mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

全天候型の東北・慰霊の旅(2)真冬日から真夏日へ

2016-10-06 11:40:56 | 日記
 
 藤七温泉について触れておく。八幡平山頂にいちばん近い宿ということで、宿泊予約を取った。2年前には、ひと月前だったせいか、満室で予約が取れなかった。今回は2か月前で、本館の空き2室のうち一つが、辛うじて取れた。8畳間、3人。ざんざぶりの雨が少し小降りになって藤七温泉に着いた。標高は1400m、八幡平山頂バス停が標高1600mほどだから、標高で約200mアスピーテラインから離れて下ったところにある。
 宿はすっかり雲に包まれていたから、翌日になって分かったのだが、八幡平の南側を平野部へ下る二つの稜線の分かれ目に位置している。山頂バス停を通るアスピーテラインは、10月半ば以降の雪の日には通行禁止になり、11月から4月末からの連休前に除雪をして通行できるようにするまでは、閉鎖になる。藤七温泉は、八幡平温泉郷から林道を登るアプローチもあるから、冬季閉鎖とは言えアスピーテラインよりは長く営業している。いわば秘湯の宿だ。湯けむりはそちこちから上がっている。八幡平の山全体が活火山。加えて積雪も多く、雨を蓄えるブナ林が山肌を覆っているから、地下水も豊富。だから、その大きな山体の各所に「温泉」を噴き出している。
 藤七温泉は、むかしの温泉宿。木造の古い二階建て造りで、トイレも共有のものしかない。洗面所には、「このような古い造りで、申し訳ありません。朝早い方もいますので、お静かにお願いします。」と表示して、登山客が泊まることを示している。内風呂が1カ所、露天風呂は2カ所あり、そのうちの一つは「晴れていれば、5時半に朝陽がみえます」と掲示している。もう1カ所の露天風呂は、廊下の窓から覗けるところにある、文字通りの露天。板敷の渡りにすべり止めの布を敷いた上を歩いて10mほど行かねば湯船に入れない。広い野外の数カ所に区切られた掘割様の湯船がある。いずれも「混浴」とある。目隠しで囲われた女性専用もある。女性はバスタオルをまとって利用してもよいとあるし、7時半から8時半までの間は(すべての風呂が)女性専用としてあるから、それなりの配慮をしていると言える。たしかに女性客は多い。だが、露天風呂に入っている人の姿は見えなかった。宿に入ってから、雨がすごくなったせいだろう。
 私たちの部屋が寄せ棟造りの曲がったところに位置していたためもあるが、雨を集めて流れる音がまるで水量の多い滝のように1階のトタン屋根を叩く。部屋での話し声が聞こえなくなるほどであった。部屋には菅笠が用意してある。雨のときはこれをかぶって露天風呂へ行けということであろう。せっかくだから露天風呂に行こうと兄はいう。弟は尻込みしている。雨が小やみになったころ行くことにした。露天風呂の入口にある内風呂も安普請の建てつけが年季を経て、強い風にがたがたと激しい音を立てている。まずはその湯船につかって、外に出る体を温める。外へ出る。10mほどの板敷を渡り、まず一つの湯船に入る。10m四方はあろうか。ぬるい。底の泥がぬるぬると足裏をくすぐる。石の板が敷いてあるが、その隙間から泥が湧き起る。少し向こうではぼこぼこと湯が湧き上がっている。近づくと、なるほどそれなりに熱い湯が広がっている。露天の底から直に湯が湧きだしているのだ。私たち兄弟が入っているのを見て、内風呂に来た男性客が2人、飛び込んできた。私は、もう一つ別の湯船に移る。こちらの方がまだ少し暖かい。そう言うと、弟もこちらに来る。向こうの湯船に入ったアラフィフの「若者」が、顔に泥を塗り付けて「美顔術」を試みている。風が顔を冷やし、いつまでも入っていられる感じがする。また一つ向こうの湯船に移ってみたが、そちらは湯温が低い。元に戻る。雨もほんとうに小降りになった。弟が風呂から上がり、内風呂への戻り口の外からカメラを構えている。兄と私は一緒になって、遺影になるねとつぶやきながら「イエーイ」と指を突き出す。馬鹿丸出しだね。裸でカメラを構える弟も、馬鹿丸出しだ。
