mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

《1万歩は歩きすぎ…「ウォーキング」で気をつけたい4つの間違い》

2016-10-16 10:41:24 | 日記
 
 ネットのnewsで表記のような記事を見つけました。ネタ元は「dot.」とありますが、これがどのようなnewsの配信元か、私は知りません。《ウォーキングに関する研究を進める青柳幸利さん(東京都健康長寿医療センター研究所)》の研究などを紹介する「※週刊朝日 2016年10月21日号より抜粋」の記事だそうです。これによると「4つの間違い」というのを次のように指摘しています。
 
 ① 「1日1万歩」は歩きすぎ
  人それぞれの筋力に応じて適正な歩数は変わる……「例えば65~69歳男性の場合、5メートルを歩くのに、普段歩くスピードで5秒以上、速歩きで3.1秒以上かかるなら、筋力がやや弱い。1日8千歩でも多いでしょう」。多すぎるとかえって体を痛める。
 
 厚生労働省の「定めた」基準が、一律に過ぎるという批判でもありますね。とともに、(そういうお上や権威のお達しを)受け止める側もまた、自分の固体性に配慮した受け取り方をしなさいと忠告しているわけです。私たちはついつい、「標準」や「平均」を自分に当てはめて、「多い」とか「少ない」と自分の現在を見つめるわけですが、そういう「(自分を世間一般に位置づける)視線」よりも、自分の内側に問いかけて、(固有の)それを見つめなさいと言っているようです。
 
 ②  同じスピードで歩いても効果なし
  《ただ普通に歩くのではなく、ウォーキングの中に速歩きを取り入れるだけで、筋力・持久力が飛躍的にアップする。運動生理学の分野で、体力の法則として知られているのが、“その人の最大体力(最大酸素摂取量)の70%以上の運動を1日30分、週に3回以上、5~6カ月行えば、体力が10%向上する”というもの。この最大体力の70%以上の運動として最も取り入れやすいのが速歩きなのです》
 
 と「これまで約20年間で6200人以上の中高年に運動指導を行ってきた能勢博さん(信州大学大学院医学系研究科)」の指摘を紹介し、「インターバル速歩」をおすすめる。
 
 《その方法は簡単で、「速歩き3分間」の後に「ゆっくり歩き3分間」。もしくはその逆を、1日で5セット行う。歩く時間は合計30分程度だ。これを週に4日こなし、1週間に120分のインターバル速歩を行うのが目標》と。そうして、《大事なのは「1週間に120分」行うことだ。》と強調しています。
 
 上記の指摘を読んで、「インターバル速歩」というのは山を歩くのに似ている、と思いました。我田引水と思われるかもしれませんが、私は常日頃、山のトレーニングは山を歩くことと考えてきました。そのために週1回の山行を心がけています。
 
 そこには私の性癖も入っています。「何かのために別の何かをやる」というのが嫌いなのです。「それ自体をやりたいためにそれをやる」というのが、私のポリシーなのです。どこかの偉い人に言わせると「定言命令」というのだそうですが、遊びたいから遊ぶ。遊ぶために準備はしなければなりません。高い山に登るためには酸素の薄い空気でも動けるように体を馴らす「高度馴化」をしなくてはなりません。事前に富士山に登ったり、現地の「目標の山」とは異なる高い山に登ったり下ったりするのは直に「目標物」に結びついた準備、「それ自体のため」の行動と考えています。
 
 話がそれてしまいそうなので、本題に戻しましょう。「筋力や持久力を高める」以外の身体的要素が山歩きには必要とされます。たとえば、できるだけ疲れを少なくするバランス能力だとか、酸素摂取能力を高める呼吸法とか、疲れを早期に解消する水分摂取と栄養補給法といったこともあります。ですから、山歩きの方が「過剰」になりがちですが、とりあえず、《大事なのは「1週間に120分」行うこと》という、能勢博さんの強調点です。
 
 週1回山へ行くというのは、まさに(過剰さを別とすれば)適正な健康法だと言えそうです。ただ、山もやはり、人それぞれの筋力や持久力に合わせた「適正」なペースがあろうと思います。そういう意味では、単独行を避けようとすれば、自分のペースとおおむねそれに見合った人たちを語らって山へ向かうのがいいのかもしれません。
 
 でも、週1で山へ向かうわけにいかない人たちもいます。山に行かない週には、「120分のインターバル速歩」を行うというのがいいのかもしれません。
 
 ③ 消費カロリーには意味がない
  「消費カロリーの目安は、体重、身長、年齢によって異なる。カロリーを意識するよりは、筋力や持久力をアップさせるウォーキングのやり方を取り入れるほうがよっぽど健康に良い」のだそうだ。
 
 これは、筋肉を使うことが体液(リンパ液や血流)の流れを促進し、呼吸が身体の新陳代謝を流動的にすることに通じるからだろうと思います。身体もつかわなければ錆が来ます。消費カロリーというのは、普段過剰に摂取している人からするとどう削るかに関心が向くでしょうが、痩せている人が山を歩くときにはカロリーを摂取することを(意識して)心掛けなければなりません。すぐに、バテてしまいます。足腰を鍛えて歩くという身体能力的な側面だけに限って言えば、カロリー消費を気にするなら、食べるのを控える方が運動するよりはるかにラクだと言えるのではないでしょうか。
 
 ④ 朝のウォーキングは危険
  「朝起きたとき、人の体は水分がカラカラで、血液がドロドロ。この状態でウォーキングをすれば、心疾患や脳卒中につながる危険性がある」「起床して1時間以内のウォーキングは避けるべきです」「逆に一日の中で歩くのに最も効果的な時間帯は、人間の体温がいちばん上がる夕方4~6時だ」と指南しているそうです。
 
 年を取ると、水分の摂取を本当に意識的に心掛けなくてはなりません。若いころには水分が不足すれば「のどが渇く」など、身体の代謝が本能的に反応して要求します。だが年を取ると、身体の代謝自体がぎくしゃくして、自らの「(緊急)事態」に反応することがわからなくなってきます。我慢するといくらでも我慢できる。そうして気が付いたときには、手遅れとなるというわけです。
 
 自分の身体に気を使うということは、それ自体が、いわば生活習慣です。身体の反応の、どの部分が、どのように鈍くなってきているか、年をとればとるほど、みてとる必要があります。と同時に、いつまでも(健康な)現在が続くわけではないと、見切らなくてはなりません。変化する自分、傾いて緩やかに崩落する自分の「心身=身」をしっかりと見つめてやりたいと思いました。
 
 もっとも「1日1万歩」が過剰だからといって、何が問題? と思っている私もいます。そもそもスポーツ選手というのも、日常生活において必要とされるのとは比較にならない「過剰」な身体の使い方をしています。それが日常化すると、ほとんど生活習慣病のように体を痛めつけることが「快感」に通じるようにもなります。その「夢中になる」ことに較べたら、長く細く生きるということなど、どこに価値があるかと思うほどです。「病膏肓に入る」というではありませんか。「中毒/ホリック」ですね。でもそれが、かけがえのないほどに感じられのは、「やあ、生きてるなあ」と噛みしめているときでもあります。
 
 「健康に生きるために」というのも悪くはありませんが、「生きていること自体のために生きている」ってのが、「遊び」の神髄。いけませんかねえ。