いですね」
「7時頃に駅を出ました。上りの沢がひどかったですね。雨のせいでしょうね、すっかり濡れていて、滑りやすくて大変でした」
 後の人が追いついてこない。山頂に着いた。青息吐息で登り着いたところで、眼前に富士山が大きく見える。それが、ここを案内する私のウリだったが、山頂の樹木が大きく成長して、富士山を見る隙間がほんとに小さくなっている。そこには雲が湧いている。
 逆コースの二人目アラカンがやってきた。倉岳山でも見えなかったという。
「むこうはね、富士山が見えるのを待ってる人が沢山いましたよ」
 と笑っている。私の後からの人は、まだ来ない。
 稜線を歩いて、次の穴路峠へ向かう。半ばでまた、逆コースの男の人と出会う。25分で「天神山頂876m」に着く。ほどなく穴路峠に着いた。ここが「峠の道文化の森」と称される集落往還の道である。ここから私が歩くコース、倉岳山を経てもう一つの峠から駅へ辿るのもまた、峠文化の道であると、掲示看板を見てわかる。
 倉岳山へは落差150mほどの結構な急登を上る。こういう急登はゆっくり歩一歩を運ぶことで間違いなく進む。達成感が実感できる。稜線へ上がったところで女性の二人連れに、
「鳥沢へはこちらでいいの?」
 と聞かれる。それしか道はないはずだが、何を迷っているのだろう。これは、あとで昭文社地図「高尾・陣馬(2014年版)」をみて、わかった。倉岳山の山頂部から北へ破線で下山路が描かれ、穴路峠から鳥沢駅へ至る道に合流するルートがある。そうか、それで迷っていたのか。
 20分ほどで倉岳山に着いた。3組、8人ほどの人たちがそれぞれに座を占めて、皆さん南方面に向いてお昼にしている。11時半。私もお昼にする。富士山は見えないが、その方向の樹木は背が低く開けている。手前に見えるのは御正体山だろうか。大きな山体が黒っぽく立ちはだかる。その向こうは厚い雲が立ち上がり、ちょうど富士山の姿にまとわりつくように高く伸びる。青空もみえる。
 ここで30分もお昼時間をとった。沢山いた人たちも、あとから高畑山方面からやってきた人たち3人も、皆さん梁川駅へ降りていった。何だ、この山の往復なのかと思ったが、帰宅後、先述の昭文社地図を見ると、倉岳山のところには「秀麗富岳12景」と赤字で記してあり、高畑山にはそれが、ない。
 おや? そちらにもあったんじゃないか?
 改めて撮った山頂の写真をみると、高畑山のには「大月市秀麗富岳12景 9番山頂」とある。なんだ同じじゃないか。9年前の記憶では、高畑山の方が眺めが良かった。しかし、印刷物には敵わない。倉岳山が標高990m、高畑山は982m。このわずか8mの違いも、倉岳山を際立たせ、高畑山をおまけの山のように見せてしまうのかもしれない。
 12時下山にかかる。少し行って、おや? 道を間違えたかなと気づいた。yamapの地図を見る。たしかに少しズレて北の方へ向いている。修正する。上から降りてくる人がいる。
「もっと左の方ね行くようですよ」
 と、上を指さす。彼もそこから元へ引き返す。
 こうして、ほぼ後ろから来る人がいないかと思うほど私が最後の下山者のようになった。
 立野峠に到着。山頂から45分かかっている。迷って20分近くロスしたってことか。峠の標識には「梁川駅→1時間10分」とある。
 そうか? もうちょっとかかったんじゃないかと思うが、定かでない。それに10分くらい多くなってもどうってことないじゃないか。
 歩きやすい。ところが下の方、沢を渡るところでアラフォーの女性が立ち往生している。山頂でお昼にしていたとき、高畑山方面からやってきた方だ。
「どうしました?」
「これ、梁川駅へ下る道ですよね。でも・・・」
 沢を渡るところで、どちらへ行けばいいのかスマホ地図では分からないらしい。
「あなたyamapを使ってますね。こんなところでは地図よりも、ほらっ、向こう岸の踏み跡が何処にあるかをみて・・・」
「あっ、あれですね」と、指さす。
「そうそう、沢のルートファイディングは少し先を見て探すのがいいですね」
 そこから、彼女を先に立て、私は後ろを歩くように歩く。アラフォーとみたが、50歳。子育てが一段落し、このところ週1のペースで中央線沿線の山に足を運んでいるそうだ。ご近所の山歩きの達者たちに教わりながら、一人でこうして歩く。面白くなってきたところという感じだ。彼女はストックなし、私はストックをついた四輪駆動。それがちょうどペースがあって、結局、駅まで同行するようになった。
 標識の案内よりも5分多くかかっていたが、着いて5分で高尾行きが来て、15時半にはうちに帰り着いていた。
 そうそう、電車に乗って本を読もうとしたら、ポケットに本がない。そればかりか、一緒に入れておいた眼鏡もない。あっ、落とした。それも山の中だ。はて、何処だろうと思い返すが、たぶん足を高く上げる急斜面の上りにちがいない。道に迷ってところか。う~ん、今さら、と臍を噛んだ。
 9年ぶりの山。まさに緑に浸る感触。さほど疲れも感じず、いや教は、快適登山だったと思っていたのに、何という不始末。本は図書館から借りた本。早速今日、図書館へ行って、どうしたらいいか聞かなければならない。