mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

雪深い奥日光、快適2日間(1)

2015-02-20 16:49:35 | 日記

  18日(水),19日(木)の2日間、スノーシューを使って奥日光を歩いてきた。私の山の会の2月の山行。泊りとあって参加したのは健脚者だけということもあったが、予定の全行程をしっかりと歩いて無事帰還した。

 

 18日(水)6時半、1組はコープ東浦和店に集合してKmさんの車で奥日光に向かう。もう1組は東浦和駅に集合して私の車で向かう。雨。初めは小降りであったが、東北道に乗るころには大降りになる。だが、奥日光は雪に違いないと思うから、一向に気にならない。私は清滝で借用するスノーシューを積み込んで、いろは坂を登る。このあたりから、例年と違って、目に見えて雪が多い。上りは2車線あるので、いつもなら追い越し車線をぐいぐい登るのだが、積もった雪の塊りに車体がぐらりぐらりと右に左に滑るように揺れる。前の大型車両がのろのろと慎重だ。

 

 中禅寺湖も深々と降る雪に煙っている。風はない。赤沼に着く。スノーシューを降ろし、オーバーズボンを身に着ける。そうこうするうちにKmさんたちが着き、まず私の車を、今日の到着地・湯滝駐車場におきに行く。戻ってみるとほぼ皆さん歩く準備ができている。そこへマイクロバスがやってくる。この近くの冬のトイレは赤沼と三本松にしかないので、ここをつかうのだろう。と、降りてきたのが今日スノーシューを借りたMjさん。湯滝から泉門池を経て光徳まで案内するという。私たちのルートを説明して出発する。10時。

 

 いつもの冬なら踏み固められているルート上の雪が、まだふかふか。私たちが最初の入域者らしい。足跡がついていない。湯川を渡る橋の上も雪が積もって盛り上がっている。踏み下ろすと、スノーシューが見えなくなるくらいにずぶりとはまる。雪は降るが、顔にかかって煩わしいほどではない。風がないから、カラマツの林に静かに降り積もる。今日来ている山の会の人のうち2人が、このコースは初めて、という。戦場ヶ原を右手にみながら、小田代ヶ原へすすむ。Kさんが道を逸れて少し踏み込む。枯れ木にキツツキの開けた穴がいくつもついている古木の雪を払って、写真を撮っている。彼は『奥日光自然観察ガイド』(山と渓谷社、2005年)の写真を担当している。そのときに、この古木の写真を掲載している。

 

 小田代ヶ原のシカ柵の入口をくぐる。一段と雪が深くなったように感じる。この地初見の2人を案内するように、Kさんが小田代ヶ原のあれこれを説明している。一昨年の大雨の後、この湿原に水が溜まり、4ヶ月近く小田代湖が出現したこと、ガイドブックを制作しているときには、朝3時ころにここまで来てカメラを構えていたこと、5時過ぎるとカメラマンが並んで撮影する場所すらなくなってしまうほどだったこと。いったんシカ柵を出てハイブリッドバスの走る道路に出る。小田代ヶ原は2メートルほどの雪の壁に囲まれて、道路からは容易になかを覗けなくなっている。除雪車が、このずっと奥に住む住人のために道路の雪を取り除き、脇に積み上げているためだ。

 

 その壁を乗り越えて、シカ柵の中に入る。11時。夏のコースタイムと変わらない。雪原の中央に、大きな白樺の木が雪景色の中に一本、両手を広げるようにして屹立している。いわゆる「貴婦人」である。その後ろにはすっかり葉を落としたカラマツが屏風のように左右に広がっている。秋になると金色に色づいて、まさに「貴婦人」の貫録を讃えるように三つ岳や太郎山、男体山を背景に展開する。

 

