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北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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追われた記憶はない

2017-07-25 19:20:52 | 懐かしの思い出
まあ、少なくとも、のび太(ドラえもん)やカツオ(サザエさん)のような状態になったことは一度もないかな。
て言うか、これ、話すと意外に思われることが多いんだけど、実は宿題自体、そんなに凄いボリュームのものが出たという記憶がない。
強いて挙げれば、あれは確か中学校2年生の夏休みだったと思うのだが、担任が数学の先生だったこともあるのか、教科書でも参考書でもドリルでも何を元にしてもいいから、ノート丸々一冊を埋めるだけの問題を解いて提出せよというのがあったぐらいかな。

そんな状態だったので、長期休みの宿題では、勉強よりも自由研究の方が印象に残っていることが多い。
自由研究と言っても、私は小学校の図画工作から中学校の美術に至るまで万年2(一度だけ、奇跡的に3だったことがある)だったこともあり、他の同級生のように絵とか工作ではなく、自分でテーマを決めて、住んでいる町の地理や歴史について研究したことの方が多かった。

あれは小学校3年生から4年生になる時に春休みだったと思うのだが、今の職場の先輩である伯父から話を聞いて、当時道内某所で建設計画が進行中だった大きな橋について調べたり、そこから興味が派生して、従兄妹が住んでいた町について色々と調べてレポートにして提出したことがある。
その時は、伯父が職場から持ってきてくれた一般配布用の事業パンフレット(完全に大人向けの内容)も参考にするなどしたものだった。
この時のレポートとパンフレットは、もしかすると、今でも実家の物置で眠っているかもしれない。

そして、父親の転勤で札幌に引っ越した小学校5年生の夏休みには、地下鉄やバスなどの公共交通をテーマに決めて、一日乗車券を使って全ての駅で乗り降りして、例えばバスターミナルと接続している駅では、どことどこに向かうバスが発着しているとか、あるいは駅の周辺にはどんな建物や公園なんかがあるかなんてことを調べたのを覚えている。

他にも色々なことをテーマにして調べたりしていたと思うのだが、そういう、自分にとって興味深いことを長期休みの宿題としてやっていたので、後半になって追われるような思いをするということもなかったのだろうと思うし、こうした経験が、「はこだて検定」の受験など、自分の住む町に興味を持ってぶらり歩きをしたり調べたりしていることに繋がっているのかなと思う。
函館の次はどこに行くかわからないけど、これからも、行く先々で、その町に興味を持つということを基本とし続けていきたいと思う。

最近の小学生はどうなんだろう?どんな宿題がどれくらい出ているのかな・・・?
コメント (2)
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思い起こせば中学の頃

2017-07-01 16:32:51 | 懐かしの思い出
最近はほとんど聴かないので、カテゴリーを「懐かしの思い出」にして、振り返ってみることにした。

私がラジオを一番よく聴いていたのは、中学2~3年の頃。
「ザ・ベストテン」をはじめとするテレビの音楽番組に夢中になったのがきっかけで、北海道ローカル局の電リク番組も聴くようになったのが最初だが、覚えているのは、HBCという、TBS系列の局で平日夕方4時から放送されていた「ベストテン北海道」という番組と、同じくHBCで、日曜の昼1時から夕方4時半まで、全国何局かをネットで結んで放送されていた、「全日本歌謡選抜」という番組。
聴くだけでなくリクエストもしていたのだが、中学の頃は、特定のアイドルやグループのファンではなかったこともあり、リクエストするアーティストも、TM NETWORKやBOØWY、TUBEなど、その時々で好きだった曲をリクエストして、楽しんでいたのを覚えている。
高校生になってからは、FMでも同趣旨の番組を聴くようになり、FCに入っていたCoCoの曲をリクエストしたこともよい思い出。
高校1年生の秋には、FMの番組で、BAKUFU-SLUMPの「大きな玉ネギの下で」という曲をリクエストしたところ、キリのいいリクエスト順番に当たってプレゼントに当選し、番組内で名前が紹介されたなんてことも。

