mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

「冷たい社会」を転換させる担い手は?

2016-10-17 15:40:31 | 日記
 
 今日(10/17)の朝日新聞の「フォーラム」欄に「配偶者控除の存続―中小企業」で、所得税の配偶者控除を存続させる方がよいかどうか、その見直しに関して、二人の企業経営者の女性が「NO―共働きは納税 不公平」、「YES―内助の功 報いていい」と主張を述べている。根柢に国家の側の徴税意図があることには触れないで、その是非を論じていて、それぞれの言い分にそれなりの「理屈」は成り立つが、どこか馴染めない。ヘンな感じがついてまわる。なんだろうこれは?
 
 それに対する回答が、思わぬところにあった。井出英策『18歳からの格差論—日本に本当に必要なもの』(東洋経済新報社、2016年)。今年の6月に出版というこの本のタイミングは、明らかに「選挙権の18歳への引き下げ」と参院選を狙っている。表題から読み取れるように、若い人に厳しさを増す「格差」社会を、どうとらえるかを提起している。税収と再分配、生活保護とその不正利用などを概観して、その根底に、「個人の自立」と「(他者に対して)冷たい社会」が深く関連していると指摘する。つまり、「大きな政府=重い負担=安定と安心の社会」か「小さい政府=少ない負担=格差と冷たい社会」かと対照させ、政策選択の根柢に横たわる思考の転換を促している。
 
 一つの節の見出しに《「救いの手」は救済であると同時に、確実に、そして深く、人間を傷つける》とある。「弱者救済」というのが、どれほどに、その当事者を傷つけているかに焦点を当てて、人が良きるときの「誇り」と「安心」を連接している。そう言われてみると、「配偶者控除」の「不公平」というのも、「内助の功」というのも、立論のステージが異なることに気づく。前者は、「働く者」として「公平な処遇」を求めている。他方後者は、「家庭を支える」視点からの立論である。だが「働く者」にしても家庭を持っており、時間や家事をやりくりしている。ではその「(働く夫婦が協働している)内助の功」はどう評価されるのか、と疑問が出される。主婦に対して「働きもしないで、家庭にいてなお、控除を受けるのか」と共働きの人が怨嗟の声をあげていると読み取るのが、そもそも、身近なもの同士の間に問題をすり替える議論のやり方なのだ。働こうと働くまいと、その選択は自由であるという今の社会の原理を前提にするなら、「配偶者控除」をすべての配偶者に適応すればいいのだ。これは、「結婚したくない人たち」への対策にも効果を発揮するようになるかもしれないが、それは本題ではないから、さていておこう。
 
 むろんそうすると、税収が減る。その減収分をどこから徴税するか。それこそが、国家の本命題である。増税を受ける側からすると、いかにも、「目前の減税=配偶者控除の全員への適用」こそが悪いことのようにみえるであろうが、そうではないと、井出英策は説く。配偶者控除の全家庭適用が、所得税のn%増税となったとしても、当然ながら高所得者の支払う絶対額の方が多くなる。それが(家庭を持つ人たちとはいえ)、全家庭もちに適用されるとなれば、所得の低い層が手厚い「分配」を受けることになる(もちろん働いていない主婦の控除は主たる所得者の所得から控除されるわけだが)。これが、「安心と安定」を生み出すというのが、井出英策の提案のかなめだ。井出は「配偶者控除」について論述しているわけではないから、主婦を社会的弱者と言っているわけではないけれども、社会全体に「納税」し、社会全体から(誰もが)「安心と安定」を手に入れることができる社会をイメージしている。そして、それをこそ、次の世代を担う18歳からの若い人たちに得心してもらおうと、考えているように思える。
 
 「人間を信じられず、成長できない社会を望みますか?」と、別の節の見出しにある。井出はそれを「必要の政治」と名づけ、《「必要の政治」によって格差是正を結果に変える》《「必要の政治」は「お金なんかで人間を評価しない」という哲学》と踏み込む。「お金で人間を評価する」というのは、「所得制限」で恩恵を受けるという制度を弱めていって、「中間層を含めた多くの人たちを受益者にする」と分かりやすく言い換えている。《「弱者救済」という僕たちの常識とは正反対の発想です》という。つまり「負担」は大きくなる。井出は「租税抵抗」と表現する。その「租税抵抗」を緩和しながら、それと引き換えに「受益感」を高めるという。それは(現在と将来に対する)「安心と安定」を感じられる社会をかたちづくって行こうと提案しているのである。それは「冷たい社会」から「必要の政治」が行われる「安心・安定の温かい社会」と言い換えることができる。それが、本書の中で「(政策選択の)根柢に横たわる思考の転換を促している」ことなのである。
 
