いったいどんな神経をしているのだろうか。取材する側を舐めきっている。なめてるんですよ、と公言したということである。そして、取材する人の後ろにいる国民全体をなめきっているということである。
もっとも、なにか喋ったところで、言えない、などという答え方は、答えたことにならない。言えないことがあって、とにかく隠し通すというのであれば、記者会見は必要ない。
では、なんでも正直に答えるべきだろうか。教育上であるとか、アイデアであるとか、それを知られると、誰かが、たいへんな不利益をうけるとすれば、喋るわけにはいかないことがあると考えるかもしれない。だが、基本的には、話さないことには、人類の成長発展はありえない。
一部の人間のみに、話すことはあるだろうし、秘密の公開の時期を、伸ばすことも考えられる。だが、いずれも、人類にとって、有益とはとても思えない。不都合なことこそ、明らかにし、改善していくべきことである。
秘密を持つ必要がない生き方こそ、個人でも集団でも社会でも言えることではないだろうか。また、これこそ秘密にすべきだと、個人が判断するとしても、そんなものは、そうする必要がないかもしれない。
むしろ秘密は、まったく必要がないと、考えていいのではないか。いずれ、秘密は、フィクションの形や、文学で語られる。最後的には、事実は、明かされなければならない。
と言いつつ、個人として、秘密にしていること、もう誰にも話さないだろうなということは、自分も持っている。だが、そんなことは、すでに一般的には、人類は知っていることだし、秘密でもなんでもないものなのだ。
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