mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

紅葉の名山、浅草岳・守門岳(2)

2016-10-20 17:19:03 | 日記

 朝6時45分発。登山口に7時半着。京都ナンバーの車が1台止まっていた。7時40分には歩き出す。日差しがさして、それで今日はくたびれるかも、と話す。すぐに保久礼小屋、そこに概念図が掲げてあり「登山口」となっている。だが、下から歩いて上がってくる人もいる。古いガイドブック組だと去年の自分ののぼりを思い浮かべて思う。保久礼(ほっきゅうれ)小屋からは急登を階段で登るる。丸太様の土留めがよく滑る。階段のあいだは水が溜まりぬかるむところもある。またこれが、長い。その階段が終わると、落ち葉と粘土状の赤土が掘り崩されて溝になり剥き出しになっている。脚の置場と体重のかけ方によってはつるりと滑る。そして急斜面である。これは下りのときにかなり堪えるなあと思いながら登る。40分ほどで、「←キビタキ小屋」と表示の板がある。標高1000m余。いいペースだ。時間があれば帰りに寄ることにして先へすすむ。傾斜はさらに急になる。このあたりから、紅葉が美しく目に入る。上りの上の方を見てみると、先行する人の頭上に黄色の葉が覆いかぶさるようにして明るい。こういう眺めもいいなあと、何度もシャッターを押す。登山道が屈曲するところの樹林が切れて、山の北西方面が開けて見える。向かいの山体が見事に色づいている。何かの本に佐渡や日本海が見えるとあったが、遠方は雲か霞かおぼろになって、見分けがつかない。途中一息入れる。「不動平」と記した小さな看板が置いてある。1269m、何だか山頂が近くなったように思える。「あと180m!」と声をかける。mrさんが先頭のkzさんに着実についている。
 
 9時33分、大山の山頂に立つ。守門岳の三つのピークのうちのひとつ。「巣守神社」の石碑があり、小さいが鳥居もあって祠がしつらえられている。この「巣守」が守門の語源なのだろうか。sdさんが「素戔嗚(スサノヲ)もそうだけど、須なんとか、という神々の名は多いわね」という。彼女は日本史に目下傾倒しているようだ。大山の広い山頂部を東へ寄ると、これから向かう袴岳がひときわ大きな丸い山頂を突き出している。上には雲がかかっている。天気は崩れるのだろうか。その手前に平らかに見えるから山頂と思えないのが青雲岳だと口にする。「これ、いったん降るんですか?」とmsさんが声を上げる。ここから標高1270mまで下り、また登り返す。ジグザグの下山道は、しかし、陽ざしを正面から浴びて明るい。大岩を越えているとき私は、足が滑って転倒し、大岩の先へ頭からどうっと落ちた。前を歩いていたsdさんが振り返ったときは身体全体が下に落ち着いていたから、いや大丈夫、何処も打っていない、うかつにも転んだと心が痛むだけ、と応じる。でもどうして転んだのだろう。さらに降りはじめて分かった。私の左手に持っていたストックが、短くなっている。三段の一番下が上に入り込んで短くなり、中段の部分が途中からくねりと折れ曲がっている。つまり、斜めに着いたストックが体重に押されてつるりと中に入り込み、倒れたときに私の身体が乗って中断を曲げてしまったのだ。訳が分かると、いくぶん気持ちが軽くなる。短いストックはそのままにして、山側に持ち替え、シャカシャカと下る。下まで下ると今度は上り。mrさんとsdさんが振り返って、嘆声をあげる。大山が日を浴びて、色づいた山体を見事に広げている。カメラを出してシャッターを押す。上へあがるとさらにまた広い視野に山体が目に入り、こちらの方がいいなあとまたシャッターを押す。これの繰り返しだ。1400mを越えたあたりで「←二口・袴岳→」と標柱がある。
 そこからはわりと平坦な稜線を歩いて、広い青雲岳に着く。10時55分。四角に桟敷を区切ったようなベンチがしつらえられている。袴岳は眼前にみえる。山頂に立つ木柱も、下からきちんと見える。標高差は50mくらいか。ここに荷物を置いて空身で往復することにする。戻ってきてからお昼にしようというわけ。kzさんについていくmrさんの足が速い。コースタイムで20分と書いてあるところを15分でたどり着いた。山頂は遠くから見たほど広くはないが、すでに15人ほどの人たちが食事をしている。中央の山名表示をした太い石柱が、どちらに何の山があると示している。浅草岳の方を見ると、たしかに、急角度に立ちあがった姿が遠方に見え、その上には雲がかかりはじめている。ともかく今日は、南東方面は雲が厚い。上ってくるとき西の方にみえた、尖った二等辺三角形の独立峰が米山ということもわかった。「よねやまさんから月~が~出~た」という歌の米山さんだろうか。越後駒ケ岳も見えるらしい。どれがどれと特定できないほど、背の高い山がそちらこちらに林立している。北の方には、安達太良山や磐梯山も記されている。ずうっと山また山だ。「奥深いところに来ているのね」とmrさんが感にたえぬように口にする。ほんとうに山ばかりの深い懐に入り込んだ気分だ。
 山頂に留まること5分、お昼を置いたところに戻る。帰りは10分、すでに置いたザックの数は倍くらいに増えている。私たちが置いてあるのを見て、後続の人たちも置いて行ったのだ。朝食の笹団子を食べる。インスタントラーメンを作る。kzさんはコーヒーをドリップしている。そこへ若い一団がやってくる。「まだ、あんだけあるよ。オレもう、ここでいい」とへたり込む。話を聞くと、長岡科学技術大学の学生だという。「じゃあ研究者なんだ、君たちは」というと、kzさんが「何研究してんの」と話しに入り込み、「へえ、理系ばかりなんだ」と転がっていく。7人で来ているらしい。そのうち後続が着き、彼らは山頂を目指して歩きはじめた。別の若い人たちも到着し、皆、ここで一息ついて腰を上げる。ゆっく売りとお昼タイムをとって、12時にここを出発する。
 