電リク番組はどちらかと言うと自分一人で楽しんでいたのだが、同級生と一緒に楽しんでいたのが、STVという、日本テレビ系列の局が制作するローカル番組。
例えば、土日平日関係なく、深夜12時から日替わりのパーソナリティーによって放送される「アタックヤング」、通称「アタヤン」という番組は、全国発売されるラジオ誌でも取り上げられるほどの大人気番組で、私も、眠い目をこすりながら聴いたものだった。
あれは中3の時だったと思うけど、同級生で、番組への投稿で一躍有名人となった奴がいて、何とそいつが、電話やハガキを超えて、スタジオでパーソナリティーとサシで語り合うことになったことがあった。
さすがにスタジオには同行できなかったが、その時の放送は録音していた(さすがに今はもうないけれど)ので、内容も僅かながらに覚えている。
アタヤンの他にもう一つ、現在も現役で活躍されている、明石英一郎さんというSTVのアナウンサーがパーソナリティーを務め、平日夜10時45分から放送されていた「うまいっしょクラブ」という番組も大好きだったのだが、実を言うとこちらは、私も何度か投稿して読まれたことがあった。

あれから約三十年。今ではラジオと言っても、車を運転中若しくは職場の車で移動中にカーステで聴く程度になってしまったけど、最近、災害への備えとして、ポケットサイズのラジオを新調したので、宝の持ち腐れにならないよう、自宅でもたまに聴くようにするかな。


さてさて、このお題だけならここで終わるんだけど、最後に一つだけ。

一昨日の記事で、函館山ロープウェイの「山麓駅」で何かがあったと書いたけど、ここでその続きを。





山麓駅の一角には、こんなスペースが。
「FMいるか」とは、函館をステーションとする道南地方のFM局で、窓の向こうはスタジオとなっています。

事後報告で申し訳ありませんが、実はこの度、初めて、聴く側から出演する側に回らせていただきました。
内容は、「はこだて検定合格者の会」会員として、会の活動内容や、私自身の検定に関するエピソードなどについて、インタビュー形式で色々と話をさせていただくというものでした。
初めてのことだったので大変緊張したけれど、貴重な経験になったと思います。
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ルーツを探る~その2~

2017-06-17 15:57:15 | 懐かしの思い出



先週までの東京滞在では、二回週末を挟んでいたこともあり、休みの日は、遠くへは行かなかったけれど、近郊をぶらり歩きしてきた。
そんな目的地の一つが、国立市。
小平からだと、西武線に乗り、国分寺で中央線に乗り換えるというルートだけど、この間は鉄道は使わず、歩き通してみた。








駅前にある商店街。
別に買い物が目当てというわけではないが、実はここは、私にとっては大変思い出深い場所。

早いもので、今年で亡くなられて十一年になる、「電子戦隊デンジマン」「太陽戦隊サンバルカン」で「へドリアン女王」を演じられた、女優の曽我町子さん。
曽我さんは、亡くなられるまで、芸能活動の傍ら、国立市で、「ステラ」というアンティークショップを経営されていて、私も一度だけ、仲間達と一緒にお邪魔したことがあった。

あれは、十三年前、2004年の12月18日(土)のこと。
この五ヶ月前、現在も交流の続く仲間達との初対面となったオフ会の時にも、仲間達は曽我さんにお会いするべく「ステラ」を訪問していたのだが、何と何と、スケジュールの都合で参加できなかった私に対し、曽我さんは動画でメッセージを授けて下さり、それがきっかけで、私は、「ナナマガラー」というHNを名乗るようになった。
そんなことがあったので、初対面の御挨拶と、名前を授かったことに対する感謝の意を表したく、仲間達に同行して、初めての訪問と相成った。

初対面の際、デンジマンでは、敵のベーダー怪物が誕生した瞬間、女王の御前で「※1○○ラーめにございます」と名乗ることが多かったので、私もそれに倣い、「ナナマガラーめにございます」と名乗ることも考えたのだが、実際は、ごく普通と言うか、とりあえず失礼ではないと思われる挨拶になったように記憶している。
滞在時間は1時間弱だったように思うが、当時のメモを見ながら思い出すと、その間私達は、店内の商品や展示の中から、「ベーダー水」(ミネラルウォーター)なるものの振る舞いを受け、後半には、人生訓と言ってもよい、有難いお言葉を頂いていた。

そして退店する際、初訪問であった私は、店内で本名と住所を登録していったのだが、この二週間後の2005年元日、何と何と、曽我さんご本人から年賀状を頂くことになった。





これがその年賀状。(当時は釧路市に住んでいました)
大変驚いたのと同時に、感激してすぐに返信をしたため、郵便局へ急行したのを覚えている。(当時のアパートは大規模郵便局のすぐ側だったので、ポストではなく窓口で投函した。)
勿論、生涯の宝物として大切にしていきます。

