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北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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力の入れ加減が大事

2017-04-17 19:55:19 | 懐かしの思い出
メンコ勝負パチパチパッチ 陸別(北海道新聞)


これは懐かしいと思って新聞記事を読んでみた。

以前にも一度書いたことがあるのだけど、小学校5年生の時に転入した小学校ではメンコが大流行していて、休み時間には必ずと言っていいほどやっていた。
以前の記事にも書いているけれど、基本ルールは次のとおり。


全員がメンコをテーブルの上に置き、順番を決めて、自分の番になったら自分のメンコをテーブルに叩きつけて、

① 誰かのメンコをテーブルから落とす(自分も落ちたら無効) 
② 誰かのメンコをひっくり返す(自分もひっくり返ったら無効)
③ 自分のメンコを誰かのメンコの下にもぐらせる(勢い余って落ちたら無効)

のいずれかができれば、相手のメンコを自分の物にできる。


経験のある方はピンとくるかもしれないけど、新品のメンコと、ある程度使用して年季の入ったメンコとでは、攻略するためのコツが違ってくる。
例えば、相手のメンコが新品である場合に③を狙うというのはかなりの上級テクニックなので、そういう場合には、まず①を狙う気持ちで、メンコを、ただテーブルに叩きつけるのではなく、テーブルの上をすーっと滑らせることができるような放り方を身に付けることを練習する必要があると、当時は思っていた。
その場合、上にも書いたとおり、自分も落ちてしまっては何にもならないので、どの程度の力の入れ方をすれば、相手のメンコだけを落とすことができるかというさじ加減を体で覚えるという訓練が必要になるのだけど、この、「どの程度の力の入れ方をすれば有効に作用するか」ということを考えながら取り組むということは、大人になってからも様々な場面で求められること。
仕事でも、つい勢い任せというか、力の入れ加減を見誤り、かえっておかしなことになってしまったという失敗例が幾つか(幾つも?)あるので、せっかくあの頃、そういうことの鍛錬ができる遊びに夢中になっていたのだから、きちんと頭で考え、体で覚えるよう努力しておけばよかったというのは、今から思えばだけど、後悔だなあ・・・。

なので、もし今、紹介したようなイベントなどを通して、再び子供達の間で人気が再燃するとすれば、多少なりとも経験のある者として、「この遊びを通して、適度な力の入れ方というものを身に付ける訓練をしてほしい」というアドバイスを送りたい・・・かな。(「かな」で終わったのは、偉そうなことを言える立場ではないのでということ・・・)
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定番の二曲

2017-03-17 21:03:49 | 懐かしの思い出
今年は平成元年と曜日の配列が同じなのだけど、そんな平成元年の3月15日水曜日は、中学の卒業式があった日。
式の最中のことはあまり覚えていないのだが、式の後、教室に戻ってきて、担任の先生が、長渕剛さんの「乾杯」をみんなの前で歌い、その後、海援隊の「贈る言葉」を、生徒も加わって一緒に歌って締めたのを覚えている。
なので、「卒業式といえば?」というお題であれば、私はこの二曲を思い出すのだが、「卒業ソングといえば?」となると、ちょっと違う気がする。
理由は多分、この二曲は、たまたまその時に歌ったというだけで、卒業に関係なく好きな曲だからということになるのだろうと思う。

じゃあ「卒業ソングといえば?」の答えは何かとなるのだが、色々と考えて、幼稚園の時に歌った「おもいでのアルバム」と、小学校の時、卒業式ではなく、「卒業生を送る会」で在校生として歌った「ぼくのひこうき」の二曲が浮かんできた。


「おもいでのアルバム」。
春夏秋冬季節ごとの様々な出来事を思い起こし、最後は卒園して一年生になる子供達への餞とする歌詞が印象的で、今はどうか知らないけど、私の周囲では、幼稚園の卒園式では定番の曲だった。
今改めて歌詞を見ると、大人になった今でも、日々の様々な出来事を大切にして、新しい一歩を踏み出して行こうという意味に解釈できる気がして、グッとくるフレーズが並んでいるなと思う。
今回色々と調べてみて、1981年に、NHKの「みんなのうた」で放送されたという記述にぶつかり、「嘘?私が幼稚園を卒園したのは1980年だけど・・・」と思ったのだが、曲自体が最初に発表されたのは1959年だということで、「そういうことか」と思った次第でした。


「ぼくのひこうき」。
あまり知っている人がいない気がするんだけど、これもやはり、新たな旅立ちとして、大空へ向けて飛んで行く飛行機に夢と希望を託すという歌詞が印象的。
5年生の時、「卒業生を送る会」で歌ったのだけど、その時の5年生全員の台詞を、実は今でも覚えている。


女子全員「私達は」

男子全員「皆さんが築いてきた伝統をしっかり受け継ぎ」

5年生全員「心を込めて歌います」


という台詞の後に前奏が始まり、みんなで合唱となったのだが、翌年、自分達が送られる立場になった時の「送る会」でも、5年生達が全く同じ台詞を言っていたように記憶している。
その後いつまでこれが続いたのかは定かじゃないけれど、それぐらい、私の卒業した小学校では定番の歌だったのだろう。


そうか、卒業式シーズンか・・・。
そういや今朝の出勤途中、卒業式に出るべく着付けをした女の子が、お母さんと一緒に歩いているのを見たなあ。

卒業を迎えた皆さん、おめでとうございます。
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これは懐かしい!

