mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

どこに立ってモノを言っているのか

2023-08-16 09:54:12 | 日記
 トランプの犯罪がいよいよ裁判に掛かる。相変わらず意気軒昂なトランプ派の気勢に、空元気なのか2年半前、1月の勢いがまだ続いているのかわからないが、アメリカと日本の司法制度との差異、それを受け止める人々の感覚に違いに私は驚いている。
 1年前(2022-08-15)の記事「線路は続くよ、何処までも」は、その驚きと合わせて、ワタシ自身の中に「ドブさらい」を期待する気持ちが蠢いているように読めて、いま改めてこれってなんだ? と考えている。ワタシは何の「ドブさらい」を無意識に望んでいるのだろうか。
 昨日、タナカさんへの「胸を借ります(3)」で、世界との一体感を持てないワタシの愚痴をこぼした。その前日(2023-08-14)の記事「世界を語る言葉が消えた」では、世界を語り合う共有する「世界イメージ」がなくなったとぼやいた。そのワタシが世界の「ドブさらい」を望んでいるのか?
 常々、市井の老爺を自称して身を埒外に置いているのに、何を今更若者のように、わが身の置き所に困惑したりしているのか。そもそも「市井の老爺」って、どういう立ち位置なのよ。そこへ踏み込んで見たら? と自問に応えている。
 市井の老爺の日々を振り返ってみると、食う寝るにトイレと風呂があれば十分の毎日。それらに必要な買い物や料理、掃除、洗濯、金銭の出納くらいが、日々の行動ってところか。なんだ、これじゃあ、どこにも迷うこともないじゃないか。ワタシが定まらないとか、世界の一体性って、そんな言葉は、どこを押せば出て来るんだ?
 そりゃああんた、まだ若い。褒めてんじゃないよ、欲張りだって言ってるのさ。八十路になるまでにワタシなんてものは、身動きできないくらい凝り固まって出来上がっちゃってるもんだよ、ふつう。頑固一徹とか、融通が利かないとか、視野が狭いとか悪口を言われるけど、人生八十年も過ごしてくれば、感性も感覚も、好みもものの考え方も、もうパターンが決まってしまって、いまさら新風を吹き込むなんてこたあ、したくてもできないんだよ。それが老爺ってもんさ。それなのになにさ。八十路で迷うってのは、未熟ってもんだ。
 えっ? ワタシは生命体とか人類史の総まとめの現在だって? だからなんだよ。
 ワタシってのは人類史の一つの現象だって? 本を読んだり、TVや映画をみたりするのも、人と言葉を交わすのも、あるいは自問自答するのも、微妙に作用してワタシを変えているって? つまり未熟がヒトの本来的な姿だって?
 何言ってんだよ。そういう積み重ねをしてね、人生に見切りってものがつくじゃないか。年をとるってそういうことだよ。だから老爺ってのは、ま、出来上がっちゃったヒトってもんだね。右往左往するもんじゃないよ。で~んと構えてさ、若えもんのあれやこれやの疑問にピシピシッて応えてさ、長屋のご隠居さんみてえに据わりのいい置物ってもんだ。
 えっ? なに? そいつぁ昔のご隠居だあ? じゃあなにかい? いまのご隠居ってのは見切りがつかねえのかい? えっ、世の中がどんどん変わってるって? そりゃあそうだが、昔っから、世の中は変わるもんだよ。いまさらのこっちゃあねえ。変わる世の中に変わらねえもんが年寄りってもんだ。移ろう若えもんに不易ってえことを教え諭すのが年寄りのお役目ってもんだろ。あ、これも古いって?
 そうか、それもすっかり変わって、いまは年寄りが要らねえ社会になってるってことか。でなに、おめえさんは懸命に世の移ろいに着いていこうってしてるんかい? そうじゃねえ? じゃあ何だよ。
 おめえさんの身の裡に吹き黙っている人類史の無意識をボ~ンて打ち破って「ドブさらい」してみたいって?  えっ、何、そういう無意識の欲求が胸の奥に溜まってきてるって感じがする?
 そりゃあ、てえへんだ。自爆するってのは、イスラム過激派だよ。よしてくれよ。ましてや無意識にそんなことをするってのは、「ドブさらい」にしたって、混沌を招き寄せるようなもんだよ。折角人類史が作り上げたこの世の中、食う寝るトイレ風呂の年寄りにだって、快適な居心地ってもんがあるよ。
 えっ? それとウクライナの平和とを引き換えにできないかって?
 う~ん、どういう運びでそういう話が出てくるのかわからないが、いいよ、筋道通して、そうすりゃあウクライナが収まるってのなら、食う寝るトイレ風呂の快適さが少し昔に戻るくらいは我慢するよ。我慢の期間も、そう長くはならないからね。
 その筋道が見つからない? そうだろ、そうだよね。見つかんないよね。ロシアとウクライナだって、何の言葉も交わすことなくドンパチになっちゃったんだもの、和平に持ち込む筋道なんか、見つからないよ。
 ロシアが食い詰めてドンパチに走ったわけじゃないだろ。ヒトが食う寝るトイレ風呂だけで生きていけるんなら、ひょっとするとウクライナ侵攻だって起こらなかったんだもんね。ウクライナだってロシアがやってこなければ、反撃もしない。そもそも戦争が起こっていない。ゼレンスキーだって変わらず頼りない大統領で、ウクライナの国内も、親ロシア派と新ヨーロッパ派におおよそ二分されて綱引きは続いていたろう。戦争になってからもウクライナで徴兵逃れの汚職が蔓延っているって言う。そういう汚職や賄賂や密告や敵-味方の混沌は、食う寝るトイレ風呂と並ぶ、日常ってワケだ。
 それがぶち破られて戦争になった。ウクライナの方に戦争を止める理屈は、負ける以外に成り立たない。となると売られた喧嘩、ウクライナは勝つ以外に和平への主体的な道はない。それを支援する理屈もまた、ロシアをへこます以外に成り立たない。だがそれは、中国やインドやロシアと結ぶ利があり、アメリカやヨーロッパに反発している国々の思惑も絡んで、一筋縄では収まりそうもない。
 わが食う寝るトイレ風呂と引き換えにできるなら、ワタシはウクライナの和平のために身を投げ出しても構わない。でもそれは、そんな道筋が成り立たないから言ってるように聞こえるに違いない。だが本気だ。ワタシはその道筋が見つからないから困っている。
 そりゃあ、あんたバカだよ。もともとあなた個人の暮らしと引き換えにロシア-ウクライナ戦争の和平が実現する理路がない。道筋って、その理路のことだろ。理路がないってことは、ワタシは当事者じゃないってことだ。ワタシはセカイから疎外されているのか。ワタシはニッポンという国民国家を媒介にしなければ、手を出すことも身を投げ出すこともできないのか。
 そんなことを愚痴りながら、結局食う寝るトイレ風呂に尽きる暮らしをボーッと続けている。どこに立ってモノを言っているか。それはたぶん、理路と切り離せないのかもしれない。世界と切れていると、理路ばかりか手を出す回路もみつからない。