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北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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長崎屋まで閉店・・・

2023-08-01 20:45:19 | 懐かしの思い出

 

あらま・・・、1月末の「藤丸」の閉店に続き、長崎屋までこうなってしまいましたか。

帯広駅前から大型商業施設が姿を消してしまうんですね。

 

「長崎屋」。帯広に住んでいた三年間(平成17年(2005年)4月~20年(2008年)3月)は通いまくりましたよ。

イオン系の「ポスフール」や、郊外にある「イトーヨーカドー」にもよく行ったけど、長崎屋帯広店は、職場からも割と近かったこともあり、平日土日祝日を問わず通えたので、恐らく帯広市内のショッピングセンターでは一番よく通ったと思います。

帯広のソウルフードとも言える「インデアンカレー」や、確か平成19年(2007年)に開業した、大型書店の「喜久屋書店」など、思い出は沢山あります。

「喜久屋書店」が出店する前は、帯広市内にも何店舗かあった「ザ・本屋さん」という書店が入っていたと思うのだけど、広いフロアの狭い一角に過ぎなかったので、「喜久屋書店」が出店したときは、すごく画期的だと思ったものです。

本屋さん以外にも、当時は一人暮らしで、仕事も忙しかったので、帰宅して夕食を作る気力がなかったときは、「インデアンカレー」や、何店かあった食堂にもお世話になりました。

私のかかりつけメガネ店である「富士メガネ」の店舗もあったのだけど、当時いた女性の店員さんの接客態度がとてもよく、変な意味じゃなく、「帯広にいるうちはここにお世話になろう」と決めていたものでした。

あの店員さん、お元気かな・・・。

 

 

 

「長崎屋」といえば、帯広店にも残っているこのロゴ。

小学生の頃に住んでいた道南の八雲町にもあったのだけど、「サンバード」と呼ばれていたお店を思い出します。

「♪サン、サン、サンバード~♪」というイメージソングも未だ耳に残っていますが、調べてみたところ、かの小林亜星さんの作曲だったそうです。

懐かしい記憶が色々と蘇ってきます。

 

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卒業から31年

2023-03-01 19:43:39 | 懐かしの思い出

 

今日は道内の公立高校の卒業式なんですね。

卒業を迎えた皆さん、おめでとうございます。

ニュースで紹介されているのは、道内公立高校ではトップレベルにして、HTB森唯菜アナの母校でもある札幌南高校で、毎年個性的なパフォーマンスが繰り広げられることで知られています。

 

高校の卒業式・・・、記憶に間違いがなければ、道内の公立高校の卒業式が3月1日になったのは、私の一つ下の学年からで、私が卒業した平成4年(1992年)までは、3月10日でした。

受験を控えた3年生は、2月1日から家庭学習に入り、3月9日に卒業式の準備で登校し、10日が卒業式だったと思います。

私は2月末に大学の合格発表があって、卒業式のときには進路も決まっていたのだけど、同級生や他のクラスの友人の中には、まだ進路が決まっていないのも結構いたので、悲喜こもごもってな感じでしたが、卒業式がどんなだったかは正直あまり覚えていないです。

一学年11クラス500人もいる大きな学校だったので、全員をステージに上げて卒業証書を授与すると時間が足りなくなってしまうので、各クラスの代表1名がステージに上がって全員分の証書を受け取り、それを、式終了後に各クラスで担任が配付するという流れだったのは覚えているけれど、式の最中のことは殆ど覚えていないのが正直なところ。

ただ、はっきり覚えているのが、普段はバス通学だったのだけど、その日は、日ごろ一緒に下校していた仲間10人ぐらいで、延々徒歩で家に向かい、道中様々なことを語り合ったこと。

どんな話をしたかはさすがに覚えていないけれど、このことだけははっきりと覚えています。

私は、2年生のときが、正直苦痛だらけのクラスで、「3年生になったらぜひクラス替えをしてほしい」「一刻も早くこの状況から脱却したい」と思っていたのだけど、その願いが通じたのか、3年生のときは、「高校生活の最後がこのクラスで本当に良かった」と思えるようなクラスに入ることができたので、それが終わってしまうのは寂しかったですが、同級生たちとは、例えばその一年後に自動車学校に通っていたとき、同じクラスだけで7~8人は同時に来ていたりとかしていて色々と交流が続いていたので、それも良い思い出。