とまあそんなわけで、私にとっては、その時以来十三年ぶりの国立訪問だったけど、自分の今に至るきっかけとなった場所ということで、この思い出は今後とも大切にしていかねばと思います。


※1 「電子戦隊デンジマン」のベーダー怪物は、ムササビの怪物で「ムササビラー」、シャボン玉の怪物で「シャボンラー」など、「○○ラー」という名前であった。


※2 上から二枚目と三枚目の写真は、商店街の一角を撮ったもので、「ステラ」のあった場所ではありません。「ステラ」のあった場所は、現在は別な業種の店舗となっているため、ここでは掲載いたしません。
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今よりも昔

2017-05-17 19:49:17 | 懐かしの思い出
これはもう答えるまでもないでしょう。


「ブラタモリ」


「ニュースウォッチ9」


それに、不定期のローカル番組だけど、


「穴場ハンター」


とまあ、今はそんなところだけど、実は子供の頃から結構見ていた記憶がある。

子供の頃と言えば、定番なのは「おかあさんといっしょ」。
実家の母親によると、私も結構夢中になっていたらしい。
「うたのお兄さん」って、今の方は12代目だそうだが、覚えているのは、「ビューティフルサンデー」の田中星児さん、我らが「アニキ」こと水木一郎さんのお二人。
調べてみると、「無敵ロボトライダーG7」の主題歌が印象的な、たいらいさおさんも務めてらしたそうなのだが、そこはちょっと記憶が・・・。
でも、一番鮮明に覚えているのは田中星児さんかなあ・・・。
もう一つ、「たいそうのお兄さん」は、私が見ていた頃は、ずっと、瀬戸口清文さんという方だった。
顔までは覚えていないけど、名前ははっきり覚えてました。

小学生の頃は、道徳の時間に、教育テレビの番組を観るというのが、どこの学校でも定番だったように思う。
「♪口笛吹いて~空地へ行った~」って主題歌の番組、何て名前だったかなあと思って調べてみたら、「みんななかよし」って番組だった。
懐かしい懐かしい。

後一つ挙げるとすれば、「みんなのうた」になるのかな。
印象残っているのは、「北風小僧の寒太郎」とか、渋いって言われるかもしれないけど、「さとうきび畑」。
それに、「ドラキュラの歌」「南の島のハメハメハ大王」「山口さんちのツトム君」あったなあ・・・。
後、「♪ホーイホー」ってフレーズだけが何故か頭に残っていたので調べてみたら、先日亡くなられたペギー葉山さんの「ひげなしゴゲジャバル」って曲名だったらしい。
本当にワンフレーズしか頭に残っていないので、全体的にどんな曲だったのかは覚えてませんけどね。
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音階まで覚えてる

2017-04-25 21:14:05 | 懐かしの思い出
「好きな曲は?」という以前に、実は「イエスタデイ・ワンスモア」しか知らない。

小学校の時、確か3年生の時だったと思うが、音楽発表会(当時通っていた学校は「学芸会」というものはなく、「音楽発表会」だった)の課題曲(リコーダーではなくピアニカだったような気が)になっていて、音楽の授業などで一生懸命練習していた。
あれから三十五年経っているけれど、実は今でも、この曲の音階を結構覚えていて、出だしの部分とサビの部分なら、もしかすると楽譜を見なくても演奏できるかもしれない。
それくらい何度も何度も繰り返し演奏していたのだけど、さすがに小学生の時分なので、この曲が何というアーティストのいつ頃の曲なのかは知る由もなく(日本で発売されたのは、1973年7月とのこと)、恥ずかしながら、ビートルズの「イエスタデイ」と関係のある曲だと勝手に思い込んでいたりもしたのだが、大人になって、何かの時に聞いて、「これはあの時の!」と思い、そこで、「カーペンターズ」というアーティストのことも知ったように記憶している。

「音楽発表会」で演奏した曲として、他にどんなのがあったかなと思い出してみたが、2年生から4年生の時まで三年間通ったうち、2年生の時のことは思い出せないのだけど、4年生の時は、「シバの女王」と「白い恋人たち」の二曲をやったように思う。
この二曲は音階までは記憶にないけれど、どちらも、サビに当たる部分のメロディーは何となく覚えている。特に「白い恋人たち」の方は、テレビとかで流れることもたまにあるので、聞けばその頃のことを思い出したりもする。

私は父親の転勤で、小学校は三つ通っていたのだけど、一番楽しく、いい思い出がたくさんあるのは、この二つ目の学校だったので、今回また思い出す機会を与えてくれたことに感謝。
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