mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

連綿と受け継がれる佇まい

2021-03-20 08:54:03 | 日記

 今日はお彼岸の中日、春分の日。暑さ寒さも……と言われるとおり、気配はすっかり春模様になった。
 昨日(3/19)は気温もさほど高くなく、風もない穏やかな日和。カミサンを見沼のトラスト地に送った後、車をそこの近くにある総寺院脇の駐車場において、見沼自然公園の方へ散歩に出た。寺院裏手の植栽の養生畑をすすむと鷲神社にぶつかる。先月来、拝殿に掛けられていた足場が取り払われている。一人大工さんが仕事をしていた。かたちを整えた白木の桟に防腐剤を塗っている。拝殿は屋根と柱だけを残して床も腰板なども取り払われ、床下まで素通しになっている。何年振りかの修繕をしているという。
 シロアリが巣食ってかじり倒すばかりになっている。床板を取り払って剥き出しになった何本かの太い梁も、かじられて痩せ細っている。取り払った床板などを傍らの草地に積み上げているが、ほとんど板や柱のかたちをなさない木屑。太い柱も半分以上がボロボロに欠け落ちている。築後何年ということは聞かなかったが、明治期に修築されたとあったから、百十年以上は経っているのであろう。防腐剤を塗ってとりかえられた縁框が際立つ。
 石を並べた基礎はしっかりしているそうだ。ただ、床下の土は剥き出しのまま。掃除も手入れもしていないからシロアリが巣くうのだという。シロアリはやわらかい所をかじり、硬い所を残す。柱は痩せ細り、床板は表面は何でもないが、裏側はもうボロボロになって崩れる。
 屋根は葺きなおした。陶器の瓦を土で止めていたが、雨と風で急な傾斜を止める力が弱まり、瓦がずれて雨漏りがする。そこで、修理は今様に瓦同士でひっかけて止めるようにしたらしい。古い瓦を一つひとつ洗ってふたたび使う。だが、扱える職人がいないから、茨城から呼んだ。まだ脇の宮の社の屋根をやらなければならず、足場はそちらにうつしている。予算が少ないから瓦の手入れだけ、屋根の四方に流れる降り棟は針金で動かないように一つひとつを縛り付けるようにして済ませている。
 社殿の後ろにある本殿は手つかずのまま。そういえば、伊勢神宮のように千木や鰹木がない。日吉造りとか権現造りとかいうのだったか。
 なにしろ氏子が220軒ほどしかない。全部をやると1千万円ほどかかろうが、その半分くらいしか予算がない。氏子の数は減ってもいないそうだ。市か県の何とか文化財に指定されているそうだが、補助金が出ているわけではない。たいへんだなあ。でも、「見沼の鷲神社」と私でも知っているくらいだから、よく知られているのではないか。そういうと大工さんは、はじめて聞いたような顔をして「へえ、そうかい」と笑顔を見せた。
 そのあと、見沼自然公園の方へ行き、少し下で芝川に合流する流れを渡って、見沼区の片柳に踏み込む。ここを歩くのは初めてだ。ちょうど、芝川を北上するようになる。上尾や大宮公園の脇を流れて来るのをさかのぼってみると、見沼田んぼがここでぐんと広がり、そこだけ昔ながらの佇まいが色濃く残されている。その向こうは、大宮台地となって、関東平野の中央部をなして鴻巣や吹上へと連なる。主要な車道から遠ざかり、大きな森がぽつんぽつんと見え隠れする静かな田園風景ばかりになる。見沼田んぼの南部同様、やはり主として花木の養生畑が広がり、ウメやハナモモ、ハクモクレンやコブシ、レンギョウやユキヤナギが彩を添えて、春を謳歌している気配に満ちる。
 これも連綿と受け継がれてきたものだが、北の大宮台地から住宅地が攻め寄せてきている。所有者が物故すると、遺産相続をふくめて土地を売り払い、姿を変えていくのだ。その端境を歩いているのだと、修理中の神社をふくめて、思った。この佇まいがいつまで続くか。
 そうだね。私自身も、そういう時代の変わり目の端境に、いま、位置している。


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