 帰りに見る景色が来るときと陽ざしの角度も変わるから、北側の山稜の紅葉がいっそう美しい。山全体が、黄、赤、緑の彩を湛えて受け止めた光の度合いを変えてグラデーションをつくり、深い渓へとフェイドアウトしていくという具合だ。しばしば立ち止まる。正面の大山は朝と同じように照り輝いている。帰りの足は速い。mrさんも戸惑うことなくひょいひょいと下り、そして上る。ここを登るのはいやだねえと言っていた、今日最後の上りを難なくこなして、大山山頂に着いたのは12時54分。
 
 13時に大山を出発して、いよいよ大下りを降る。足を置き場を用心しないとつるりと滑る。私も、2度滑ってしりもちをついた。ズボンが泥だけになる。だがほとんど休むことなく下り、キビタキ小屋にも寄り道して13時50分着。古びた避難小屋。今どきどんな方が使うんだろうと思う。下の保久礼小屋の方が、まだきれいだ。その保久礼小屋に14時13分着。清水が流れ出して杓子が添えてあるのを呑んだmrさんが「これはおいしい」と声をあげたので、代わる代わるに皆、その清水を頂戴する。私は空になったペットボトルに入れて持ち帰り、翌朝のコーヒーを点てた。
 
 駐車場に14時25分。小出ICを経て浦和に還った。途中の工事渋滞があったが、4時間余で到着。kwmさんがコーヒーをくれたから助手席も眠るわけにもいかず、あれこれと運転手の眠気を覚ますような話しを繰り出して、ご苦労をしていた。ま、ま、無事に帰還したことを言祝ぎたい。

紅葉の越後の名山、浅草岳・守門岳(1)

2016-10-20 17:14:56 | 日記
 
 18日から1泊2日で、浅草岳と守門岳を登った。朝、8時半に越後湯沢駅で落ち合い、レンタカー1台、マイカー2台で、出発。10時10分には浅草岳のネズモチ平登山口の広い駐車場に着く。トイレもある。浅草岳の中腹から上は、雲の中。「えっ、雨具をもっていかないんですか」「ええっ? もっていくんですかあ」とやり取りをしている。「雨具は必須ですよ」と口を出して10時20分には出発していた。
 