 夕食はバイキング。それなりに種類があって、満腹にはなった。日本酒を頼んだが、お腹がいっぱいで、お酒の味はわからなかった。部屋に戻るころ雨がまた、強くなった。兄は、もう一つの露天に行こうという。いやもういいよとやりとりをしているうちに、私は寝入ってしまった。後で聞くと、10時を過ぎたころ兄はもう一つの、東側に向いた露天風呂に行ったそうだ。菅笠をかぶっていたが、強い雨粒が顔に当たって痛いほどだったそうだ。「ひょっとして雹だったのじゃないか」と話していたが、モノ好きにもほどがあるね。
 夜中じゅう、雨音は絶えなかった。弟によると、朝3時ころまで降っていたという。それが止み、目が覚めたのは5時。朝陽の見える露天風呂に行く。雨は落ちていないが、空は厚い雲が覆っている。ここは内湯がない。着替えていきなりの露天。風が強い。気温は5,6度か。豊富な源泉がどぼどぼと注ぎ込んでいる。湯温はいくぶん熱いから、頭が冷えて気持ちがいい。八幡平の南の裾野へ広がる山体が霧に少し霞んで見える。いいなあ、こういうのって。兄は上がり湯がないというので、昨日の内湯に向かう。私は、源泉の注ぎ口から湯を汲んで身体にかけて上がり湯にする。
 朝食を済ませて出発したのは8時。用心して、ザックの中に羽毛服を入れる。宿を出るときすでに、雨着の上下を着こむ。それくらい寒さを感じる。山頂パーキングに車を置き、登山口に踏み入る。歩いていると、耳が痛くなる。慌てて雨着のフードを出して帽子の上からかぶる。この体感温度は零度。真冬の気温だ。見返峠の分岐から鏡池の方へ道をとる。今日は山頂部を大回りして2時間の行程を2時間半かけて歩く予定。山は雲に覆われ、見晴しは利かない。鏡沼もかろうじて水面がみえる程度。周りの背の低い風に枝が撓んだシラビソが霧に霞んで湖面にかぶさり、神秘的といえば言えなくもないが、奥行きがない。その先にメガネ沼がある。沼の縁に踏み込むと、10mほど下に二つの水面が水を湛えている。沼の南側の斜面が黄葉して周りの緑から際立って、ハッとさせる。
 石畳の歩道をさらにすすむと田代沼との分岐に出る。そこを右へ曲がると、その先に組み立てられた見晴台が見える。これが山頂の展望台だ。手前に「八幡平山頂1613m」記した木柱の標識があった。オオシラビソの木立に囲まれてすっくと立っている。見返り峠で出会った一組3人が、カメラのシャッターを押してくれないかという。快く引き受ける。お返しにシャッターを押してあげるというので、兄弟3人が並んで記念撮影。展望台に上がる。上空は雲、20mほど下の湿原の広がりがみえるが、強い風に飛ばされる霧が通り過ぎて、とらえどころがない。昨日同じ宿に泊まって露天で出くわしたアラフィフの「若者」がやってくる。彼はこれから、黒谷地の方へ縦走するという。そのカメラのシャッターも押してやり、元気でねと別れる。
 ガマ沼にかかると、少し霧が薄らぎ遠望が利く。先ほどのアラフィフがいて、またシャッターを押してあげるというので、押してもらい、お返しに撮ってあげようとするときに霧はすでに濃くなって、遠景が映らない。お気の毒さまでした。八幡平山頂高原のいちばん大きい沼、八幡沼が東へ向けて広がる。それに沿う道を進むと、「八幡平・稜雲荘」と名づけられた避難小屋がある。霧のときに鳴らす鐘が取り付けてある。中はストーブも設えられていて、きれいだ。トイレもある。その先の湿原へ踏み込んで驚いた。見事なクサモミジが広がっている。広い高低差のある湿原が、グラデーションをともなう黄色に染まり、木道の先へと伸びている。「おい、そこに止まれ。写真を撮るぞ」と兄が声をかける。何枚、どこで撮っても、またシャッターを押したくなる。
