朝6時45分発。登山口に7時半着。京都ナンバーの車が1台止まっていた。7時40分には歩き出す。日差しがさして、それで今日はくたびれるかも、と話す。すぐに保久礼小屋、そこに概念図が掲げてあり「登山口」となっている。だが、下から歩いて上がってくる人もいる。古いガイドブック組だと去年の自分ののぼりを思い浮かべて思う。保久礼(ほっきゅうれ)小屋からは急登を階段で登るる。丸太様の土留めがよく滑る。階段のあいだは水が溜まりぬかるむところもある。またこれが、長い。その階段が終わると、落ち葉と粘土状の赤土が掘り崩されて溝になり剥き出しになっている。脚の置場と体重のかけ方によってはつるりと滑る。そして急斜面である。これは下りのときにかなり堪えるなあと思いながら登る。40分ほどで、「←キビタキ小屋」と表示の板がある。標高1000m余。いいペースだ。時間があれば帰りに寄ることにして先へすすむ。傾斜はさらに急になる。このあたりから、紅葉が美しく目に入る。上りの上の方を見てみると、先行する人の頭上に黄色の葉が覆いかぶさるようにして明るい。こういう眺めもいいなあと、何度もシャッターを押す。登山道が屈曲するところの樹林が切れて、山の北西方面が開けて見える。向かいの山体が見事に色づいている。何かの本に佐渡や日本海が見えるとあったが、遠方は雲か霞かおぼろになって、見分けがつかない。途中一息入れる。「不動平」と記した小さな看板が置いてある。1269m、何だか山頂が近くなったように思える。「あと180m!」と声をかける。mrさんが先頭のkzさんに着実についている。
9時33分、大山の山頂に立つ。守門岳の三つのピークのうちのひとつ。「巣守神社」の石碑があり、小さいが鳥居もあって祠がしつらえられている。この「巣守」が守門の語源なのだろうか。sdさんが「素戔嗚(スサノヲ)もそうだけど、須なんとか、という神々の名は多いわね」という。彼女は日本史に目下傾倒しているようだ。大山の広い山頂部を東へ寄ると、これから向かう袴岳がひときわ大きな丸い山頂を突き出している。上には雲がかかっている。天気は崩れるのだろうか。その手前に平らかに見えるから山頂と思えないのが青雲岳だと口にする。「これ、いったん降るんですか?」とmsさんが声を上げる。ここから標高1270mまで下り、また登り返す。ジグザグの下山道は、しかし、陽ざしを正面から浴びて明るい。大岩を越えているとき私は、足が滑って転倒し、大岩の先へ頭からどうっと落ちた。前を歩いていたsdさんが振り返ったときは身体全体が下に落ち着いていたから、いや大丈夫、何処も打っていない、うかつにも転んだと心が痛むだけ、と応じる。でもどうして転んだのだろう。さらに降りはじめて分かった。私の左手に持っていたストックが、短くなっている。三段の一番下が上に入り込んで短くなり、中段の部分が途中からくねりと折れ曲がっている。つまり、斜めに着いたストックが体重に押されてつるりと中に入り込み、倒れたときに私の身体が乗って中断を曲げてしまったのだ。訳が分かると、いくぶん気持ちが軽くなる。短いストックはそのままにして、山側に持ち替え、シャカシャカと下る。下まで下ると今度は上り。mrさんとsdさんが振り返って、嘆声をあげる。大山が日を浴びて、色づいた山体を見事に広げている。カメラを出してシャッターを押す。上へあがるとさらにまた広い視野に山体が目に入り、こちらの方がいいなあとまたシャッターを押す。これの繰り返しだ。1400mを越えたあたりで「←二口・袴岳→」と標柱がある。
そこからはわりと平坦な稜線を歩いて、広い青雲岳に着く。10時55分。四角に桟敷を区切ったようなベンチがしつらえられている。袴岳は眼前にみえる。山頂に立つ木柱も、下からきちんと見える。標高差は50mくらいか。ここに荷物を置いて空身で往復することにする。戻ってきてからお昼にしようというわけ。kzさんについていくmrさんの足が速い。コースタイムで20分と書いてあるところを15分でたどり着いた。山頂は遠くから見たほど広くはないが、すでに15人ほどの人たちが食事をしている。中央の山名表示をした太い石柱が、どちらに何の山があると示している。浅草岳の方を見ると、たしかに、急角度に立ちあがった姿が遠方に見え、その上には雲がかかりはじめている。ともかく今日は、南東方面は雲が厚い。上ってくるとき西の方にみえた、尖った二等辺三角形の独立峰が米山ということもわかった。「よねやまさんから月~が~出~た」という歌の米山さんだろうか。越後駒ケ岳も見えるらしい。どれがどれと特定できないほど、背の高い山がそちらこちらに林立している。北の方には、安達太良山や磐梯山も記されている。ずうっと山また山だ。「奥深いところに来ているのね」とmrさんが感にたえぬように口にする。ほんとうに山ばかりの深い懐に入り込んだ気分だ。
山頂に留まること5分、お昼を置いたところに戻る。帰りは10分、すでに置いたザックの数は倍くらいに増えている。私たちが置いてあるのを見て、後続の人たちも置いて行ったのだ。朝食の笹団子を食べる。インスタントラーメンを作る。kzさんはコーヒーをドリップしている。そこへ若い一団がやってくる。「まだ、あんだけあるよ。オレもう、ここでいい」とへたり込む。話を聞くと、長岡科学技術大学の学生だという。「じゃあ研究者なんだ、君たちは」というと、kzさんが「何研究してんの」と話しに入り込み、「へえ、理系ばかりなんだ」と転がっていく。7人で来ているらしい。そのうち後続が着き、彼らは山頂を目指して歩きはじめた。別の若い人たちも到着し、皆、ここで一息ついて腰を上げる。ゆっく売りとお昼タイムをとって、12時にここを出発する。
帰りに見る景色が来るときと陽ざしの角度も変わるから、北側の山稜の紅葉がいっそう美しい。山全体が、黄、赤、緑の彩を湛えて受け止めた光の度合いを変えてグラデーションをつくり、深い渓へとフェイドアウトしていくという具合だ。しばしば立ち止まる。正面の大山は朝と同じように照り輝いている。帰りの足は速い。mrさんも戸惑うことなくひょいひょいと下り、そして上る。ここを登るのはいやだねえと言っていた、今日最後の上りを難なくこなして、大山山頂に着いたのは12時54分。
13時に大山を出発して、いよいよ大下りを降る。足を置き場を用心しないとつるりと滑る。私も、2度滑ってしりもちをついた。ズボンが泥だけになる。だがほとんど休むことなく下り、キビタキ小屋にも寄り道して13時50分着。古びた避難小屋。今どきどんな方が使うんだろうと思う。下の保久礼小屋の方が、まだきれいだ。その保久礼小屋に14時13分着。清水が流れ出して杓子が添えてあるのを呑んだmrさんが「これはおいしい」と声をあげたので、代わる代わるに皆、その清水を頂戴する。私は空になったペットボトルに入れて持ち帰り、翌朝のコーヒーを点てた。
駐車場に14時25分。小出ICを経て浦和に還った。途中の工事渋滞があったが、4時間余で到着。kwmさんがコーヒーをくれたから助手席も眠るわけにもいかず、あれこれと運転手の眠気を覚ますような話しを繰り出して、ご苦労をしていた。ま、ま、無事に帰還したことを言祝ぎたい。