「北海道神宮」本殿の近くに立つ、「島義勇(しまよしたけ)」の像。
佐賀藩士の息子として生まれ、明治2年(1869年)、北海道に開拓使が設置されると、東久世通禧開拓長官と共に北海道に渡り、開拓使判官として、札幌の街づくりに情熱を持って着手した人物です。
開拓使判官として尽力した島でしたが、札幌の開拓は難航し、飢饉の対応や、厳しい寒さと雪により莫大な予算と労力を要したことから、東久世長官に予算増額を訴えましたが、逆に予算超過の責任を指摘され解任されてしまいました。
解任後は秋田県の初代知事となりましたが、都市事業の構想に強い反発を受けて退官を余儀なくされ、佐賀藩に戻った後は「憂国党」の党首となって、江藤新平と共に「佐賀の乱」を起こすも敗れ、最終的には朝敵として斬首刑に処されるという数奇な運命を辿った人物ですが、ここ北海道においては「開拓の父」として称えられており、昭和49年(1974年)、北海道神宮に銅像が建立されています。
神宮の境内には、小さな「境内社」が幾つかあります。
「穂多木(ほだぎ)神社」というこの神社は、平成9年(1997年)に経営破綻した「たくぎん」こと「北海道拓殖銀行」の本店屋上に設置されていた神社で、昭和25年(1950年)に現在地に遷座されています。
「穂多木」とは、「北・拓・銀」から一音ずつ取った名前とされています。
こちらは、北海道における鉱業殉職者を祀る「札幌鉱霊神社」
昭和18年(1943年)、「札幌鉱山監督局」開局50周年記念事業として同局の庭に作られ、同24年(1949年)に、北海道神宮の境内に遷座されています。
毎年6月25日が例祭日となっており、道内鉱業の安全と発展を祈願しています。
そしてこちらが、「開拓神社」。
北海道開拓に尽力した功労者、37柱を祀っています。
御祭神の名前を見ると、正に錚々たる顔ぶれが並んでいます。
先述の島義勇の他、かの松浦武四郎に高田屋嘉兵衛、釧路の開拓に尽力した佐野孫右衛門の名前もありますね。
「開拓神社」は、昭和13年(1938年)、北海道開拓70周年を迎えるに当たり、開拓功労者を偲んで北海道神宮内に創建されました。
明治2年(1869年)、「蝦夷地」を「北海道」と改めた8月15日が例祭日となっています。
4月から札幌に戻るに当たり、町ブラ(歴史散歩)のテーマを色々考えたいと思っていますが、神社仏閣の歴史には以前から興味があり、今回こうして神宮境内を歩いてみて、色々と調べて見たいという思いが強くなってきました。
休みの日には図書館などで学習もしたいと思っているので、その辺も楽しみながら過ごしていきたいと思います。