mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

うつくしいという普遍性

2015-02-25 11:13:40 | 日記

 「花の供養」を書き記したあと、はて、我が弟の拾おうとしていた「花」とはなんであったろうかと、ふと思った。水俣病患者のきよ子さんが「ありゃ、何のつもりじゃったろうか、散り敷いとる花の上に坐って、桜の花びらば、いちまいいちまい、拾いよりましたがな、片っぽの手のくぼに」という所作は、我が弟が出版という「散り敷いた花の上に坐って」、書物をつくり世に送り出すという「桜の花びらば、一枚一枚、拾いよりました」振る舞いと同じではなかったか。彼はそれを41年間続けてきた。

 

 それは、本を出すことで拾いきれることだったろうか。彼の求めた「花」は、弟の関心世界にかかわるライターの書き記したこと、伝えるイメージを収めようと暗い雪の藪山を登って撮ったカメラマンの写真、デザイナーの表した形、厳しい色合わせに何度も刷り直し、紙質に対する注文に応じて手を加えてくれた印刷業者の工夫、あるいはアウトドアにおけるアクションなどの向こうにある、目に見えない「何か」だったのではないか。人の思いかもしれない、イメージかもしれない、思想かもしれない、校正や印刷、製紙作業という丁寧な行為そのもののもっている「確かさ」かもしれない。人と人がかかわるときにもつ、ぶつかり合い、影響し合って変容する、揺蕩うような相互性、「かんけい」。言葉にすると薄っぺらでウソになってしまうようなコト。つまり、存在しているという「人と人とのかんけい」そのものを、拾おうとしていたのではないか。

 

 だからそれは、いちまい「片っぽの手のくぼに」拾うと「手のふるえてかなわんですけん、ようと、拾えまっせん。拾いこぼし、拾いこぼし、そげんしていつまっでんやりよりました」ように、手に取ったと思った瞬間に、消えてしまう。人が為す振舞いのひとつひとつを、決して実体として留めることなく、しかしたしかにそこに所在し、拾っていたと(記し置く人に)思いが残る「かんけい」ではないか。私たちはきよ子さんのように、わが振る舞いはあるがままに捨て置いて日々を過ごしている。自分の顔を自らジカに見ることができないように、わが生きるさまは自らジカにみることはできない。何かに映して、つまり何かを介在させてはじめて、かろうじて目にしていると思い込むばかりにすぎない。介在しているのが「人と人とのかんけい」である。

 

 きよ子さんの所作は、はっとさせられるほど胸を撃つ。うつくしい。と同時に、哀しい。大野晋は「うつく・し【美し・愛し】」の「解説」を次のように書き出している。

 

 《親子の間の(主に親から子への)、また夫婦、恋人の間の肉親的な非常に親密な感情をいうのが、もっとも古い意味。……仁・慈・恵・愛の行為をする意。……中世に入ると、美しい、きれいだの一般的な意でも用いられるようになる。》(『古典基礎語辞典』、角川学芸出版)

 

 「いや、世間の方々に、桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょう」という(きよ子さんの)母親の石牟礼道子に託すことばに、人が生きることを慈しむ万感の思いがこもる。それを私は「うつくしい」と感じた。弟が拾おうとしていたことは《存在しているという「人と人とのかんけい」そのもの》だとすると、それこそが人が生きるすべてであり、しかもそれは、拾ったと思う間もなく拾いこぼしてしまうものであり、それゆえに哀切である。とすると、弟ばかりか私は、では、それらをどう拾っているか。拾いこぼしているか。それをどう(伝えてくださいと)誰に「託して」いるか。そんな問いが、私に向けられていることに気づく。

 

 きよ子さんの振る舞いが両親の言葉を通して、母親の託する振舞いを通して、石牟礼道子に記し置かれることによって、その文章を引用した書物を通して、私のところに届いた。私はきよ子さんの所作をうつくしいと感じた。きよ子さんは、そのようにして普遍化した。

 

 私たちは不変のために生きているわけではない。まさにそれぞれの個別性を生きている。そこに普遍を感じとり、「わがこと」として受け止める他者がいることによって、個別性は普遍性に転轍される。ただそれだけのことだ。普遍が優れているわけではない。個別性が、個別性のままに埋もれることがあろうとも、私たちはそのように存在し、そのように生きていっている。それだけのことだ。その事実に目をつぶらなければ、「人と人とのかんけい」を丁寧に生き抜く、それに勝る生き方はない。