mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

戦争はヒトの本性に由るのか?

2024-06-14 13:52:14 | 日記
 メールマガジン「現代ビジネス」に《「ひとはなぜ戦争をするのか」――フロイトが出した「身も蓋もない答え」》というエッセイが載っていた。ライターは片田珠美(精神科医)と肩書きを持つ。
 なんという大構えの「テーマ」であろうか。イスラエルによるガザ地区への軍事行動を入口にして問うているから、現代の戦争を意識していることは間違いない。ヒトの本性として戦争に向かう気質があると考えて、こういう「テーマ」を掲げるのであろう。精神科医という職業の専門性が、そういう問いを発しているのだとしたら、とことんその「本質性」を限界と考えたほうがいい。「本質性」を限界と考えるということは、イスラエルとかロシアといった臨床的な事象の探求には向いていないということだ。
 良く問うことは良く答えることであるという俚諺がある。現代の戦争の「原因」を探求するのにヒトの本性を持ち出すのは、却って「原因」をうやむやにしてしまう。こう問うくらいなら、いっそうのこと「原因など探っても意味がない」と予め言いおいた方がいいと思うくらいだ。新味のないテーマにつまらないアプローチ。つまらない問いを発し、その答えに「身も蓋もない答え」と感想を記す。「割れ鍋に綴じ蓋」という俚諺を思い浮かべ、あっ、いや、意味するところは逆だなと思い、苦笑いした。
 ここで読みやめても良かったのだが、「われわれ人類が21世紀になっても戦争をやめられないのは一体なぜなのかという疑問」を抱いて、アインシュタインとフロイトの遣り取りを取り上げる。いかにも「精神科医」という領域の人のやりそうなアプローチだと思う。そう思いつつも、フロイトがどう応じたろうと興味が湧いて、読み進めた。
 何でも国際連盟の依頼に応じてアインシュタインはフロイトと往復書簡を遣り取りしたらしい。
《アインシュタインは「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」というテーマを選び、フロイトに問いかけた。この問いに対して、エロス的欲動と破壊欲動に関する議論を展開した後、フロイトが導き出したのは次のような結論である。「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない!」》
 と紹介する。自分の仕掛けたつまらない問い(の罠)に、落っこちた感じ。
《身も蓋もない結論で、暗澹たる気持ちになる。これでは答えにならないと思ったのか、フロイトは次のような言葉で結んでいる。「文化の発展を促せば、戦争の終焉ヘ向けて歩み出すことができる!」》
 WWⅠに辟易していた当時の気分からは、フロイトのように応じるのが精一杯であったろう。それを、この精神科医は、次のように評す。
《フロイトの結びの言葉は幻想的願望充足であり、文化がいくら発展しても、人間から攻撃的な性質を取り除くことは難しいのではないかと思わずにはいられない。もちろん、文化の発展を促すことは必要だが、それによって人間の攻撃的な性質がすべて消えてなくなるわけではないだろう》
 なるほど、戦争の原因を「人間の攻撃的な性質」に求める無意識が表出する。それこそ「文化の発展」を通じて、どう社会を穏やかな関係につくることができるかへと展開する話に持ち込むことができる。でも、「ヒトの本性」とリアル戦争とを直に結びつけて解析しよう何てことを、人間の内面のメカニズムで考察しようとする(無意識の)職業病のせいか、媒介項の「文化」をどう扱っていいかわからないで立ち往生した気配である。
 最後にこのライターは《それを忘れず、どうすれば実害を減らせるかを常に考えながら・・・》と結論へ向かう。「実害を減らす」だと。ははは、笑うしかないね。
 自問し自滅する前に、フロイトの「幻想的願望充足」の1938年というユダヤ人がドイツで置かれた立場を考えて、受け止めてご覧よ。哀切な、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいと思いましたね。