後、どういうルートを辿っているのか不明ながら、何故かみんなの近況に関する情報が伝わるのが早く、卒業から四年経って、私が今の職場に入ったとき、しばらく会ってなかった同級生から、「〇〇に入ったんだって?」と聞かれてビックリしたのを覚えています。

あれから31年、さすがに当時の同級生で近況を知っている人も少なくなりましたが、一昨年だったかな、札幌の地下歩行空間で行われていたイベントがHTBのニュースで紹介されたとき、主催している団体の代表者として同級生がインタビューされていたのを見て、「みんなそれぞれに頑張っているんだなあ」「私も負けないで頑張ろう」という感想を持ちました。

 

そんなところですが、「頑張ろう」といえば、新年度まであと一か月。

私は残留だけど、周囲は結構動きがあって、ぼちぼち新しく来る人の情報も入ってきているので、引き続き頑張ろうと思います。

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リボンナポリン

2022-10-11 19:54:16 | 懐かしの思い出

 

皆さん、このオレンジ色の飲み物を御存知でしょうか?

「リボンナポリン」という炭酸飲料です。

 

 

鮮やかなオレンジ色が特徴的なこの飲料は、明治44年(1911年)に誕生した、北海道限定の商品です。

無果汁で、パプリカの色素が使われているそうですが、地中海地方の果実であるブラッドオレンジを原料にしていたことから、イタリアの「ナポリ」に因んで「ナポリン」と名付けられたそうです。

たまに、道外でも物産展で販売されることがあるようなんだけど、基本的には北海道限定です。

ものすごく久しぶりに飲んだのだけど、子供の頃はよく飲んでいた記憶が蘇ってきて、懐かしい思いがしました。

誕生から111年も経っていたとは、驚きです。きっと、様々な思い出が多くあるという方も多いことでしょう。

五年前、東京での研修に参加して、全国から来た研修生と交流する中で、北海道と言って思い浮かべる炭酸飲料として、「ガラナ」を挙げる人が多かったのだけど、私はこちらの方がオススメ(と言うより、ガラナは苦手)。

きっと、一度飲めばハマると思います。

関連商品である、レモン風味のサイダー飲料「リボンシトロン」もオススメです。

 

 

ラインナップ - Ribbon | ポッカサッポロ

100年以上続くロングセラーの「リボンシトロン」「リボンナポリン」をはじめ、Ribbonブランドの商品ラインナップについてご紹介しています。

ポッカサッポロ

 

 

どこで飲んだかというと、↓の施設にあるレストラン。

先週土曜日、札幌の歴史文化を研究するワークショップに参加して立ち寄ったのだけど、私はビールが飲めないので、「リボンナポリン」をオーダー。

ビールの歴史が研究テーマの一つだったのだけど、111年という歴史がある飲料ということで、こちらを研究テーマにしてみるのも面白いかもと思いました。

 

 

ビールのミュージアム - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

私は、ビールはもとよりアルコール全般が苦手(強いてあげればサワー系は少々)なのですが、せっかく近くまで行く機会があったので、この機会にと思って、関連施設に立ち寄...

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四回目の年男

2021-01-09 17:03:29 | 懐かしの思い出

今年は四回目の年男を迎えました。

ある所から、年男の抱負について寄稿を依頼されたのだけど、字数の関係で、過去の年男の年を振り返ることができなかったので、こっちで振り返ってみようと思います。

 

【1回目:昭和60年(1985年)】

・小学校6年生。札幌在住二年目。

・6年生といえばの修学旅行は、洞爺湖~登別へ。

・夏休みに、家族で東京へ旅行。行きは東京へ直行せず、新潟空港で降り、新潟から上越新幹線で直行。

 このとき、短い新潟滞在中に、新潟駅構内にある本屋さんで買った本が、今でも自宅に。

 

 