 小田代ヶ原を木道に沿って周回する。木道はすっかり雪の下になり、わずかに原との結界を示すロープがところどころに顔を出してゆく道を示してくれる。3/4ほど周回して再びシカ柵を出て、泉門池に向かう。新しい雪を踏んで、若いKmさんがラッセルをしてくれる。積もった雪がかすかにへこんで夏道を示している。やはり1時間ほどで、戦場ヶ原の北端にある泉門池に着く。12時。ベンチとテーブルが何脚も設えられているのだが、ことごとく雪の下になっている。

 

 ちょうど北の方から20人くらいの一団がやってくる。何と今朝ほど赤沼で出会ったMjさんの一行だ。湯滝からきたという。「悪かったですね。右岸をラッセルして道をつくっちゃいました」とMjさん。雪のないときには歩けないブッシュのルートを雪があるときだけ歩行可能になる。スノーシューで案内するときには、いつもと違うルートを歩くのが愉しい。ラッセルしながら歩く愉しみを先取りしてごめんね、というわけだ。

 

 お昼にする。Mjさんが「湯滝駐車場に入ったはいいが、坂道を登れなくなった車があって、押してあげたのだがダメ。とうとうJAFを頼んだようだ」と話す。私も車をおいてあるというと、「あのオレンジのやつですね。出られなかったら、置いてって。」という。「そうします。雪が解けるまで置いていきますから、よろしく」と混ぜ返す。

 

 泉門池から湯滝までのルートは、Mjさんたちが歩いてきたせいで、すっかり踏み込まれていて、楽に歩ける。緩やかに高度があがるが、苦にするほどのことはない。やがて左側からのシカ柵が近づいてきて小滝からのルートと出逢う。だが、雪が深いせいで、木道がどこにあるかわからないほど。しかもMjさんは(たぶん)巨木のある森の説明や湯川の説明をするために、このシーズンならではのルートを勝手にとっているから、私たちは逆にそれをたどりながら、少しばかり説明をすることになった。なにしろ、Kさんや私にとっても、ここは毎年行っているガイドフィールドなのだ。

 

 湯滝に着く。水量は多い。見晴らし台は雪の下。私とKmさんが車を取りに駐車場に向かう。ほかの方々には、上の道路わきに上がって待ってくれるよう頼む。私の車の脇に、1台乗用車が止まっている。福井ナンバーだ。(たぶん)雪国の人だから、このくらいの坂道、と思ったのではないか。スタッドレスを履いているが前輪駆動で、チェーンを用意していないという。私たちが出ようとすると、「いま除雪車が除雪をしてますよ」と声をかけてきた。(上がれるのかな?)と心配してくれたのであろう。私のは、軽とは言え四輪駆動のスタッドレス。ずいずいとすすむ。坂道になっても、ずんずんと登れる。除雪車が脇へよけて、道を開けてくれる。ゆっくりとすれ違う。先行していた山のメンバーがパチパチと拍手をしてくれる。まるで舞の海が勝った取り組みのようであった。

 

 車をとってきて、スノーシューや荷物を積み込み、二手に別れて乗って、今夜の宿所に向かう。2時着。風呂で汗を流す。Kさんの説明によると、この宿所はかつての戦争中に、皇太子(今上天皇)が疎開していたた田母沢の別邸からさらに一時避難していた宿所だったところそうだ。湯の泉質は申し分ない。湯の湖を望むロケーションは、これまた格別。1泊6000円というのが不思議なくらいだが、もちろん文句を言っているわけではない。

 

 風呂から出て、4人部屋に集まり、持ち込みの日本酒とワインを開ける。Kwさんは「まずはビールが……」と自販機へ足を運ぶ。3時ころから6時前まで、おしゃべりをしながら過ごした。Kmさんが今日は1万3000歩ほど歩いたという。なんだそれぽっちかと思いながら、聞き流していたが、翌日の歩数をみて、あまり変わらないことを知った。歩数が何歩かというよりも、どういう状況のところをどのように歩いたかがモンダイなのだと思った。(つづく)