自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★塩田村と塩田さん

2018年08月15日 | ⇒ドキュメント回廊

    盆休みを利用してゆっくりと能登めぐりを楽しんだ。海の幸と山の幸の物々交換がルーツとされ、千年の歴史を有する輪島朝市。1個1万2千円の「蒸しアワビ」(120㌘)を思い切って買った。別の店では1個700円のカラスミ(ボラの卵巣の塩漬け)を「2個ください」と言うと、おばあさんが「3個でおまけ」と差し出したので手に取ると、すかさず「100円おまけで2000円」と請求された。2個買ったので1個はおまけだと受け取ったのに、「100円まけるから3個買って」という意味だった。朝市という場を少々甘く勘違いしたのかもしれない。かなり高齢に見えたが、言葉の手練手管には舌を巻いて買ってしまった。

    次に向かった輪島の白米千枚田は駐車場が満杯だったので、車中から横目で見ながら珠洲市の塩田村(えんでんむら)に車を走らせた。「揚げ浜式塩田」と呼ばれ、400年の伝統を受け継いでいる。塩をつくる場合、瀬戸内海では潮の干満が大きいので、満潮時に広い塩田に海水を取り込み、引き潮になれば水門を閉める(入り浜式塩田)。ところが、日本海は潮の干満が差がさほどないため、満潮とともに海水が自然に塩田に入ってくることはない。そこで、浜から塩田まですべて人力で海水を汲んで揚げる(揚げ浜式塩田)。揚げ浜というのは、人力が伴う。しかも野外での仕事なので、天気との見合いだ。

    今では動力ポンプで海水を揚げている製塩業者もいるが、かたくなに伝統の製法を守る塩士(しおじ=塩づくりに携わる人)もいる。人がそれこそ手塩にかけてつくる塩は量産に限度がある。条件不利地ながら自然と向き合う人々の姿だ。ひとにぎりの塩をつくるために、人はどのように空を眺め、海水を汲み、知恵を絞り汗して、火を燃やし続ける。機械化のモノづくりに慣れた現代人が忘れた、愚直で無欲でしたたかな労働の姿でもある。

    この塩田での作業を見て芸術作品を創ったのが、ドイツ・ベルリン在住の現代美術家、塩田千春(しおた・ちはる)氏だった。昨年(2017)珠洲市で開催された奥能登国際芸術祭の作品を創作するために珠洲を訪れた塩田さんは、400年続く揚げ浜式塩田が日本で唯一残る当地に、自分のルーツにつながるインスピレーション(ひらめき)を感じて迷わず創作活動に入ったという。作品名は『時を運ぶ船』。戦時中、ある塩士が軍から塩づくりを命じられ、出征を免れた。戦争で多くの友が命を落とし、塩士は「命ある限り塩田を守る」と決意する。戦後、塩士はたった一人となったが伝統の製塩技法を守り抜き、その後の塩田復興に大きく貢献した。作品名はこの歴史秘話から名付けられた。

    塩田作品が今も展示されている旧・清水保育所に行く。舟から噴き出すように赤いアクリルの毛糸が網状に張り巡らされた室内空間。赤い毛糸は毛細血管のようにも見え、まるで母体の子宮の中の胎盤のようでもある。しばらく「胎盤」の中に身を置いてみる。一つ一つに心血を注いでモノづくりをする。一日一日を丁寧に暮らす。それが人として生きるということなのだ、と作品を眺めているうちに目頭が熱くなってきた。

    現代文明は脆(もろ)い。市場で約束されたことしかできない。売り買いが成立しなければ、生活すら危うい。それに比べ、塩田村で目にした塩士たちの姿は生命力にあふれている。

⇒15日(水)朝・金沢の天気    はれ

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