 標高約900mの登山口に入ると、いきなりの急登。この登りが前岳の稜線に出るまで、約2時間続いた。私がガイドブックの120分というのを1時間20分と読み間違え、なんだ、こんな簡単な山なのかと思っていた分だけ、皆さんくたびれたのかもしれない。20分ほどで一息入れて、着ているものの調整をする。私も、上に羽織っていた山シャツを脱いで、アンダーウェアとベストだけにした。暖かくなってきている。上へ上がると紅葉が良くなる。霧に包まれ、黄色や赤の輝きはないけれども、たしかに秋の山だと感じられる。去年登ったときにはちょっぴり危ない通過点もあったように思ったが、そんなところもなく、踏み跡はしっかりしている。霧には濃淡があるらしく、先頭の姿が見えなくなるかと思うほど、濃いところもあれば、間近の紅葉がひときわきれいに見えるところもある。呼吸も苦しそうにない。足並みも快適にそからろっている。さしたるおしゃべりも聞こえてこないのは、しかし、頑張っているからなのか。前岳の浅草岳へは木道を歩く。それが雨に濡れているうえに傾いていて、滑りやすい。
 
 山頂に着いた。1596m。登った標高差は約700m。12時半。コースタイムより少し早い。5,6人の人たちがお弁当を広げている。眺望はまったく利かない。私たちも適当に場所を占めてお昼にしたが、食べ始めてすぐに雨が降り始めた。食べるのを中止して雨具を着る。sdさんはちゃんと傘を用意している。なるほど、百名山あと五つという達者だけのことはある。雨に馴れている。「晴れ大明神はどうしたのよ」とmrさんに声をかけると、「賞味期限切れです」と答えが返ってきた。ふと気づくと、皆さん食べ終わって荷をまとめ、もう出発しようという態勢になっている。たしかに山頂を愉しむという雰囲気ではない。onさんが手にもっていたふんわりとした大きいビニール袋をkzさんが彼のザックの雨カバーの下に組み込んでいる。そうだ、山歩きのときにはできるだけ手を自在に使えるようにしておく必要がある。kzさんはザックの雨カバーを二重にして、防水している。これも知恵だね。12時55分発。
 
 先ほど上って来た前岳の分岐に着く。標柱が傾いている。ここから稜線上を西のカヘヨノボッチへ向かう階段を下る。岩場があったように思ったのは、私の勘違いのようだ。どこか別の山と取り違えている。その先がサクラソネの稜線。緩やかな傾斜の樹林の中を長々と下る。ところどころで右側が切れ落ちて、下の駐車場が見える。標高が1300mほどから1100mほどにかけて、紅葉が見事になる。おや? 陽ざしも出てきたか。見上げると青空もみえる。枯れた大木の幹にキノコがたくさんついている。「これは、ほらっ、写真撮らなくちゃ」と誰かが私にいう。msさんやsdさんが立ち止まって写真を撮っている。「か~ん」と鐘の音がする。リンドウに出る手前のところにやぐらが組まれ、釣鐘がつるしてあり、木槌も備えている。霧が深いときに、道を知らせようということだろうか。でも、踏み跡は迷うかたなく、一本しかない。
 
 こうして林道に降り立つ。14時半。北西の守門岳方面の雲が薄くなり、雨あがるという感じで、山頂部が少し見える。私たちの気分も、山歩きを無事終えたという成就感からか、雲を抜けたように明るい。雨具を取り片づけ、ザックに仕舞う。林道沿いの紅葉が、輝きを得たように映える。下界も雨が降ったようであった。登山口からこちらへつづく林道は「一般車両通行禁止」。濡れて苔がついていて滑りやすい。「ここで滑っちゃねえ……」とどなたかが自分に言い聞かせている。本当に三々五々、登山口の方へ散歩をしているようだ。途中に「殉職者慰霊碑」というのがあった。2000年の6月18日に遭難者を空所するために入った救助隊が雪崩れのために4名の死亡者を出したことを顕彰して石碑をつくったようだ。だが、「6月18日」というのに驚く。この季節に「雪崩」というのは、よほどの豪雪地帯ということなのだろう。山を歩くだけでなく、その遭難者を救助する人たち、そこに暮らす人たちのことがしばらく胸中をめぐる。その傍らの紅葉が、また、ひときわ鮮やかだ。
 
