mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

AIはヒトの映し鏡

2023-08-30 07:08:02 | 日記
 先日(2023-08-26)「人は身体的直感を重んじる」と、AIとヒトとの違いを掬い上げた。AI研究者・西垣通氏のインタビュー記事から拾った言葉だ。そのときはシンギュラリティという言葉に籠められた、人智を超えるAIの時代が来るのかと考えていた。だからAIにできないヒトの特性を拾うことに心持ちが向かっていた。
 だが昨日(8/29)の朝日新聞のインタビュー記事「AIと私たち」は、生成AIの学習能力がヒトの映し鏡であることを指摘している。インタビュイーはチリツィ・マルワラ氏(国連大学学長、1971年生まれ)。南ア生まれ、ケンブリッジ大学で博士号を取得しているAI研究者、と付け加えるのは、門前の小僧であるワタシの値踏みである。
 マルワラ氏はAIに学習させる事例を挙げて、こんなことを言う。
《がん細胞を見つ出すAIをつくるなら、実際のがん細胞の画像と正常な細胞の画像をAIに与えて、訓練することが最善です。/しかし現実には、別のAIがつくった合成データを使う例が増えています》
 合成データの方が「安い」からだそうだ。そこからすでに、グローバルサウスとグローバルノースの差異が生まれ、差別と偏見が再生産され拡大されていく、と。
 あっ、と思ったね。AIの学習データというのは、皆同じと門前の小僧は思っていた。ところが読み込むデータの「値踏み」をAIがしているかというと、そうではない。ただ、反映しているだけなのだ。つまり、ヒトの悪いクセを一つひとつ丁寧に取り除いて、アウトプットする最終叙述をしているわけではない。
 とすると、例えば目下世界市場経済のよりましな最終形態じゃないかとされている資本家社会的市場経済システムは、しかし、国民国家の仕組みを通じて再配分をしなくてはならないほど富の不均衡を生み出し、社会インフラすらも窮地に追い込んでいる。これをどこが、どのように采配を振るって、世界規模で取り仕切るか。そのセンターとして思い浮かぶのはせいぜいが、国連。安保理はすでに大国の利権擁護で対立してその役を果たしていない。UNESCO、WHO、WFOという国連機関が、いつも後追い的に手当てをしているのが、せめてもの振る舞いである。
 国民国家を主体単位とする国際関係は、力が決定力の基本である。もちろん軍事力ばかりではなく経済力や政治力も「力」であるが、近代社会が築き上げてきた「理念」は、今や瀕死の様相を呈している。COVID-19の襲来は、グローバルなヒトの結束がどれほどの力を発揮するかを試したようなものであったが、ものの見事に経済力によって分断され、資本の論理以外の「力」は、軍事力と政治力に限定されていることが明々白々となった。「理念」は如何程の「力」にもなれず、むしろ真実の「力の論理」を覆い隠す虚偽虚飾の衣装にすぎないと見立てられている。
 WWⅡという世界規模の悲劇さえも、思い起こせば、騒乱の主導権を握る大国の論理が罷り通り、その他の国々や地域は、まさしく「その他」として顧みられることがなかった。唯一、WWⅡの連合国の結束がもたらした国連が体裁を保ってきたが、それが風前の灯火であったことは繰り返すまでもない。
 さて冒頭のマルワラ氏のインタビュー、「何がほんとうかを見極める大切さを、身に付けさせてくれた」ことを「別の光」と表現して、こう述懐する。
《私はまだ近代化が進む前のふるさとの村で、祖父母の家で育ちました。私の祖母は読み書きはできず、英語も話せませんでしたが、自然に関しても人間に関しても深い智慧に満ちた人で……毎朝5時から6時には、きまって近所の人が私と同じ部屋で寝ていた祖母のところにやってきて、さまざまな話をしていきました。……あの時浴びた光が身に付けさせていてくれたように当時から思っていました。》
 この「別の光」を感じ取った原体験に似たことを私たちも通ってきているように思う。はて、なんだったろうと、遠くを眺めるような目で、わが身の裡を覗いている。