19日(木)、7時10分からの朝食を済ませ、8時半に出る。Kmさんは仕事が入っていて、朝食を済ませると別れを告げて出発した。宿の駐車場に車をおいて、蓼の湖から小峠へと向かう。光徳まで行けるかどうかは、刈込湖までの時間とくたびれ具合をみて決めようと考えていた。Oさんが少し太ももが張るようなことを言っていた。彼は間もなく74歳。自分の身体をだましだまし使って山を歩いている。
湯元の泉源からの道を先行者が歩いている。どちらへ行くのだろうか。もし先行してくれたら、深い雪のラッセルをしないで済む分だけ、ありがたい。金精道路を超えて蓼の湖への急斜面を下る。雪は深いが滑り落ちるような感触はない。蓼の湖が凍っている。向こう岸を先行者が歩いている。氷の上にさらに30センチ以上の雪が積もる。ストックをつきさしてみるが、氷は堅く、跳ね返す。湖面を歩いて渡ろうと踏み出す。先行者がぐるりと湖岸を回っているのに比べると直進する私たちはずいぶん近道をしている。少しの不安もなく渡り終わる。
まっすぐ小峠への斜面を登る。ここは先へ行けば行くほど両脇からの山の斜面が狭まって小峠に至るから、ルート・ファインディングの必要はない。だが雪が深いと、急な斜面の登りは力をつかう。先行者の踏み跡が着いていて、ずいぶん助かっている。小峠で、先行者に追いついた。髭があるから齢がわからないが、私たちより若いように見える。彼は昨日、光徳から山王峠へ登ったという。そうか、ならば今日私たちは、山王峠から下るルートをラッセルしなくて済む。ありがたいことだと感謝する。彼は小峠から先を私たちに譲る。ラッセルを代われといっているのであろう。
土瓶沢を経る旧道を通る。といっても道があるわけではなく、何処でも歩ける雪の道だ。ここも沢沿いは限られた広さしかないから、道を探す必要はない。調子よく歩いて刈込湖に着いたのは、湯元を出てから1時間半。何と夏のコースタイムより30分も早い。皆さん調子がいいようだ。これなら、光徳に予定通りに着ける、と算段する。
刈込湖も凍りついている。昨年は2回、この凍りついた湖面を歩いた。一度目は、かちんかちんに凍っていることが分かった。足尾の池でアイススケートをして育ったKさんが先行して、氷の割れる音に聞き耳を立てている。安心して渡った。二度目は、その一週間ほど後。ストックを突き刺すとぐずぐずと先端が入る。ずいぶん氷が柔らかくなっている。日陰をたどって用心しながら歩いた覚えがある。氷の様子は、だから、気温とか陽当たりとかが影響して、ずいぶん激しく変わるものだ。そういうわけで、渡りきるまで、気が抜けない。
渡り切って、つぎの切込湖を渡ることは考えなかった。昨年もそうだが、刈込湖が大丈夫なときでも、切込湖は危うかったからだ。刈込湖を渡り終わって、すぐに夏道へのルートを探索する。急斜面を登る。このあたりと思われるところを水平に移動して、ぐんぐんと切込湖を下に見ながら、その先にある峠を越えるルートをたどる。ところが雪が大量にたまってルートが分からない。何しろ例年の倍以上の積雪。木の枝が歩行を妨げる。通り抜けられるところへ向かおうとすると、急斜面のもっと深い雪にスノーシューもすっかり埋まってしまって、ずぶりとうまる。そうして、一歩一歩に負荷がかかる。探りながら湖岸を歩いていると、後ろから来ていた例の先行者が切込湖の湖面を歩いているのが見える。やっぱりあっちの方が正解であったかと先導者としての役割を恥じる。
切込湖、の先に到着したのは私たちの方が先だが、。例の先行者はしばらく後に着いてきて、峠を越えるあたりでラッセルを代わった。気にしてはいたのだね。彼に先導を委ねてしばらく着いて行く。だが、ほどなく先導を交代する。それくらい、ラッセルが大変であった。やっと下りになって、また彼に代わる。彼は嬉々として先に進む。
涸れ沼が見えるところで、先導した彼が立ち止まってカメラを構えている。声をかけて脇をする抜け、今度はこちらが先導する。急斜面をトラバースしながらゆっくり降って、涸れ沼の休息点に向かう。それも雪に埋まっている。わずかに見える横棒に腰かけてお昼にする。11時半。涸れ沼の中にシカの姿を見つける。原を抜ける風が強く当たり、思わずフードをかぶる。Oさんの太もももまだ何とか持ちそうだ。例の先行者がずいぶん遅れてやってきて、Kさんと「ありました」と言葉を交わす。「何?」「カメラを落として探していたんだよ」とKさん。そうか落とし物をすると、すっかり埋まってしまって見えなくなってしまうなあと思う。