 駐車場に3時に到着。ほぼ全行程をコースタイムで歩いた。ここで、日帰り組のレンタカーを送り出して、泊り組は麓の浅草山荘へ向かった。「越後湯沢、無事着きました。飲み始めました。ありがとうございました。」と、レンタカーを運転したkwmさんからメールが入ったのが5時21分(と、翌日帰宅してから分かったので、こちらも富士帰着したと返信したら)、「お疲れ様でした。最後にきれいな紅葉を見る事ができて良かったです。帰りの車の中は三人娘(?)のおしゃべりが延々と続き聞いていて楽しく眠くなることなく運転できました。」と丁寧な返信が届いた。そういえば、kwmさんはネズモチ平を出発するとき、「運転に気を付けて」と缶コーヒーをふたつ下さった。「助手席も眠らないでねってことよ」と、翌日言いながら、ありがたく頂戴したのであった。
 
 さて泊り組。麓の浅草山荘には10分ほどで着いた。大きな「国民宿舎」だが、何だか閉鎖したスキー場のレストランのように、がら~んとした鉄筋三階建ての大きな建物。静かに佇立しているという感触。傍らの何とかミュージアムという建物には「休業中」の看板がぶら下がっている。「浅草山荘」と思われる建物の正面玄関の自動ドアは、しかし、前に立つとすう~と開き、スリッパが4足並べてある。ということは、今日の泊りは私たちだけなのか? 建物はまだ改装したてのように新しく、人気のないのが不気味に思える。なんとなく幽霊屋敷にでも入るような気分で中の自動ドアを入ると、フロントがある。私がそこへ着くかどうかと同時に、30歳代の女性が現れ、手続きをする。部屋と夕食とお風呂の案内を口頭でして、カギをもらう。広く大きな建物のなんとなくほの暗い廊下を歩き、エレベータで 3回に行き、部屋に入る。踏み込みの板敷のふすまを開けると、10畳の畳、床の間も付き窓際には板の間も荷物を置くほどにはついている。カーテンを開けたkzさんが「いや、これはいいなあ。山荘って言ってたから、山小屋かと思っていたが、これじゃホテルだね」と声を上げ、「かみさんを連れてこなきゃ」と付け加えた。彼は、5日前から車で家を出て、山と温泉を経めぐっている。奥さんには「下見」と称していると笑う。
 
 風呂は「温泉の取り入れ口の機械が故障し、今は沸かし湯ですが、よろしいですか」と予約の時に断りがあった。だが、広い湯船にたっぷりの湯が張ってあり、浅草だけの畔を流すのに不都合はない。むしろ私たちだけとしたら、そのためにこんなに湯を張っていては、経営の支障が出るのではないかと心配したほどだ。zkさんと私は、4時ころからビールを開け、焼酎をお湯割りしながら、近況を交わし、明日のルートを確認しました。kzさんが見つけた「守門岳」のルートは、私が短縮すると想定したものよりさらに短いもの。私が車を注射するとした地点からさらに奥に林道が走り、保久礼小屋近くにまで伸びている。彼の見た本は10年前に手に入れたものだという。私のは何年出版か見ていないが、30年近く前のもの。やはり登山情報は、最新のものをチェックしなくちゃいけないね。そこからの往復だと、5時間半。否も応もない。それに決めて、2台ともその駐車場に置くことにした。これなら実は最初から1台にしてレンタカーを借りてもよかったわけだが、でも、kzさんが車で旅の途上にあったことを考えると、2台で正解かとも思う。この変更により、朝食をおにぎりにしてもらって早発ちするというのを訂正し、朝食を食べてのちに出ることにした。
 
 夕食に驚いた。料理がびっしり。食べるのに困るほどであった。また朝食も、食べることにしてよかった。おにぎりと引き換えになどできないほどの品数。日ごろそれほど食べない朝食をしっかりととって歩いたから、お昼になってもおなかがすかないほどであった。やはり最初に思った通り、今日の宿泊者は私たち4人だけ。これで成り立つのだろうか。料理長とフロントの女性の二人だけ。軽自動車が2台片隅に止めてあったから、彼らもどこかから通いなのであろう。なんとも気の毒な気分になった。(つづく)