自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★佐渡とグアムの島旅5

2011年09月20日 | ⇒ドキュメント回廊

 水質調査をした訳ではないが、ジャングルの豊富な栄養分をタロフォフォ川が湾に注ぎ、川だけではなく、外洋の植物プロンクトンの増殖に影響を与えているのではないか。ガイド役のジョンは、川の流れが注ぐタロフォフォ湾には多くの魚が生息していて、「ちょっと深いところにはイルカもいる」と話した。湾は海の水と川の水が混じる汽水域(きすいいき)と呼ばれる。畠山重篤氏は著書『鉄は魔法つかい』の中で「川の水が注ぐ海、汽水域は、フルボ酸鉄が注ぎこむので海藻と魚介類が育ち、人間と生き物たちが交錯するところです」((P.190)と述べている。察するに、タロフォフォ湾やその周辺、さらにグラム島は古代より格好の漁場なのかもしれない。

            ~ 海の民・古代チャモロ人の姿をほうふつと ~

 グアム政府観光局のホームページは、グラムの豊かな海について紹介している。「海中を彩っているのは、魚達だけではありません。様々な形で海中に素晴らしい造型美を見せてくれるサンゴはもちろん、赤や黄色、白など、豊かな色彩で海中の花園を造っている、イソバナやウミンダ、妖しい美しさのイソギンチャクも。現在、グアムの海には約300種類のサンゴと、50種類におよぶソフトコーラル類が生息しています」と。

 では、「川は海の母」と語るチャモロ人は海とどうかかわってきたのだろうか。『Island Time(アイランド タイム)vol.17』というグアム情報誌に、「スピアフィッシング 先祖の暮らしを支えた海に今、再び潜る」という特集があり、そこにはチャモロ人の漁労の歴史が詳しく述べられている。かいつまんで紹介する。古代チャモロ人の生活は海からの恵みによって支えられていた。人々は海に潜ってモリ=チャモロ語でフィスガ=で魚を捕まえ、暮らしの糧としていた。モリの刃には動物の骨が使われていたが、1600年代にスペイン人がグアムに金属を持ち込み、金属製の刃が使われるようになって、モリで魚を仕留める技術は格段に進歩した。漁場では、ココナッツの葉などを燃やし、その灯りで魚をおびき寄せるスロという呼ばれる漁法も用いていた。チャモロ人は、必要以上には捕獲せず、その日の食べる分だけ捕獲し、食べ物を分け合うという精神を育んだ。先のグアム政府観光局のホームページでも、「グアムの漁師は、今でも古代チャモロ人が編み出した方法(投げ縄)で漁を行っています」と。伝統は脈々と受け継がれている。

 グアム国際空港で、古代チャモロ人の漁労のいでたちを描いたポスター=写真・右=が貼ってある。右手にフィスガを持ち、まるで戦士のような勇壮な姿である。ちなみCHAIFIとは「友達になる」というチャロモ語らしい。そして、タモン湾地区のマクドナルドの店では、古代チャモロ人のイルカ漁を描いた絵画=写真・左=が掛けてあった。丸木舟でイルカを追いかけ、若者が潜ってイルカを捕まえる。想像画ではあるが、海洋の民・チャモロ人の姿をほうふつさせる。
 
 グアムの旅の最終日(19日)、ホテル近くの水族館を見学した。海底を再現した巨大な水槽の下を歩く。その名も「トンネル水族館 アンダーウォーターワールド」。100㍍の「海底トンネル」からは、パンフによると「100種類4000匹」の魚が観察でき、中にはハタ、ウミガメ、サメ、エイなど大型の海洋生物なども見ることができる。立ち止まってよく見ると、海に沈んだ旧日本軍の戦闘機や沈没船とおぼしき残骸=写真=もあり、鑑賞する人によっては痛々しく感じるだろう。が、それらは魚たちの魚礁にもなっていて、複雑な思いだ。

 15日の佐渡の天然杉の見学から始まって、19日のトンネル水族館まで、5日間の島旅は山と海の生態系、そして人の関わりを考えるよいテーマに恵まれた。

⇒20日(火)朝・金沢の天気 あめ


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ☆佐渡とグアムの島旅4 | トップ | ☆この「マクロ」の暗さよ »

コメントを投稿

⇒ドキュメント回廊」カテゴリの最新記事