 当時愛読していた「テレビランド」の発行元である徳間書店監修の「超電子バイオマン」のムック本。

 アルバムに、新幹線の車内でこの本を読んでいる写真も貼られています。

・10月、たまたま見ていたテレビでやっていた「第9回アメリカ横断ウルトラクイズ」第1週を見て一瞬でハマり、現在に至るまで大好きな番組であり続けるきっかけに(ビデオに録画するようになったのは翌年から)。当時年に二回開催されていた「高校生クイズ」も、この年の大晦日に放送された第5回大会を見て興味を持つようになりました。

 

【2回目:平成9年(1997年)】

・社会人2年目。滝川市在住。

・厄年でもあったのだけど、そっちの方が強く出てしまい、2月下旬に急性肝炎で一か月入院。

 そのときの顛末はこちらを御覧いただくとして、

 

 

 これは二年前のドックの記録ですが、参考までに、GOTとGPTを御覧ください。

 医療機関によって微妙に異なるものの、基準値は大体こんなところですが、入院時の私は、GOTが300台、GPTに至っては800台に達していました。本当に辛かったです・・・。

・他にも色々あったと思うんだけど、やっぱりこの出来事が強烈過ぎて、他のことは・・・。一つ挙げるとすれば、10月に、ちょっと車のトラブルがあり、結果的に手放してしまったこと。今から思えば、これも厄年故だったのか・・・。

 

【3回目:平成21年(2009年)】

・社会人14年目。函館市在住。

・年明け早々、祖母が逝去

・GWは関西(大阪~和歌山)へ旅行。高野山が一番印象に残った(こちらこちら)けれど、友人に案内してもらったグルメツアーも楽しかった。

・夏休みは長崎へ旅行。(2009年9月に何本か旅行記を掲載しています)

・年末に、特撮ファン仲間との忘年会に参加するために上京するも、出発前日に体調不良を起こしていたのが上京後に悪化してしまい、参加できずホテルで静養する羽目に

・そして、現在に至る人生の転機があったのがこの年。今の妻と知り合ったのが、この年の6月でした。(こちら

 

とまあざっと振り返るとこんな感じだけど、今書いたように、前回の年男のときには、正に人生の転機となり、自分史に残る出来事があったので、今年も何か、「いい意味で」自分史に残る出来事があるといいなと思います(それが、冒頭で書いた「寄稿」の主旨)。

前々回のときの出来事は「悪い意味で」の自分史に残る出来事だったと思うけど、その後健康管理意識を高めるきっかけになったと考えれば、必ずしもそうとは言えないかもです。

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校歌の色

2020-09-30 18:23:54 | 懐かしの思い出

今週はプライベートではなく仕事での帰省で、仕事の荷物もそれなりにあるので、本は文庫本1冊しか持って来ていないのだけど、そうなると、必然的に手が向くのが、自宅に置いてある、例えばこういう本。

 

 

昭和62年(1987年)の、「第7回高校生クイズ」の本。

当時中学2年生だった私が、二年後の出場を決意し、熱心に何度も繰り返し見ていた、思い入れの強い回です。

 

で、今日の話題は、この回の北海道大会の第1問。

 

「全道338校(当時)の高校の校歌に一番多く出てくる色は、゛青春真っ只中!゛の『青』である(YESorNO)。」

 

正解はNOで、一番多いのは「緑」なんだそうなんだけど、ならば私の母校はどうだろうと思って思い出してみたところ、確かに、二番の歌詞に、「緑」がありました。

で、「青」は確かなかったなあと思ったのだけど、念のため卒業アルバムを開いてみたら、ありました。それも、ズバリ「青春」という表記が。

なんで最初に思い出せなかったかというと、表記は「青春」でも、読み方が「せいしゅん」ではないから。

それも、一番が「ろまん」、二番が、「青春き」と書いて「わかき」、そして三番は「とも」。

いかに卒業から30年とはいえ、そりゃ思い出せませんわ。

 

他に面白いと思ったのが、「紫」があったこと。

「紫雲」という単語なんだけど、「紫」はなかなかないかもですね。

因みに、中学の校歌には、もっとレアではと思われる、「紺」がありました(「紺碧」という単語)。

色々あって面白いです。

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