 では、いつから日本は「冷たい社会」になったのであろうか。井出はなぜ日本が「冷たい社会」になったのかには、深入りしていない。むしろそこからの脱出をどう行うか、ポジティブに提案しているにすぎない。だが行間から読み取れるのは、以下のようなことだ。
 
 日本がもともと「冷たい社会」であったのか、「温かい社会」であったものが、どこかで「冷たい社会」に変わったのかは、ひと口に言えない。農村農業中心の共同性社会が崩壊して、商業や工業中心の都市社会が出現したことを「冷たい」と呼んでいるとしたら、江戸のころすでにその萌芽はあり、ただ、大規模に農村社会が解体していったのは、明治から大正・昭和にかけてのことであったろうから、おおむね日本の近代化と並行して、事態は進行してきたとみることはできる。だが、井出が言うように北欧社会ではいまだに社会的な相互共済感覚が息づいているとしたら、都市においても農村においても、相互扶助的な社会感覚が薄らぎ、個々の独立不羈が社会的規範として行き渡ったころ、つまり、戦後の「個人主義」が一般化したころといえよう。
 
 私個人の裡側の感触でいえば高校生のころ、1950年代の後半、「もはや戦後ではない」と経済白書が記したころから2,3年遅れてではなかったかと思い返す。都会地と農村部とでは数年以上の地域差もあろう。私が過ごしていた地方の小さい工業都市では(造船や鉱工業が)その何年か前の朝鮮戦争特需で潤って後ひと頓挫し、不況から緩やかに上昇に転じたころであった。「人生の目標」を問うた新聞の世論調査だったか何かで、「自分の幸福のために」というのが「社会のために」というを上回った、と報道されたことがあった。なぜそう思うようになったかわからないが、私は当時、「社会のために」生きることを当然と思い込んでいたから、自分の考えが(社会的には)「少数派」になったと知って驚いた記憶がある。また、その後4,5年経って、大学の同期生が結婚するときの挨拶で「暖炉があって彼女と猫がいる暮らし」を理想だと話したときに感じた(彼我の感性の)落差は今も忘れない。
 
 「冷たい社会」は、戦後の主潮であった「個の自立」や「自己実現」「自己責任」がつくりだしたことではなかったろうか。そのように思いなして人生を送って来た、私たちは、戦争の災厄や貧困や格差の底辺であえぐ人たちを、「生まれ」や「育ち」や「不運」な人たちとみなしてきた。もちろんそういう人たちに対する「同情」はあったが、逆に裏返して、私たちが「頑張った」からであり、「堅実」に贅沢もしないで暮らしてきたからであり、何よりも幸運であったからだと思ってきた。だが、そのときすでに社会的には、私たちの多数の「温かい社会」関係を取り持ってきた共同性は解体し、家族もまた、子どもたちの独立不羈を築くべく、子どもの教育や進学に熱を上げていたのであった。つまり、「悲運な弱者への同情」は、幸運な立場を確保できたものの「ノーブレス・オブリージュ(高貴なるものの義務)」という響きを持っていたのである。これは井出のいう「弱者救済」のセンスにほかならない。
 
 「温かい社会」というのは、そうではない。私たちが(社会に対して)一番望んでいるのが、将来にわたる安心と安定であるのだとすると、それを地方の行政によってつくりだしていくという「共同規範」を、「悲運な弱者」のためではなく全員のためにつくりだすことだと、これまでの視点を変えることを意味する。それには、応分の負担と適正な再分配をそれを「18歳からの格差論」というかたちで提起しているのは、次の世代の人たちに期待しているからであろう。もう年寄りは当てにされていない。だがほんの少しでも、「温かい社会」を体感してきたのは、戦中生まれ戦後育ちの私たちである。1972年生まれの井出にいわれるまでもなく、私たちこそが、孫の世代に受け継がなければならないことではないだろうか。