関東平野の北端にあたる足利や佐野、桐生のあたりから、標高300m~400mほどの低山が起ちあがって、峰を連ねて北へ伸び、鹿沼市に至る。前日光と呼んでいるが、その中ではひときわ高い山が、三峰山605m。その稜線を栃木側からみると、鍋を伏せたように見えるところから鍋山とも呼ばれているそうな。平成の町村合併で鹿沼市と栃木市の境を分ける山になった。
その麓に星野御嶽山神社(ほしのおんたけさんじんじゃ)がある。どの山がご神体なのか、わからない。「栃木の山」というガイドブックでは、御嶽大神、三峰大神、浅間大神を祀る御嶽山と記されているが、その概念図にも、神社麓の庭にしつらえられた絵地図にも、どれが御嶽山とも記していない。かわって、「北辰ヶ岳御嶽山」と標示し、奥ノ院のある場所を「烏帽子岩」と記している。それを東端に西端の三峰山へのびるを稜線のひと塊を「御嶽山」と呼んでいるのであろうか。麓の神社はその稜線を背に田んぼを前にして、森閑と静まり返っている。朝8時、車を神社横の空き地に止め、拝殿脇の石段をあがってすぐに登りはじめる。標高140mから350mほどまでの登りの随所に、祠や石灯籠をいくつも配置している。まっすぐに斜面を直登する急な角度の石段が組まれ、お参りする人たちが多いようだ。
350mほどから上になると、深いスギ林の中をようやく登山路のようになった道を登る。いつ降った雪であろうか、消え残りがちがちに凍っている。杉の切れたあたりは一面真っ白。でも踏み跡は、往きと還りの2人分だけ。同じ靴のようにみえる。往復したのであろうか。「三山参道」と表示板がところどころに掛けられている。ひとめぐりするコースがあるようだ。登る人が少ないのであろう。雪のついていないところは、枯葉で埋まって、なんとなく踏み跡に見える。
奥の院までの途中3カ所に分岐があった。ひとつは「←三笠山 奥の院→」とある。三笠山って、稜線上にあるのか。とすると、奥の院からまたここまで下ってくるのかと、げんなりする。崩れそうな片方が切れ落ちた道。雪もたっぷりある。これを戻るのはいやだなあと、いつになく思う。そのうえのもうひとつは、「奥ノ院→」としか表示がない。だが山腹を巻いて、三峰山の方へ踏み跡がある。ま、ここまでならたいしたことはないと、標高をみて思う。稜線上に出る。標高570m。分岐がある。「←三山参道 奥の院3分→」と看板。なんだ、ここなら楽勝じゃないか。でも、稜線上は雪で真っ白。
奥の院の手前で雪は消えている。鳥居があり、その向こうに天御中主尊や産霊神など三体の立石像がおかれ、その周りを石柱で囲んでいる。祠や社はない。烏帽子岩と神社の絵地図に記してあったが、たしかに岩峰の上にそれらは鎮座している。「今冬一番の寒波がきている」とラジオが言っていたが、冷える上に風が強い。帽子を替えて耳を覆うネックウォーマーにする。手袋も、毛糸の手袋に替える。
稜線上の「三山参道」をたどる。山の西側はトラロープが張ってあり、「立入禁止」の標示があちらこちらについている。「吉沢石灰工業」の採石場が下の方にみえる。切り開かれた谷間にダンプカーが何台も止まり、大型のショベルカーで大きな石塊を積み込んでいる。そのガチャガチャという機械音やダンプカーのバックする時のビービーという音も間近に聞こえる。そちらは栃木市になる。とすると、するとこの山の栃木市側は吉沢石灰工業の所有かもしれない。「発破は11:40~12:10、15:40~16:10 注意」とも書いてある。このトラロープが、何と三峰山までずうっと張り巡らしてあった。
稜線上すすむと「八坂様入口分岐」の標示がある。これも何が「八坂様」なのかわからないが、知る人ぞ知る「修験の道がある」とガイドブックには書いてあった。「三山参道」が修行場なのであろう。その先に「永野御嶽山」とガイドブックに記された地点があった。875m。ひときわ雪が多い。その片隅に、「←**** 三峰山 三角点→」と木に作り付けた標示があり、左へ向かうプラスティックは欠けていて読めない。三峰山へ向かう。
