mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

すべてを「いただいています」と感謝したくなる

2016-05-28 09:31:08 | 日記
 
 ダニエル・チャモヴィッツ『植物はそこまで知っている』(矢野真千子訳、河出書房新社、2013年)を読む。副題は「感覚に満ちた世界に生きる植物たち」。原題は「WHAT A PLANT KNOW ――A FIELD GUID TO THE SENSES」。
 
 動物と植物の遺伝子にそう大きな違いはないのではないかと考えた著者が、私たちの感受する「感覚世界」を植物はどう感受しているかいないかをまとめて、述べている。面白かった。言われてみればなるほどと思うのだが、植物がそのように世界を受け止め、(世界と)交信しているとは思いもしなかったからだ。つまり、読んで、私の世界を見る視覚が変わったと感じた。
 
 見る、匂いを嗅ぐ、接触を感じる、聞く、位置を感じている、憶えているという六つの「感覚」を、どう植物は処理しているかいないか。古くは17世紀から2011年までの研究を集約して、記述する。私など、山を歩きながら触れる樹木や山野草ていど。おおっ、珍しいとか、やあ、きれいだなあとか、樹木や草花の置かれた環境と気象条件から感じるたたずまいを愛でるばかり。それが、こんなにも植物は「感じている」のだと思うと、ひときわ愛おしくなる。愛おしくなるという言葉の響きが私という人間の優越性を前提にしていると思うので、すぐにそんなことはありませんよと、訂正を入れたくなるが、植物はすごいなあという感嘆とともに、我が祖先に触れているような尊崇の念を感じている。
 
 思えば、生命の誕生の旅をたどり返してみると、植物と動物が遺伝子においてかなり共通部分をもっていて何の不思議もない。なにしろ生命は35億年の来歴をもつのに対して、現生人類、ホモ・サピエンスは10万年ほどしか経っていない。DNAが「10万年/35億年」ほどしか違わなくても、さもあらんとうなずくばかりである。でも、どうして植物が「感じている」と思わなかったのであろうか。
 
 いや、苗を育てるのにベートーベンを聴かせているとか、モーツアルトの方が生育がいいとか聞いたことはある。だが、育苗家の趣味の話しぐらいに受け止めていた。その私の判断は、じつは、あまり間違いではなかったが、音を聞いているのではなく、空気の振動をそれとして受け止めているのを「感覚している」と思うと、一挙に世界が違って見える。人間だって、空気の震えを「音」として脳内で処理しているに過ぎないのだ。ただ脳をもたない植物が「音を聞く」感覚をもつはずがないと、決めてかかっていたからであろう。だが考えてみると、「音」としてでなくても「振動」として受け止めて、何かが近づいてきている、触っている、葉を食べている、幹に穴をあけて潜り込んでると受け止めたり、それが害をなすものと理解して、防御的になにがしかのガス(気体)を発生させていたり、他の樹木が発揮するガス(気体)を感知して、未だ害を受けていない樹木が防御の態勢をとるとなると、これは明らかに「交信」し世界を共有して共存しているといえる。動かないだけ、他の動植物を捕食するのではなく(食虫植物は例外とするが)、炭酸同化作用によって栄養源を摂取しているという違いがあるだけ。なんと素晴らしい佇まいではないか。あるいは子孫を残すために色を付けて媒介者の虫類を呼び寄せる業なども、なにがしかのかたちで「色」を識別している、その結果、うまく色を発揮したものが生き残るというように、色気づいて来たともいえる。それら、これまでも私たちが植物の系統発生の特性と見ていたものを、「濃淡を見分ける」ばかりでなく何色かの「色の識別」をしているとみてとると、はて、どのようにしてそれをなしているのか、どうそれを「認知・認識」しているのかと疑問が次々と広がる。植物学って、面白そう。
 
 驚いたのは、「感覚」のひとつに「位置を感じている」という項目を入れたこと。要するに植物が、下に根を張り、上に芽を出す上下の位置関係を、何によって関知して、そうしているかという疑問を解き明かす。しかも著者はそれを「第六感」と呼ぶ。ほほう、「第六感」って、そういうことだったのかと、つい惹きこまれる。重力の関知を私たちはどうやっているのだろう。三半規管という平衡をつかさどる検知器があるとは知っていたが、これを「感覚」と思ったことはない。だが言われてみれば、これもたしかに「感覚器官」である。どうして私は、これを「感覚」と受け取っていなかったのであろうか。
 
 そればかりかもっと驚いたのは、植物が「憶えている」こと。葉が裂けたり枝が折れたり、環境条件が変わったときに過去の経験を思い出して生長のしかたを変えるという。こうした長期の記憶やトラウマを「記憶」し、次の世代にDNAを変えるのではなく(エピジェネティクスというらしいが)伝えることをしているというのだ。これも、私たちの現在持っている「感覚」が、35億年にわたって連綿と受け継がれてきた系統発生の末にあるという、不可思議なつながりを思い出させる。いやはや、優位な立場に立つというよりも、あなた方植物様のおかげで今の私があるのは間違いないと感じさせる。食べるときばかりでなく、すべてを「いただいています」と感謝したくなる。

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