政治家が、万人のために、政治を司るのだが、世界各国でその手法、考え方がちがうし、社会的な常識も異なる。
韓国などは、権力者が身内に誕生すると、その周りに、いわゆる「タカリ」として、身内、親戚、友人などなど、利益を求める人々が群がってくるという。それが、本当なら、前政権で決まったことでも、国際的な問題であろうと、ひっくり返すのはなるほどと思わせられる。
権力者が変わったのだから、社会が、その権力者の意向に沿うのは当然だと思うのだろうか。社会がどのように構成され、運営されているかによって、国民の生活は、大いに影響を受ける。
広い視野をもち、世界のことを考えながらも、自国のことも考えるというように、政治家は考え、行動するべきだと思うが、たまに、いや、チョクチョク、身近な人々のために動くこともでてくるだろう。これの度がすぎると、みっとも悪いことになる。
尊敬すべき政治家が、だんだんいなくなり、今や、わかりやすい自国ファーストを叫んだり、論理を理解しない政治家がでてきたり、弱者切り捨てを平気でやるような、お粗末な政治家が、どんどん出てきている。
その権力の横暴を許さないはずの、新聞が本来の機能をこわしてしまったのか、魅力がなくなってきた。正義を貫くという姿勢が、弱くなってきているように思える。そして、いい仕事をしても、悪循環で、評価してもらえないという現象もでてきている。
すべからく、「いいものはいい」はずである。お笑い芸人は、まさにその全存在で、人を笑わせる。中身はなんでもよさそうであるが、そうではない。そこには、人類の知恵がいっぱいつまっている。お笑い文化のなかに、大事な人間の「宝物」がつまっている。
そこに気付いている人が、上質なお笑いを提供し、人類文化を高めていく。お笑い芸人こそ、政治を社会を研究し、追究しなければならない。それを背景にもっていなくてはならない。
タレントだった山本太郎氏は、それを実践してこられた。いま、花が開かんとしている。これから、どんどん実力を発揮していくだろう。また、そうなってほしい。彼の言っていることは、あたりまえのことであり、日本社会の遅れているところ、足らざるところを、ズバリとついている。普遍的である。ポピュリズムなどと揶揄する声がでているが、彼は、あたりまえのことを言っているにすぎない。だが、あたりまえが実現できていないのが今なのである。
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