2017-03-08 20:36:50 | 懐かしの思い出
友人のブログで、「おぉ!」という話題を目にした。


'80年代を彩った伝説のバンド、"オメガトライブ"のカルロス・トシキが復活!


これはこれは懐かしいですな。
特別強い思い入れがあるわけではないのだが、「ザ・ベストテン」をはじめとする音楽番組がきっかけで、邦楽全般に興味を持つようになった1987年~88年頃(当時中2~中3)、彼らも大変な人気を誇っていたので、よく覚えている。
彼らのことを知ったのが87年だったので、一番印象に残っている曲は、代表曲である「君は1000%」とか「Super Chance」ではなく、この年の夏にリリースされた「Miss Lonely Eyes」だったりするのだが、この曲は、シングルカセット(時代ですな~)を買って何度も繰り返し聴いていたものだった。
Wikipediaを見ていて思い出したのだが、「カルロス・トシキ&オメガトライブ」とユニット名を変更した88年には、ジョイ・マッコイ氏という外国人アーティストがコーラスとして加わっていたり、今も続いている「世界・ふしぎ発見!」のテーマソングである「どうして好きといってくれないの」という曲があったことも懐かしく思い出される。

そうか・・・そんな彼らが復活ね。
中古店(例えば「ブックオフ」)に、懐かしい曲を収録したCDでも置いてないかな。
週末早速探してみよう。見つけたら、買って、ウォークマンに録音しておこう。(BOØWYとかTM NETWORKなど、懐かしいヒット曲を録音しているカテゴリがあるので)
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うまい棒に夢中

2016-10-28 18:42:53 | 懐かしの思い出
「遠足」の思い出ですか?
そりゃもう、写真を撮るために走ってくる車を徐行させたり斜面をワサワサと駆け上がったり・・・、
あ、失礼、その「遠足」じゃないんですね。(笑)

小学校の頃の遠足と言えば、そんなに覚えているわけじゃないけど、出来事としてパッと思い浮かぶのは、


・八雲に住んでいた小学校4年生の時、道南の「仁山」という山に登って蜂に刺されたこと。(今だったら軽症でもニュースになりそうだけど、当時はそんな時代でもなく、大した症状でもなかったので特にニュースにならなかった)

・札幌に転校した後の6年生の時、豊平川に近い公園に炊事遠足に行った際、サッカーをしていて、私のミスでボールを川に落としてしまい、みんなして全力でボールを追いかけ、やっとの思いで拾い上げたこと。(拾い上げたのは私ではなかったが)


の二つかな。


後はまあ、遠足のお楽しみであるおやつのこと。

札幌に転校してからは、小学校の近くにある駄菓子屋さんで買っていたのだが、札幌に行って最初の遠足の時に「うまい棒」の存在を知ってからは、常に「遠足=うまい棒」だった記憶がある。
学校でブームになっていたというのもあったのだが、あれから三十年以上経った今でもメジャーなお菓子として人気を保ち続けているというのは本当に凄いことだと思う。
その点、今はどうなんだろう?今でも、「うまい棒」といえば遠足の定番だったりしているのかな・・・?

そうそう、これはちょっと恥ずかしい記憶なんだけど、八雲に住んでいた時、多分3年生か4年生の時だったと思うのだが、当時の私は鉄道に凄くハマっていて、遠足で移動した列車の中で、JR(当時は国鉄)函館本線について延々と熱く語っていたという記憶が・・・。
その時はそんなこと考える由もなかったが、きっと周囲はドン引きだったんだろうなあと思うと、顔から火が出そう・・・。(苦笑)

時間をかければ色々と思い出せるかもしれないので、何か思い出したらまた書こうと思います。
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またお一人・・・

2016-07-20 21:13:36 | 懐かしの思い出
石坂浩二 巨泉さん死去に「無念の思いで一杯」


「倍率ドン! さらに倍! 16、18、4、8、16!」


土曜の午後7時30分と言えば、現在は「ブラタモリ」だけど、子供の頃は、なんたって「クイズダービー」だった。
定番だったのかどうかまでは記憶にないが、最後の問題の倍率が、この「16、18、4、8、16」になることが多かったような記憶が、何となくだけど残っている。
1枠(篠沢教授)が16、2枠(結構変わったけど、覚えているのは山崎浩子さんや斉藤慶子さん)が18、3枠(言わずと知れたはらたいらさん)が一番低い4、4枠(同じく言わずと知れた竹下景子さん)が8で、5枠(ゲスト)が16・・・、いやあ、懐かしいなあ・・・。
「クイズダービー」は、ファミリー向けのボードゲームも持っていて、親戚が集まった時なんかによくやっていたものだった。

そして、リンク記事にある「世界まるごとHOWマッチ」と「ギミア・ぶれいく」。
そうでしたね~、石坂浩二さんが「兵ちゃん」というニックネームで呼ばれてましたね~。
最初は、「何でそんなニックネームなの?」って思ったけど、本か何かで石坂さんの本名を知り、「あ~そういうことね」と思い至ったことを覚えている。
「ギミア・ぶれいく」は、「笑ぅせえるすまん」もさることながら、クイズ好きだった私にとっては「史上最強のクイズ王決定戦」が何と言っても思い出深い・・・。

ご冥福を心よりお祈り致します。
楽しい番組の数々を、有難うございました。
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