mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

北海道・道東・探鳥の旅(2)――何だか間違った世界に戻ったよう

2016-05-15 09:43:57 | 日記
 
★ 4日目
 
 シマフクロウが出てきたのが、夜8時10分と9時25分頃。そのあとに2羽が一緒に出てくることがあると(宿の人が)いうので、遅くまで起きているという人もいた。私は「鷲の宿」の新館の方だったので、車で送ってもらって、さっさと床に就いた。暖房機のスウィッチを入れて温めないとならないくらい、よく冷える。3室がいずれも暖房器具を使い、ほかに冷蔵庫や風呂釜が一斉に作動したせいでか、何度かブレーカーが落ちて停電になったが、構わず寝入ってしまった。翌朝、カモメのなく賑やかな声に起こされた。4時15分。
 
 外へ出てみると、すっかり明るい。寒い。道路向こうの護岸の高台から海辺を見下ろすと、ウミネコやオオセグロカモメが飛び交い、シノリガモ、ウミアイサがぷかりぷかりと波間に浮かんでいる。シロカモメも波消しブロックに止まっている。スズメは頬に黒い斑があるからニュウナイスズメではない。遠方の岬に突き出た、高さ百メートルはあろう大岩の上にオジロワシが止まって天下を睥睨している。その下の岩場近くに、ヒドリガモやユリカモメがいるのは、スコープで見分ける。宿の本館からOさんが大砲のようなカメラをぶら下げて歩いてくる。聞くと、昨夜は12時近くまでがんばって、シマフクロウの観察をつづけたそうだ。ほとんど寝ていないではないかと思うが、そんなことに構うことなく、鳥観の旅を満喫している。まだ60歳代と若い。背中の崖の方から声が聞こえるので探してみたら、オオルリが高い木の先に止まっていた。本館の近くの沢ではヤマセミやカワガラスも出たらしい。ウグイスの声が聞こえる。
 
 因みに、この沢はチトライ川という。人が集まるところという意味らしい。また、その脇のトンネルにはマッカウチ・トンネルと名がついていた。フキがたくさん生えているところという意味だという。またシロフクロウのことをタンコロカムイと呼んでいる。村に来る神様という意味だそうだが、そういう意味では、むかしからシロフクロウは尊崇されて大切にされていたと思える。
 
 朝食後すぐに出発。釧路湿原へ向かう途中、野付半島に立ち寄って行こうという行程。国後島、択捉島がくっきりと見える。何度かこの近くに足を運んだことがあるが、これほどしっかりと見えたことはない。いや、大きい。失われたから大きく見えるというのではなく、視界を遮るように、右から左へと海から突き出た山並みがつづいていた。本道を外れて野付半島に入る。その入口から先端部まで、なんと26㎞もある。雨模様の曇り空、風がふきすさぶ。葦が揺れる。荒涼としている。ところどころに身を寄せるようにしてカモ類がたむろしている。北海道へ来て初めての雨だ。気温はぐんぐん下がる。半島の先端部には一般客は入れないそうだが、鳥を観る趣旨を伝えて通行許可をとったらしい。舗装もしていないところへバスで踏み込み、ついにそれ以上は進めないところまでいって、双眼鏡やスコープをのぞく。オジロワシがずいぶんたくさん風に吹かれて浜辺に立っている。ベニマシコを見る。ヒドリガモの群れが、丘に上がって風の吹く方向へ顔を向けて並んでいる。ときどきわあっと群れが飛び立つのは、何か天敵が近づいて来たからか。
 
 野付半島を離れお昼をとってから、釧路湿原へ向かう。標茶町を抜け釧路湿原の中央部にあるシラルトロ湖脇の「憩の家」という「公共の宿」が今日の宿泊地である。雨も本格的な降りになり、寒い。幸い温泉があり、身体を温めることができる。ホッと一息。なるほど「公共の宿」というだけあって、夕食の時の椅子が、不ぞろいのパイプ椅子。御猪口も数が足りず、コップ酒になったりしているのが、おかしい。
 
 この日、初めて「鳥合わせ」をやった。1日目から毎日、どんな鳥を観たか、チェックする。この日までに94種。「これは100種を超えるぞ」と誰かが言う。これまで多かった年は、116種観たというから、それくらいは当たり前かもしれない。何しろ、本州の冬鳥も、ここでは夏鳥だったり留鳥だったりする。
 
★ 5日目
 
 朝4時半から「朝探」。天気はいい。強い冷え込みに、羽毛服を着てその上から雨着の上下を着用して外に出る。それでもしばらくすると、手指や足の指先がじんじんと冷えてくる。歩くと少し温まる。キキキキグワグワという鳴き声に見上げるとオオジシギが空中を旋回している。双眼鏡で追うと、前方の街燈の支柱に止まった。長いくちばしをもち、羽の模様が美しい。湿原の向こうにタンチョウが歩いている。ダイサギとチュウサギもいる。チュウサギが北海道にいるのは最近のことだそうだ。センダイムシクイやエゾムシクイなどムシクイの仲間が多いが、声で聞き分ける以外見分けることができない。アリスイの声を聴いて探す。何人かは目に留めるが、私にはわからない。6時半に私は引き上げて風呂に浸かって冷えた指先を温めた。10分ほど温めても、毛細血管が膨れて血流が流れ始めてジンジンとしたしびれが残るほど冷えていた。
 