ガイドブック「栃木の山」では「道はなく少しばかりヤブ漕ぎがつづく」と書いてあったが、雪の上に踏み跡がある。雪のないところも枯葉や枯れ木を歩いた形跡が見える。それに笹が少ない。季節的なものなのか、シカにでも食われてしまったのであろうか。急斜面を下る。雪が残るところは凍っていて、滑りやすい。雪のないところも、土が霜柱で盛り上がって踏むと崩れて滑ってしまう。ストックをつかって標高差70mくらい下る。そして、やはり急斜面を100mくらい登ると三峰山の山頂だ。
その先はトラロープが遮断している。背の高い篠竹が起ちあがり、見晴らしが利かない。お蔭で風があたらない。倒木に腰かけて、早いがお昼にする。腰掛けた正面の篠竹が途切れている。その向こうになんと、立派な男体山がどっかりと見える。切れ目に近づいてはみるが、トラロープが張られていて、すすめない。でも、男体山の右側に女峰山が、やはり雪をかぶって屹立している。今日、いちばんの眺めだ。軽アイゼンをつけて、下山する。
「永野御嶽山」まで戻る。そこからたどる下山道は「鎖場の急降下」と、ガイドブックにあった。じつは今日私は地図をもっていない。私のプリンタが色調を出すことができず、国土地理院の地図がプリントアウトできなかった。だからガイドブックの文面と概略図を頼りに歩いている。地形的な判断が、今日はまったくできないのだ。ところが、わずかに雪の上に出ている鎖の方には、踏み跡がついていない。90度稜線を直進する方向に踏み跡がついている。でもそちらへ行くと崖になるはず。まあいいや、ガイドブックに従って「左の山腹を巻く」道へ下る。確かに急斜面。
鎖は確かに雪に覆われているし、一部は支点とした木が腐っていて、つかむとぐらりと揺らいで頼りにならない。私はストックと鎖を慎重につかみながら、雪に覆われた急斜面を歩一歩と慎重に下る。ずいぶん緊張したが、降ってみると、わずか標高差で50mちょっとだ。そのあとの登山道も細くて崩れかけている。むろん雪がついているからではあるが、尋常ではない。そんなことを思いながら、ずんずんと進む。ところが、はて、どちらへ行けばいいかというところで、立ち往生した。
枯葉のせいもあって、何処もが道にみえる。岩の脇をくぐるようにして下に降りる。でもその先がつづかない。あらためて、上に上がる。もう一度上からみると、別のルートも見える。そちらに進む。だがそれも、さっきのところに降りて行き詰る。もう一度上に上がる。と、トラバースする道が薄らと見える。これだこれだ、そう確信してそちらへすすむ。確かに踏み跡はある。ひょいと見ると、「三山参道」という表示が木に縛り付けてある。やあ、これだ、と安心してどんどん進む。
ふと気づいてみると、今朝歩いた三峰山への道と同じ道を歩いているではないか。へっ? はじめて、下山コースをイメージしてみる。たぶんぐるりと、「永野御嶽山」を周回してしまったのであろう。だがどこから自分がこのルートに踏み込んだか、わからない。となると、どこかに下山路があるはず、と考えた。標高が一番位低くなる地点で、ふとみると、右への踏み跡が、それもしっかりつている。地図をもたないが、おおよその地形をイメージして、下山路をたどろうと考える。そして、たぶんそれを降りてみよう、それほど間違いはあるまいと見当をつける。
しばらく下ったところで「倶利伽羅不動尊」に出る。ガイドブックに会った「三峰大神」も「月山大神」も通り越してしまう。「倶利伽羅」に寄せるルートをみてみるが、はっきりしない。まあしょうがない。下ればいいであろうと、どんどん下る。もちろん下ることができたから、今こうして書いているのだが、じつは、もうひとつ下る途中にあるはずの「浅間大神」にも出会っていない。
つまり今日私は、三峰神社の三大神に出遭うことができなかった。それほどの不信心ものだとは思わないが、無事帰還できたことを寿ぎたい。お昼をとった20分を差し引くと、コースタイムの4時間で歩いている。迷い時間を含めてこれであるから、まずまずの歩く力であろう。そう自分を慰めて帰宅した。午後2時着。効率の良い山歩きであった。