mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

もともとバラバラ、かめへん、かめへん

2023-08-25 06:58:42 | 日記
 先日、72年来の友人マンちゃんの追悼の会をもったことはすでに報告した。そのとき世話役を務めてくれたミドリさんに御礼のメールを送ったところ、女性陣で二次会をして締めくくったとあり、次回以降の世話役が曖昧にされてしまったが、それでいいのかしらと愚痴が付け加えられていた。
 経緯をいうと、こういうことだ。
 追悼の会の後、ミドリさんから今後の集まりについて「代表」を決めてほしい、ついてはフジワラくんにお願いしたいと提案があり、とくに反対もなく承認となった。ところがその後「ミドリさんでいいわよ」と言い出す人がいて、ワイワイやっていたのが、二次会で再燃したらしい。ミドリさんはメールで、こうこぼす。
《次の36会 私が代表をするのでしょうか? なんだか暴力的な方法で戸惑います。皆この会は持続したい、でも代表は引き受けたくない、できることは何でも手伝うからと言う空手形を貰っても熱量はダダ下がりです。/Oさんに至っては、フジワラさんは忙しいから無理無理と声高に叫び、フジワラ君にあなたが代表にならないように頑張ったわよ。って聞いた時この人たち何を考えてるの? お友達だと信じているのに。》
 ありそうなことだと私は思った。
    現役の仕事中、学校という女性も多い職場であったにもかかわらず、男の影に身を潜めて役割を忌避し、責任を背負わない立場に身を置くことをもっぱらにする女性が、何と多かったことか。
 私が中心になる部署を担ったとき、教育委員会の方針転換である提案をしなくてはならなかったことがあった。ひとりの女性スタッフに頼んだところ、素案ならばつくるが立案はそちらでしてほしいという。もちろん部として提案することだから「職員会議への提案」は当然のこと部の提案になる。何を言っているのかよくわからない、と返したところ臍を曲げて、とうとうその年度に提案することができなかったことがあった。提案は次の年度のスタッフによって仕上げることになり、実施には支障がなかったのだが、他の点では闊達な女性の心根の部分に、責任回避の回路がかっちりと嵌め込まれていることを痛感したのであった。モノゴトの筋道が決まっていることに関しては、具体的に一つひとつ役割は果たす。しかし自分から道筋を決め提案し、他の人たちと共に牽引していくということは、できることなら避けて通りたい。女性ならずともそういう心持ちをもっている人がこの列島住民に多いことは、十分に味わってきた。それと同じことが、主婦であったり、民間で仕事を持って生きてきた八十路の闊達な女性たちにも根を張っている。
 ミドリさんは一度決めたことが、そういう私的な場で(暴力的に)引っ繰り返されていいのかということと、自分が「知らないわよ」とそっぽを向いていると次の会が開かれなくなってしまうんじゃないかと心配している。
 そんな運びになっても、あなたが責任を感じることはないよ。フジワラさんが知らぬフリをしたために次回が開けなくなっても、それはそれで仕方がない。それで分解するなら、それが「うちらぁの人生、わいらぁの時代」であったと諦める。放っておけばいいのだ。そう、私は返信を書いた。
 だが民間企業で働いてきたミドリさん自身も、半ばそうした女性の感覚(が根付いていること)にワカルものを感じ、(そうした平均的な日本女性とは違って自律していると)自分が推されることに誇らしさを感じているのかもしれない。あるいは、この集まりに、そう簡単に諦めることができない意味を感じているのだろう。
 モンダイは、どうしてこうなるのだろうということだ。
 主婦として過ごすことの多かった人には、たぶん「きめた」ことに対する重きの置き方がワカラナイのだろう。井戸端会議的な、私的な場でワイワイやって「決定」を引っ繰り返すことに、何の痛痒も感じていない。そこで皆さんの同意を得ていたならば、公的な場面で何の発言をしていなくても、その意が通ると思っている。そういう民主主義感覚である。それはあなたの「提案」ですねと念を押そうものなら、たぶん、いえいえ皆さんの意見ですと取り下げてしまうに違いない。「皆さん」の影に身を隠して責任回避する立場を女性自身が捨てなくてはならない。
 もちろんそれは、女性ひとりの責任ではない。弱い女性は保護してやるのが男の役割と父権主義的に振る舞う男が、そうした優越的立ち位置を捨てなければならない。両者は相補的に育ってきた国民的気性である。
 こういうコトをしているから、いつであったかのオリンピック委員会の会合で、会のトップを務めていた元宰相のように、女性蔑視発言が何の不思議もなく飛び出してしまうのだ。この元宰相は、たぶん今でも、何で自身の発言が不評を買ったのか、わかっていないはずだ。欧米との大きなすれ違いの根柢には、女性自身による「責任回避回路」の克服が達成されなければならないという課題が横たわっている。父権主義と女性の責任回避回路克服、列島住民が直面している当事者としての課題である。
  《扇の要が外れたらどうなるのでしょうね。》
 とミドリさんは心配している。かめへん、かめへん、バラバラになるだけ。もともとばらばらだったんだから、かめへん。