mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

絶景の倉見山――終わり良ければ総て良し

2016-05-19 13:46:46 | 日記
 
 昨日(5/18)、降り立った駅舎を出ると、右にみえる緑の尾根の肩にクリームをたっぷり塗り付けたケーキのように頂をみせていたのが富士山。「あっ、富士山が見える! あの右側の隅」と声をあげると、「電車の中から見えていたわよ。〈なに驚いてんの〉」といわんばかりの返事が返ってきた。富士急線東桂駅。今日は倉見山に登る「日和見山歩」の5月月例会。来週には、反対側の箱根外輪山の金時山から富士山を眺める月例会もある。
 
 倉見山1256mは、富士山の東北側にある。南北に走る富士急線の線路を挟んで西側には、河口湖を右下において富士山の展望台といわれている、三つ峠(山)がある。先の電車で到着していた二人と合流して、歩き始めたのは、9時10分。標高560m。山頂までの標高差は約700m。今日のリーダーはKwmさん。歩くペースなども彼女が整える。久々に参加したMzさんと挨拶を交わしている面々もいる。国道を離れ、鹿留川に沿って林道を進む。ダンプカーが狭い道を(われわれを意識して)ゆっくりと通り過ぎる。〈危ない年寄りたち〉とみているのかもしれない。女の運転手もいる。地元の人たちが下ってくる。どこに上るのかと尋ねて「倉見山はお寺さんのところに標識があるから」と教えてくれる。たしかに、標識がなければ、ここが登山口とは、ちょっとわからない。お墓のあいだを縫って登山道に取りかかる。いきなりの急登になる。昨夜の雨もあってか、ちょっと滑りやすい。
 
 登山道はしっかり踏まれていて、迷うようなところはない。逆に(たぶん、上から下るときであろう)ショートカットして出来上がったルートがあって、上るときには、どちらにしようかと迷うようになっている。小さな社がある。もうすっかり樹林の中。広葉落葉樹を交えたスギ林だから、丁寧に手入れがなされているのであろう。その上へ行くと、背の高い広葉樹が繁茂している。セミの声が聞こえる。夏ゼミとは違うが、奥日光のエゾハルゼミとも違う。ちょっと濁って、野太い声のハルゼミだが、何という種類かはわからない。
 
 登山口から15分ほどのところで、Mzさんがストックを取り出す。だが短いそれを、もっと適当に調節することもしんどいのか、もたれるようにして息が苦しそうだ。Mrさんが気遣っている。30分ほど登ったところで、リュックを持ってあげるとOnさんが手にとって先行する。しばらく休んでいたが、「このまま帰った方がいいかしら」と言うので、リュックを置いておくように、先行するOnさんに声をかける。Onさんは「かわるがわる持つから大丈夫」と声を返す。でも「リュックだけ上っても困るから」と、声をかけた趣旨が通るように言い直す。
 
 ストックの長さを調節しなおす。リュックとのところまで行き、一息つきながら、「これで帰っちゃ、6月の湯ノ丸山の案内なんて、出来ないね」とMzさんは言う。来月の山を彼女が担当しているのだ。今日の暑さが身に堪えているのかもしれない。毎日のお孫さんのお世話に、くたびれているのかもしれない。久しぶりの山歩きに、慣れない身体が悲鳴を上げているのかもしれない。ご当人は「70を過ぎると、きびしいですね」という。その通りだが、今日の男連中は皆、73歳以上だ。70歳如きで悲鳴を上げるのは、まだ早い。
 
 もう少し上ってみるわと、頑張る。だが汗をずいぶん掻いている。当人は「OS1」のゼリー状を口にするなど、水分補給には気を遣っている。だが「冷や汗をかいている」というので、このままだと熱中症になると心配する。標高760m、駅から約1時間歩いたところで、引き返すと決断。山頂までのほぼ1/3の行程のところで、下山することにした。「このまま降れますから」というので、駅に着いたらメールをくださいとおねがいして、別れた。
 
 844mのポイントで、待ってくれていたほかの方々に合流。それほど離れてはいなかったと思うが、あとから追いかけて追いつくのはずいぶんと骨が折れる。昨日、私の方の別の集まりがあって、一杯やったのが祟ったのかもしれないが、そのあと上るのに、ひときわ力を使ったような気がする。こういうことも、歳のせいにしてはいけないかもしれないが、心しなければ歩行力が保持できないことにつながると思えた。歩きながらKhさんが、75歳の運転免許更新の検査を受けたと話してくれたことが、印象深い。同年齢の人たちと一緒に実地運転などもしたが、皆さんが驚くほど「年取っていると感じた。あなたなんか、見ているだけでイライラしてくると思うよ」と。そうなのだ。こうして山を歩けるだけでも、ほんとうにラッキーな身体条件をもらっているのだ。いまここにある「幸運」をどこまで保持して齢を重ねるか、そういうことが問われているんだねと、言葉を交わした。
 
