いきなりですが、北見市郊外にある小学校。
私が1年生のときに通っていました(2年生になるときに、道南の八雲町へ引っ越した)。
この階段は、当時から変わらずに残っています。
私は1年5組(6クラスあった)けれど、教室はどこだったかなあ・・・、確か、5組までが1階で、6組だけが2階だった記憶が・・・。
卒業した学校(札幌)だったら、アルバムもあるし、ある程度のことは覚えているけれど、さすがに1年生のときだけ通っていた学校ともなると、校内の様子は覚えてはいません。
でも、側に来ると、色々と思い出が蘇ってきます。
その小学校に隣接する幼稚園。
私は、年少のときは「あさがお組」、年長のときは「ゆり組」でした(年長のときは、担任の先生も花の名前の先生でした)。
建物は40年前から建て変わっているけれど、場所は変わっていないので、懐かしい思い出が蘇ってきます。
小学校と幼稚園からそんなに離れていないところにある公園。
確か、幼稚園の年長か小学校1年生のときのどちらかに開園した記憶があります。
ここではよく遊んだものでした。
遊具はあまりよく覚えていないのだけど、このゲートは覚えています。
この小さなグラウンドでも、野球とかサッカーとかしていたんだろうなあ・・・。
これは児童会館なんだけど、ここはちょっと覚えていないなあ・・・。
でも、公園の隣なので、きっと来たことがあると思います。
「まつの木」公園の隣にある小山。
由来まではわからないけれど、私達はこの小山を「ヘビ山」と呼び、また、当時、木の棒きっれで葉っぱを叩き落すという遊びをしていて、それを「てつ狩り」という、意味不明の名前で呼んでいたのを覚えています。
「てつ狩り」・・・、一体何でしょーねその名前は。そもそも「てつ」って「鉄」のこと?遊びの内容からしてそんなわきゃないのだろうけど、誰彼ともなくそう呼んでいたのかな・・・。
公園といえば、もう一つ覚えている場所があって、高台にあって、小さいけれど、ひまわり畑があったという記憶があったので、そこはどこなんだろうと歩いていると、辿り着いたのがこの公園。
「高栄どんぐり公園」という公園。
ここだという確証はないのだけど、この近くには、当時からある理容室や商店が今も残っていたので、きっとここで間違いないと思います。
とまあ、懐かしい思い出が次々と蘇ってきたけれど、大変残念だったのがこの場所。
当時住んでいたアパート(父親の勤務先の社宅)が、取り壊されてしまっていました・・・。
元のアパートの敷地と、隣接する公営住宅敷地の境界にあるブロック。
自宅にあるアルバムには、このブロックの上に立って撮ってもらった写真があります。
このリサイクルショップは、当時はスーパーでした。
この銭湯は、当時からそのまま残っています。きっと来たことがあるでしょう。
この横断歩道は、私が、押しボタン式の信号というのを初めて体験した場所。
小学校1年生のときにできたと記憶しています。
電柱に注目。「西陵」とあります。
ここも今は居住者はいないのだけど、この公営住宅にも、友人が何人か住んでいたはずです。
北見市の西部にある丘の上ということで「西陵」と名付けたものと推察されますが、電柱にも名前が残っているということは、それだけでなく、もっと深い何かがあるのかもしれません。
ということで、思い出の場所を超駆け足で巡ってみましたが、車ではなく交通機関を利用したことで、細かい部分にも接することができ、大変良かったです。
またいつかゆっくり回ってみようと思います。