山王峠へ抜ける新道への踏み跡が、わずかに残るが、すぐに消えている。こちらは急斜面の登るのにつかまるところがなくて難儀する。30年も前になるが、山スキーで新道を通ってくる友人グループを光徳で待ち受けたことがあった。予定より4時間も遅れ、遭難したかと心配したことを思い出した。旧道への道をたどる。着けたテープが一カ所しか見えない。右へ回り込むという印象があって、そちらへのルートを探る。どこをみても潅木が邪魔をして、すんなり上への道を見通せない。シカの踏み跡がそちらこちらにある。シカは脚が埋まって背が低いから潅木をくぐりぬけているが、私たちはそうはいかない。上へあがろうとして左足を踏み込むと、ずるりと雪が崩れて足は下へ落ちる。右を踏み込むと同じようにやはり下へ落ちてしまう。と、左足が抜けない。右の崩れた雪が左のスノーシューの上にかぶさり、動きがつかなくなっている。しゃがんで左のスノーシューの端をつかもうとするが、体がへ一行を崩しそうだ。四苦八苦していると後ろから来たKさんが雪を掘り出してスノーシューを抜いてくれた。いやいや助かった。
こうして、1時間ほどかけて標高差100mほどの登り、旧山王峠の標識が朽ち果てているところに出た。ここを左へ行けば新山王峠の分岐に出る。しかし深い雪と樹林に阻まれ、通りやすいところを抜けるうちに少し低い地点に出て、下山の夏道と合流した。上を見上げると、分岐点が明るく開けているのが見える。上り口で、左へ寄りすぎたようであった。
夏道に出ればこっちのものと思っていたら、例の先行者が話していた「昨日の踏み跡」が、まったくない。彼は昨日ここまで登っていないとみえる。それでも夏道の階段のあるところが少しばかりへこんでいるから、たどるのに苦労しないとどんどん下っていると、どこかでルートを見失った。標識のあるところを探す。やっと見つけて、再び少しのへこみをたどっているうちに、また見失ってしまった。このままでは谷あいに降りてしまう。いつものルートは、このあたりで右へ大きく回り込んで、光徳へのミズナラの原に出る。だがそのとき、いつであったか冬に光徳で出会った人が、「ルートを見失って谷に出てしまった」と苦笑していたのを思い出した。
渓に降りてもミズナラの原に出るはずと見当をつけて、先行するKさんに渓筋をたどってくださいと声をかける。後ろが少し遅れている。急斜面の狭い渓に出る。100mくらいあろうか。ここを行くのか? とKさんが振り返る。夏ならばここはとても下れないが、大丈夫、雪ならば尻で滑っても落ちることはあるまい。後続も慎重に降りてくる。Oさんの脚がちょっと危なっかしそうだ。
標高差100mを一気に下って明るい原への見通しが利くところに出た。しばらく歩くと、右の方からくるほんの少しくぼんだルートに出遭う。夏道だ。いつしかMsさんが先行している。「光徳0.2km」の表示看板がある。ほどなく光徳牧場が見え、雪をかぶった舗装路に着く。私は車を取りに行ってくるからと断って、バス停へ先行する。Kさんがついてきて、私のスノーシューを預かってくれる。ところが、湯元へのバスの時刻表をみると、3分前に出ている。なあんだ残念、と思っているとやって来たバスがちょうど湯元行。遅れていたのだね。ラッキー。Kさんに後を託してバスに乗る。湯滝入口に近いところで、車道に30匹ほどのサルが群れている。バスをみると片側車線に移動して、身を避ける。森の雪が深くて車道に落ちている何かを食べようと群がっていたんだと分かる。
湖畔前のバス停で降りて宿の駐車場の車をとり、光徳へ引き返す。ちょうど皆さんがバス停に来たところであった。OさんとMsさんはここからバスと電車を乗り継いで帰宅してもらう。何しろ私の車には借用したスノーシューも積み込むから、乗れないのだ。久次良町まで行き借用したものを変換する。Mjさんが出てきて、「早かったですね」という。蓼の湖の氷の上を歩いた踏み跡を、今日の案内で目にしたという。それが私たちだと分かると、「ザイルを用意していましたか]と聞く。「あぶないですよね」と案内している人たちには説明したという。Mjさんは徹頭徹尾慎重な人なのだ。見習わなければならないと、肝に軽く命じた。
それにしても快適な雪の奥日光であった。夏場は決して歩けないところが、大量の積雪で容易に歩ける。道が分からない分だけ、ルート・ファインディングの楽しみも増す。年に一回くらいこうした山行を愉しんでも悪くあるまい。