デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

キャパの十字架

2013-03-06 22:57:43 | 買った本・読んだ本
書名 「キャパの十字架」
著者 沢木耕太郎  出版社 文藝春秋 出版年 2013

単行本になる前に、雑誌文藝春秋で特集が組まれ、さらには単行本刊行後NHKスペシャルでもとりあげられるという、最近では珍しいノンフィクションもの大がかりなキャンペーンも展開された。あの有名なキャパのスペイン内戦のときに撮影された崩れ落ちる兵士の写真が、実はデモンストレーションで撮影されたものであり、しかも撮影したのはキャパではなく、彼の愛人ゲルダだったという、歴史的なスクープとなっているから、このキャンペーンもなるほどとは思う。
しかも書いているのはキャパの翻訳本もある沢木耕太郎、いうまでもなくノンフィクションライターの第一人者なのである。刊行後すぐに購入、先日タジキスタンに行く飛行機の中で読んだ、まさに一気に読んだ。さすがだと思う。なぜこの写真のことが気になったかという導入の部分も巧みで、無理がない、謎解きの連続なのだが、現地に取材し、それもその過程に無理がない、説得力がある、そしてここが凄いと思うのだが、こうしたスクープを力んで強調するのではなく、キャパの戦場カメラマンとしての生き方を全面否定するのではなく、つまりキャパが嘘をついたことに寛容なのである。要するに実はこの写真はキャパのものでもなく、しかも撃たれた瞬間を撮ったものでもない、でも戦場で命を賭けたことは事実であり、それを否定はしないという沢木のスタンスはある意味好感ももてる。暴露するだけじゃないという感じであろうか。
でも途中でだんだん興味が失われて行った。沢木がどんどん真実に近づいていくたびにだ。例えば恋人ゲルダが撮ったのではないかということを解きあかしていくときのカメラで撮られた写真の寸法の割合について一生懸命説明しているのだが、そんなのもういいじゃないかという気になってしまう。
事実に迫るたびに、どうでもよくなってくる。それはこの写真が故意に撮られたものであったということが一体どういう意味を持つのかということが伝わってこないからである。故意に撮られた、しかも自分のものではないという事実をどうキャパは受けとめていたのか、それに突っ込む、あるいはそれを実際に撮った恋人ゲルダはこのあと撮影中に亡くなっている、その彼女の生き方に突っ込むとかだったら別なのだが、故意に撮られたこと、キャパが撮っていなかったことという事実だけに迫っていくなか、人間が見えなくなってしまったような気がしてならない。
沢木の中ではそうした負い目をもっていたからこそ、ノルマンディーのときにまさにキャパは、命を賭けて戦場の写真を撮ったという解釈をしている。それはNスペの番組で一番強調していたことでもあった。
でもちょっとこれは違うのではないだろうか。
戦争を撮るカメラマンの根底にあるものはなにか、なぜ戦場を撮影しなければならないのか、戦争をとりあげるジャーナリズムの危険性にまったくふれずに、そうした贖罪だけで、キャパをいまとらえるというのはどうなのだろう、謎解きだけで終わったノンフィクションだったといえるのではないか。


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