mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

Mt. ever young.ですと。

2016-05-06 14:42:02 | 日記
 
 ふだん休日は山に行かないことにしているが、あまりの連休に身がうずうずしてしまい、とうとう晴れのマークに誘われて、行ってしまった。不老山。丹沢山塊の最西端。先週に行った金時山の北20kmほどのところにある。登山口のある御殿場線の駅「するがおやま」は静岡県。小田急線の新松田で乗り換えた沼津行きの御殿場線は、リュックを背負った乗客であふれ、次々と止まる駅に降りてゆく。谷峨駅でどっと降りその次の駿河小山駅で降りたのは私一人。この登山口はあまり使われていないらしい。ほかの乗客は御殿場の方へ行くのであろう。
 
 鮎沢川を渡り20分ほど歩いて生土(いくど)の集落を過ぎ、高速道の下をくぐると、すぐに右への登山道に入る。「富士箱根トレイル→」とあるが、不老山の名はない。少し進んでやっと、「ここより不老山 聖域に入る」と手書きの表示板が木柱に打ち付けてある。急登になる。手書きの表示板は、このあとずいぶんたくさん設えられていて、登山道の案内板というよりは、不老山の紹介板という風情。良寛の歌が記されていたり、「不老なる山のいぶきに触れもせで さびしからずや金を説く君――平成野晶子」と謳っていたり、北原白秋の「からまつの~」を書きつけたり、なんとも我流趣味の展示会のようになっている。
 
 木々の合間から富士山が雲一つない姿をみせている。登山口から1時間ほどのところの木柱看板に「この新ルート 88歳と80歳の2人が開鑿し56本の道標を建てた(2005年)が、翌年にすべて破壊された。憤懣やるかたない」とあった。ここまで残されていたのと製作者が同じ人物かどうかはわからないが、もし同じだとすると、「なんだよ勝手にこんな煩わしいものを建てて、止めてくれ」と思う人がいても不思議ではない。このルートを「開鑿した」というが、2005年以前の山の案内書にも紹介されているから、この製作者の勝手な思い込みとも思える。「不老山 It means ever young.」というのもあった。ご当人は思いもよらないであろうが、不老山を「自分の思い」で私するものとも言える。山を静かに歩きたいと踏み込んできた人からすると、まったく余計なこと。鳥肌が立つというものでもある。
 
 さほど大きな高低差のない長い稜線歩きに、歩調も速くなる。標高800mほどのところで、7人連れの女性登山者を追い越した。50歳前後の若い人たち。どこかの山の会であろうか。賑やかに、でも最後の急登にちょっとバテ気味の感触を湛えて、道を譲ってくれた。上りはじめて2時間ほどのところに、金時公園から駿河小山駅へ下る道との分岐があった。そこからほんの100mほど歩くと、西側が切り払われて見晴らしのいいところがある。その全面を覆うように、富士山がど~んと座っている。それを画面に納めるように、切り払われずに残ったヒノキ林が縁どり、いっそう富士山の美しさを引き立てている。山頂まで200mとある。山頂は木々に囲まれて見晴らしは良くないと、どこかで見た山行記録にあった。ここでお昼にする。
 
 一人、20歳代だろうか、女の人が、枯れ木のベンチに座ってお弁当にしている。11時35分、私もここでお昼にする。「どこから?」と聞くので、駿河小山駅からというと、そちらへ下るつもりだ、道の様子はどうかと尋ねる。どこからと聞くと、向河原からという。そうだ、私が下山しようとする「棚沢橋キャンプ場」バス停の名前が「向河原バス停」に変わったとこれもどこかに書いてあった。彼女はそこまで新松田からのバスで来て、上りはじめたという。私がそちらに下山すると聞くと、「バス便が不便でしょ」という。その通りだが、私は谷峨駅まで歩くつもり。4㎞弱だから1時間見込んでいる。この行程が5時間弱。合計すると、6時間弱になる。
 
 先ほど追い越した7人の女性陣が上ってきて、富士山に嘆声をあげて山頂へと向かう。お弁当を食べていた女性は出発する。お昼をつづけていると、また一人の若い女性がやってくる。聞くと、明神岳からという。たぶん明神峠から歩き始めたのであろう。でもここまで4時間余のルートだ。3時間ばかりで到着している。若いってのは、やはり勢いがある。この人も富士山をほめたたえて、駿河小山駅へ下って行った。
 
 ゆっくりしたお昼を済ませ、山頂へ向かう。そこへやはり明神岳からきたという高齢者が、「どうして見晴らしのいいここを山頂にしないんですかね」と声をかけてくる。「向こうの方が標高で25mほど高いんじゃないですか」と答えて歩き始めたが、ほぼ平坦な200m。木々に囲まれた山頂には標柱が一本立っているだけ。標高928m、12時ちょうど。コースタイム2時間40分のところを、昼食時間を入れてちょうどで歩いていることになる。私の高度計は905mとあるから、気圧が高くなっているのだ。テーブルとベンチには先ほどの7人組がお昼を広げている。
 
 下山にかかる。わりとなだらかな稜線を下る。番が平という標高850mのところで10人くらいのグループとすれ違う。こちらは高齢者が多い。これから登ってどちらへ下るのだろう。ちょっと遅くなるのではないか。そこからの下りは、ジグザグの緩やかな傾斜。一カ所、土砂崩れが起きて、杉の木が何本も倒れている。その上を巻いて、東側に沿って降るところがあった。それ以外の踏み跡は、わりとしっかりとついていて、迷う心配はない。新緑の明るい広葉樹林の中を調子よく下りに下る。降りきったところが、民家の納屋の裏を通るようになっていて、通り過ぎて振り返ってみるが、標識はない。こちらから登るときには、入山口を探すのに苦労するのではないか。河内川にかかる向河原橋を渡ると、西丹沢自然教室キャンプ場に向かう道路に出る。13時30分。コースタイムでは14時10分に到着予定だったから、40分(+お昼の30分ばかり)早く歩いていることになる。上々。バス乗り場があるが、朝8時台までに3本、午後は16時以降に4本のバス。不便なんてものではない。歩くことにしていてよかった。
 
 暑い陽ざしは真夏のようだ。途中に「道の駅」があって、バイクなども休んでいたが、ここで休むと後が嫌になる。トイレだけ借りて、駅へと向かう。大きな橋を渡って大通りへ出ると酒屋がある。ビールをひと缶買って、大きな国道に出て小さな旧道に回り込んで駅に到着した。13時15分。ボーイスカウトの一組が電車を待っている。切符を買うところがない。少年に尋ねると、電車の中で買うんですよと応答がある。ビールを飲み終わったころ、電車が来る。混んでいる。松田駅で乗り換えるとき、改札の駅員に「谷峨から」と告げて200円を渡す。何の問題もないのが不思議な気分だ。小田急線に乗り換え、新宿までうつらうつらしながら85分も電車に揺られて疲れをとり、埼京線に乗り換えて帰り着いた。子ども連れがたくさん乗っていて、そちらもお疲れのようであった。