 朝食後に最後の宿泊地、帯広に向けて出発する。釧網本線の茅沼駅ちかくに、ミヤマカケスがいた。交尾までしている。釧路を離れるにしたがって暖かくなり、羽毛服が要らなくなり、雨着も不要になった。あとで知ったが、北海道の気象のなかでも帯広地区はことに内陸性の特徴をもち、最終日の最高気温は26度と、関東並みの夏日になっていた。驚いたのは、帯広の町が大きいことだ。しかも街路が札幌同様、四角く区画されていて、南○条西○条と名がついている。ただ五階建て以上の高い建物がないから、札幌のように上からかぶさってくるような圧迫感がない。空が広いと言える。
 
 そうそう、そのせいもあるのか、立ち寄った帯広農業高校は森の中にあって、生徒たちがとても礼儀正しくフレンドリーであった。ここの森はコアカゲラが生息することで探鳥家たちの間で名が知られていて主宰者が組み込んでくれた。学校の敷地内に入ると、放課後のクラブ活動をしていたラクロス・クラブの女子生徒らと話しをしている。しばらくすると、教師らしき人がやってきて、何かを指示して立ち去る。バスの駐車位置を教えてくれていたようだった。バスを降りると、男子生徒が二人、敷地内を案内してくれるという。森林科学科の2年生と1年生。広い敷地の中の一角を1時間ほど経めぐりながら、いろいろと説明してくれた。この学校のひと学年は200人で、2年生までは全員寮生活をしているそうだ。広い敷地に針葉樹、落葉樹、常緑広葉樹といくつもの樹種別の森林をもち、酪農の牛舎もある。たぶん畑や田んぼもあるのであろうが、野球部、陸上部、こんな環境のキャンパスで3年間学べるなんて、なんて素敵な学校生活なんだろうと思った。野球部や陸上部、その他のクラブの生徒たちは、すれ違う時に立ち止まって帽子をとって挨拶をする。こちらが慌てて、挨拶を返す。まあ、向こうさんからみると爺さん婆さん連中だから、親と違ってフレンドリーで構わないというのかもしれない。おおらかで、素直という好印象を持った。これもこちらが年寄りだからかもしれない。
 
 帯広の宿は高級と言っていたが、夕食は町の居酒屋に予約していた。旅の最後の夜は宴会ということらしい。刺身も焼き物も人数分盛り合わせて、まあ、会席膳の盛り合わせのようなものだ。ただここでも、御猪口が足りなくて、コップ酒になったりしていた。北海道の人たちはビールとか焼酎ばかり飲んで、日本酒は飲まないのだろうか。
 
★ 6日目
 
 朝4時半に集合して、30分ほど歩いて帯広神社の森を目指す。帯広の町は通りも広く、歩道も十分ゆったりととってある。町並みもきれいだ。神社に近づくと、川縁のヤナギらしい木の枝にコゲラが止まっている。「おやコゲラだよ」というと、傍らの人が「顔が白いからコアカゲラ」と特定し、もう一人別に人が「そうだ、コアカゲラ!」と歓声を上げる。たしかに、コゲラにしては顔つきが凛としている。羽の文様も、くっきりと鮮明である。後ろからぞろぞろと来ていた人たちが「えっ、何何?」と寄って来たときには、川沿いに飛び去ってしまった。なんと、コアカゲラを見にここ十年来ていても、まだ一度も見ていないと主宰者も言う。鳥観のベテランたちも初見という人が何人もいた。何と私は運がいいんでしょう。ホクホクとしながら、川を覗いているとカワアイサが番で泳いでいる。先へ行っている人がヒレンジャクがいるという。スコープを見せてもらうと、向こう岸の背の高い大木の上の方に、1羽だけいる。尾が赤い。確かにヒレンジャクだ。よくこんなものを見つけることができるものだと感心する。川縁の林のどこかで鳴き声が聞こえる。「これ、オオタカよ」というが、見つからない。上空を飛んでいるのはトビではない。「あっ、ハイタカ」と誰かが言う。
 
 神社の敷地に入る。トビが番で巣の傍にいる。オスらしいのが餌を加えてきて、メスにやろうとしている。傍らにいたメスは、それを受け取らず、飛び立ってしまった。私たちが観ていたからだろうか。シジュウカラもハシブトガラも、アオサギも、樹の上のオシドリも繁殖期なのだ。盛んに鳴き交わし、追いかけっこをし、ウロに出入りしたり、巣から首をのぞかせている。神社の木々の葉はやっとつき始めたばかり。そのぶん鳥がよく観察できる。いい季節にやってきたのだと分かる。観た鳥の数は104種。ずいぶんたくさん見たものだと、我れながら感心する。
 
 こうして、存分に鳥を堪能し、暖かい帯広空港から飛び立ったのは午後2時半の定刻。満席である。羽田に4時に着き、順調に帰宅してTVをつけたら、ちょうど鶴竜が関脇の琴勇輝に追われて土俵上を逃げ回っていた。何だか間違った世界に戻ったように感じた。(北海道・道東・探鳥の旅・終わり)