 八幡沼は、わずか20m先の対岸が見えないほど霧が濃くかかって荒れる海のようにみえる。風も強い。その端のところで、山頂駐車場へ戻る道と黒谷地への分岐がある。後ろから来た2人連れが黒谷地の方へ行く。おや、この方々も、件のアラフィフ「若者」と同じように縦走するのか。看板に目をやると、「源太森10分→」とある。この辺りの山名は、「○○森」と最後に森をつける。たぶん「小高く盛り上がったところ」というほどの意味で、「森」とつかっているのではないか。秋田駒ヶ岳の方にも、笹森、黒森、湯の森と森がついていた。往復20分ならちょうど良い。「行こう、行こう」と木道を突き進む。湿原から離れ、標高で15mほど上ったところに源太森があった。晴れていれば周囲の展望が利く1598m。大きな丸い石の台があり、山名表示をした方向指示版が設置されている。でも、雲の中。
 八幡沼の分岐、ミクリ沼にところに戻り、八幡沼の南側を見返峠へすすむ。ハイマツとササと木道と色づいているクサモミジを見ながら、薄くなったり濃くなったりする霧とともにすすんでいると、ちょうどベンチがある。2時間は過ぎている。兄がコーヒーを御馳走するという。カップを出し、テルモスに入れてきたお湯を注いで、暖かいコーヒーを淹れてくれる。温かいのが身体に流れ込む。弟がチョコを出し、兄がういろうを取り出して、コーヒーのお供にする。と、眼下の方の霧が晴れ、八幡平の南側山麓がちょっとの間、見晴らせる。「おおっ、みえたぞ」と弟が声を上げる。だがすぐにまた霧に閉ざされる。上空の雲は相変わらず厚いが、徐々に雲が上がっているように思える。
 ガマ沼から下ってくる道と合流し、道が石畳になるころ、見返り峠の分岐に着く。下から上がってきた5人ほどのパーティが、どこをどうまわって来たかと問う。装備はきっちりと山ガール。中高年だけど。2時間半というと、「それくらいならちょうど良い」と誰かが声を出して、霧の中に入っていく。雲が少し高くに上がり、下に駐車場が見える。その向こうの、畚岳(もっこだけ)が丸い姿を見せている。
 こうして車に戻り、レストハウスの中で雨着を脱いでたたむ。結局防寒に用意した羽毛服などは着ないで済んだ。寒ければ歩けという山の要領が生きていたわけだ。八幡平の案内書きに目を通す。ほぼ私たちが歩いたところが、山頂部の全体のようだ。ビデオにかかっている映像は、明るい夏の八幡平を歩く若い人たちを映している。花が咲き乱れ、7、8月がひときわ美しく輝く季節。また来たいと思わせる。
 車に乗ろうとしたところで、縦走した件のアラフィフ「若者」が歩いてくるのが目に留まった。おや一緒になったねと話しをし、彼もまた、盛岡駅へ行く予定だというので、乗せていってあげようと声をかける。後ろの座席で、この愛媛から来た「若者」と弟が、あれこれ話を交わしていた。高校生の息子がラグビー選手として岩手国体に出場する応援できて、ついでに八幡平に登って帰ろうと昨夜の藤七温泉に泊まったという。「1300円って高くないですか?」と聞く。「秘湯の湯だから、ね」と、義理もないのに解説してしまう。アスピーテラインを下山にかかるころ、岩手山の雲が取れ、山頂部まで見事な姿を見せている。「岩手山はみられるかねえ」と雲の中を下っていたときに、長兄の繰り返していた言葉が耳に響いた。2年前に長兄が亡くなったのが、いまだに信じられないくらいだ。
 新幹線で大宮に帰り着いたのは4時40分。この日東京は最高気温32度を記録、「十月の真夏日」とTVがかしましく繰り返していた。真冬日から真夏日までを、一日で過ごしたというわけだ。何より無事でよかった。