 いくつか麓へ下る「分岐」を見ながら、稜線上を倉見山の山頂へと歩を進める。「←登山道」と標識があり、その下に「2016.4 宮下自治会」とあった。一月前につけた標識のようだ。地元の方々が大切にしている山だと思われる。落葉広葉樹の繁る稜線上は、まだ色の浅い緑の葉をつけ、ところどころにタマツツジのようなオレンジ色が華やぐ。陽ざしが差し込んで明るく、しかし適度に吹き抜ける風が涼しく感じられて、恵まれた季節の山を感じさせてくれる。小さく分かれた穂先のような白い花をつけた木がぽつんぽつんと緑の彩の中に美しい。Khがチドリの木だという。そう言われて葉をよく見ると、対生になっている。カエデの仲間だ。
 
  メールが入っているのに気づいた。11時過ぎにMzさんは東桂駅に着いたらしい。「駅員の方の話によると、クマガイソウを見るのは今日までとのこと。それをみて帰ります」とあった。元気なようで、皆さんに報告。「そういえば駅にクマガイソウの案内ポスターがあった」と誰かが言う。三つ峠駅から行くようだ、とも。帰りによって行こうかしらと話しを交わしている。
 
 山頂に近いはずだが樹林に囲まれ見晴は利かない。と、ひょいと山頂に出た。私の高度計は、20mも標高標示が低くなっている。上りはじめた時よりもさらに気圧が上がっている。山頂では3人の人たちがお昼をとっている。その先端の松の木の隙間から、堂々とした富士山が姿を見せている。いや、ご褒美だねと思う。11時27分。歩き始めて2時間17分。コースタイムより23分速いが、いいペースだ。後ろを気遣いながらリードしたKwmさんは、ときどき立ち止まって花に目を留める。山頂付近にはリンドウがさいていた。エイザンスミレを見つけた。「あっ、フタリシズカだ」とどなたかが声を出して立ち止まる。覗き込むが、花は一輪しかない。後にまた見つけてみると、今度は2輪咲いている。名もわからない青い花を「山野草アオ」とMrさんが根付ける。山野草アオはその後、何カ所も花をつけてルートを彩っていた。平地にはアカシアの花が満開。地元の人たちが愛でて大切にするだけの山姿を保っていると見えた。
 
 お昼をとりながら40分ほど山頂にいた。松の木ごしの富士山をながめながら、降りるのがもったいないほどに思えた。12時10分、下山開始。すぐ先に、また、富士山の展望台があり、その後何度か、そのつど立ち止まってカメラにおさめ、幸運を言祝ぎながら、降っていった。それほどいかないうちに、「分岐」の標識があり、その脇に、「←向原 寿駅」と記した小さな表示が置いてあって、そちらへ道をとる。これがどうも、あとで考えると、向原峠の分岐ではなく、その一つ手前の分岐ではなかったかと思う。というのも、国土地理院の地図では、一つ手前のルートは、途中で途絶えているために、向原からのルートしかないと思ったのだが、「分岐」の標識のひとつに、「堂尾山公園経由クマガイソウ群生地 三つ峠駅」とした表示があったからだ。向原峠からの下山路には、三つ峠駅への分岐はない。だが、一つ手前のルートには、三つ峠駅へ向かう(が、途中で消えている)道がある。
 
 そう思いながら下っていると、標高850m地点で四つ辻があり、そこの標識には、「←寿駅」「←向原」「←堂尾山公園を経てクマガイソウ群生地 三つ峠駅」「倉見山→」とあった。地理院地図で林道に出逢うような箇所があり、ごちゃごちゃと入り組んで(消えて)いる。そこではなかったか。皆さんはクマガイソウを見てゆくかどうかを思案していたようだが、Khさんがスマホを見ながら、三つ峠駅までは4.7㎞、寿駅まではその半分ほど、と距離を告げ、結局今日のリーダーのKwmさんに判断を任せて、寿駅への道をたどった。当初予定のルートと違ったために、予想よりも早く平地について自動車道路を歩くようになり、その距離もずいぶんと短かった。シティズンの工場が何カ所にも分かれて設けられていて、富士吉田市の主要な企業になっていると思われた。
 
 富士見中学校がある。そのグラウンドからは、富士山の全身がしっかりとみてとれる。「いいなあ、こんなところにある中学校なんて」と誰かがつぶやく。富士山に見守られているように感じたのであろう。
 
 寿駅は、ほんの飾りのような結界の枠組みがあるだけ。後景に三つ峠山に連なる山体が控えて、いかにも田舎の駅舎という風情であった。14時2分。電車はその5分後に到着して、すぐに出発。ラッキーであった。ところが次の三つ峠駅について乗客が乗り込んでくる。なんと、Mzさんではないか。彼女も驚いた。クマガイソウを見に三つ峠駅に降りると、地元の方が案内しようと彼女を連れて自宅へ行き、もち山で育てているエビネランなどをみせ、お茶をごちそうして過ごして、今帰ろうとしたところという。神様の引き合わせ、終わり良ければ総て良しだと思った。