この写真。
昨年9月、JR釧網本線の塘路駅周辺を散策した際に見つけた、アイヌ民族の子弟への教育活動を目的とした学校の跡地。
そのときに、「釧路でも、今住んでいるアパートの割と近くに、同じような施設の跡地がある」があると書いていましたが、その跡地自体はどこだか分かっていたものの、それに大きく関連する歴史関係施設の関係で、これまで記事にしていませんでした。
これが、その歴史関係施設。
何かというと、「永久保秀二郎」という、春採地区にあった、アイヌ学校の講師を務めた人物の功績を称える碑。
元々、昭和12年(1937年)に、教え子たちによって大きな碑が建立されていたのが、平成27年(2015年)9月の台風で倒壊してしまい、それがこの度、市内の石材店の協力もあって再建されたものです。
「永久保秀二郎」は、磐城国刈田郡宮村、現在の宮城県刈田郡蔵王町の出身で、明治24年(1892年)に春採アイヌ学校に赴任していましたが、この碑にもあるとおり、それ以前は、函館の上湯川と、地名は書かれていませんが、現在の厚沢部町に当たる安野呂地区にあった学校でも教鞭をとっていました。
函館では、聖公会の宣教師アンデレス司教と縁が深く、自身も信者となったとのことで、塘路湖駅前にあった「アンデレス学校」は、そのアンデレス司教を学校長とする、アイヌの子弟への教育を目的とした施設です。
このように、函館にも縁の深い人物だということもあり、この人物の功績には興味を持っていました。
碑文にもありますが、台風で倒壊したかつての石碑は「春湖翁碑」と呼ばれていました。この「春湖」とは、永久保を指す号のことです。
永久保が赴任した「春採アイヌ学校」は、「C・M・S」という英国聖公会の海外伝道協会の宣教師だったルーシー・ペインの働きかけにより設置された施設で、後に、道庁認可の春採尋常小学校となりました。
この碑は、その春採尋常小学校で校長職を務めた、「三浦政治」という人物の功績を称える碑です。
これからの碑が設置されているのは、「釧路市春採生活館」の敷地内で、この会館には、「釧路アイヌ協会」という団体が入っています。
「釧路市春採生活館」の近くにある、市立春採中学校。
かつてのアイヌ学校、春採尋常小学校は、ここにあったとされています。
(「釧路市春採生活館」と「春採中学校」の位置関係はこちら)