自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆デープな能登=8=

2007年11月26日 | ⇒トピック往来

 能登半島から見える絶景と言えば、海に浮かぶ立山連峰(標高3015㍍)であろう。その眺望も毎日見えるのではなく、「たまに」というところに価値がある。とくに初夏のころ、雪の山々はコバルト色の海の上で青空に映えて浮かび、神々しさを感じる。

        立山の観天望気

 ふもとの富山県の人たちにとって立山連峰は古来より信仰の山であり、心の風景であるのかもしれない。立山が望める奥能登の穴水町でかつて別荘地が造成された。真っ先にその別荘地を買ったのは富山の人たちだったと聞いたことがある。「立山を見て余生を暮らせたら」。そんな思いが募ったのかもしれない。

  ところで、能登の人たちは立山に対しては別の見方もしている。「立山がくっきり見えたら、あすは雨」と。長年の経験から得た「観天望気(かんてんぼうき)」である。観天望気はもともと雲や風や空の色などを目で観察して、経験的に天気を予想することなのだが、この観天望気は実に分かりやすい。見える見えないで判断でき、しかも端的に当たるのである。だから子供でも「きょう立山が見えた、あすは傘がいる」などと言っている。

  写真は、金沢大学が「里山マイスター能登学舎」として使用している旧・小学校(珠洲市三崎町小泊)の玄関に飾ってある絵画だ。ご覧のように海の向こうに立山が描いてある。手前には、子供たちの遊びやお手伝いなど戸外活動の四季が描かれている。草相撲、モチつき、稲刈り…ほほ笑ましい光景ではある。あすは雨、いまのうちに遊びもお手伝いもやるべきことはやってしまおうというメッセージの絵画なのかもしれない。

  立山はいつも見えるわけではないと冒頭で書いた。しかも雨の日の前日に必ず見えるというわけでもない。ただ、くっきりと見えたら確実に「あすは雨」になる。微妙な見え方、たとえば薄く見えるときがある。この場合は「あすは曇り」となる。このあたりの「立山の見立て」となると地元の漁師がもっと詳しいだろう。

  ところで、観天望気は金沢にもある。金沢大学角間キャンパスがある田上(たがみ)、角間(かくま)地区では「医王山(いおうぜん、標高939㍍)の初雪から3度目の雪で角間も初雪」。古老から聞いた話である。もっとも街中にもある。「12月に入って、片町・香林坊が雨なら、小立野はみぞれ、そして湯涌は雪」と言った程度のものなのだが、これが結構、的を得ている。酔いどれ達の長年の観天望気術である。

 ⇒26日(月)夜・金沢の天気   くもり

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