mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

自治と統治の兼ね合いと民主化への移行はどう進むのか

2016-05-31 08:52:32 | 日記
 
 天児慧『「中国共産党」論――習近平の野望と民主化のシナリオ』(NHK出版新書、2015年)を読む。2014年11月の36会Seminarで「中国問題」を取り上げた。それからまだ、ほんの1年半しか経っていないが、関心の焦点が変わってきている。2014年には中国の国内問題が対外関係にどう噴き出すかを探っていた。だが、その後1年半、日中関係は良好とはいえないまでも、かつてのようにぎすぎすと揉む気配はない。加えて中国は経済成長も鈍化しはじめた。高度成長段階が終わり、安定成長へ切り替える時期に来ている。となると、社会の諸方面にわたる驚くほどの「格差」に手を付けなければ、共産党の独裁とは言え、「自治」を通しての「統治」という支配体制であるから、構造的な改革そのものが、難題となっている。なにより中国は今、「大虎の腐敗・汚職」に対処して、何人もの要人を排除している。それが権力闘争なのか、中国共産党の独裁を維持するための「改革」なのか注目が集まる。国内の「格差」状態が果たしてうまく軟着陸地点を見出せるか、懸念されるようになった。「大国主義」方針で国内のナショナリズムを刺激して国内不安を乗り越えようとしているが、どうなのだろう。そんなことに、この本は目配りして、最新の状況をよくつかんで見せてくれる。
 
 ひとつ気に止まったこと。中国の統治体制を「包」と総括している。わかりやすい。「包」というのは「請負」のこと。中央政府の「指定した内容を担保するなら、あとはあなた(地方政府や関係組織)の自由にしてよい」という意味であり、「不確実性が高いとき、請負方式はとりわけ有効性を発揮する方式」とみている。つまり、社会の隅々にまで「中央政府」の意向を通そうとすると、地方政府やその下部機関の自治を組み込んで請け負わせるという「あいまいな」やり方が、これまでの中国で行われてきている。それが「腐敗・汚職」を生み、かつての軍閥のような地方の「土皇帝」を排出させている、と。つまり、王朝時代と酷似する共産党体制だというのである。「腐敗・汚職」を放置しておくと、民衆の(広がる格差への)不満が爆発する。といって、あまり徹底的に「虎退治」をしてしまうと、地方政府の「自治」が委縮して、うまく進まない。その「自治」と中央政府の「統治」との兼ね合いが取れないと、民衆の不満は中央政府に向いてしまうから、「共産党独裁」の正統性が疑われる。習近平はその危ない綱渡りをしているとみる。当然、「腐敗・汚職の大虎退治」もほどほどにすることになろう、と。
 
 エリートが「先知・先覚」して、「後知・後覚」の民衆を領導するという共産党の前衛理論が崩れてしまえば、共産党独裁の正統性は瓦解する。それを「大国主義的ナショナリズム」を煽ることによって取り繕おうとしているとみているのだが、米中のG2的な大国主義が通用するには、中国は知的・道徳的主導性において、国際的にはとても信頼されない。だから南シナ海で力づくの横車を押しているともいえる。それはしかし、中国国内の経済の停滞気配がつづくようになると、早晩無理筋となる。そのとき噴き出すのは、民主化への動きであろう。
 
 中国にとって痛しかゆしなのは、香港。一国二制度としてスタートはしたものの、香港の民意を尊重していては、大陸の民主化要求が強まってしまう。香港の言論の動向に神経をとがらせている中国は、目下(公然とひそやかに)言論弾圧をして、統制を強めようとしている。だがそれが何をきっかけに爆発するかわからないとなると、中央政府自体が、自らの主導で「緩やかな民主化」へ軌道修正をしていかなければならなくなる。どこから手を付けるか。共産党組織の地方組織の「役職選挙」を行うことから、民主化を推進するか。あるいは地方政府の首長などの選挙を(共産党地方組織の領導の下に)実施する方向をとるか。著者は、脱出口を(日本モデルを採用した)「緩やかな民主化への移行」として提案しているが、どうなることか。政治的な状況ばかりでなく、大気汚染や水質悪化など、暮らしそのものの改善も喫緊の課題になっていて、これもまた、火種になりかねないほど切迫しているとみえる。日本への影響もふくめて、目が離せないし興味は尽きない。

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