妻と平野区の、がんこ平野郷屋敷に行った。庄屋、村長などを歴代勤めてきた、昔からの、このあたりの名家であった屋敷を改装して開業している料理屋さんである。広い敷地と庭があって、なかなかいいところであった。
こんな所での昼食は、結構贅沢な感じがあって、それだけで、満たされた気分になる。太い梁、屋根の骨組みが素晴らしい。昔のよさと、現代の便利さが融合されていて、独特の雰囲気となっている。
接客の女性は、着物を着ていて、店内の雰囲気は、のびやかである。これこそ、建物の醸し出す、余裕の力であろう。今日は土曜日ということで、お客も多く、門の脇の小部屋の待合所で、しばらく待たされる。数組のお客と同席したのだが、店側が、お茶のポットのお代わりを持ってきたら、お客のうちの一人が、全員分のお茶を紙コップにいれてくれた。
笑顔が広がり、全員が、和んだ。そういうことが自然にできる雰囲気が生まれるのである。昔の近所づきあいの再現という感じだ。
アメリカ流の、人のことに関心なく、自己の利益のみを追求するような価値観とは正反対の文化が、日本には根付いていたのだと思わされる。昔が何もかも良かったのではなく、いいところは、残していかなければと思う。
別に、このあたり一帯は、観光地という風にはなっていないが、古い家があったり、おいしい和菓子の店があったり、戦災にあっていない地域の特徴が、随所にあって、やはり、新しい発見があった。
このあたり、いつも道路を車で慌しく通り過ぎるだけの「線」で知っているにすぎない所であったが、「面」的にみれば、町の雰囲気は全然違うのである。
こんな所での昼食は、結構贅沢な感じがあって、それだけで、満たされた気分になる。太い梁、屋根の骨組みが素晴らしい。昔のよさと、現代の便利さが融合されていて、独特の雰囲気となっている。
接客の女性は、着物を着ていて、店内の雰囲気は、のびやかである。これこそ、建物の醸し出す、余裕の力であろう。今日は土曜日ということで、お客も多く、門の脇の小部屋の待合所で、しばらく待たされる。数組のお客と同席したのだが、店側が、お茶のポットのお代わりを持ってきたら、お客のうちの一人が、全員分のお茶を紙コップにいれてくれた。
笑顔が広がり、全員が、和んだ。そういうことが自然にできる雰囲気が生まれるのである。昔の近所づきあいの再現という感じだ。
アメリカ流の、人のことに関心なく、自己の利益のみを追求するような価値観とは正反対の文化が、日本には根付いていたのだと思わされる。昔が何もかも良かったのではなく、いいところは、残していかなければと思う。
別に、このあたり一帯は、観光地という風にはなっていないが、古い家があったり、おいしい和菓子の店があったり、戦災にあっていない地域の特徴が、随所にあって、やはり、新しい発見があった。
このあたり、いつも道路を車で慌しく通り過ぎるだけの「線」で知っているにすぎない所であったが、「面」的にみれば、町の雰囲気は全然違うのである。