gooブログには<アクセス解析>というのがあって(他のブログにもあるか)、 毎日どの記事に何PVのアクセスがあったかがわかるようになっています。
11月14~15日、「朝鮮日報」の知日派記者・鮮于鉦(ソヌ・ジョン)論説委員についての記事(→コチラ)へのアクセスが急に増えているのでその理由を探索したところ、14日付の「朝鮮日報 日本語版」の<「ジャップ」が東京裁判を検証!? 米国の胸中やいかに>という鮮于鉦氏の記事(→コチラ)によることがわかりました。見出しの「ジャップ」という言葉がなんともキョーレツで、カチンときた人は多かったと思います。しかし記事本文はとりたてて過激というレベルでもなく、この「ジャップ」という言葉も、ある文書中の「数ある裏切り者の中でもジャップは最悪」というキッシンジャーの言葉として紹介され、記事の結語で「・・・・米国の胸中が気になる。「ジャップは最悪」と、また怒っているのだろうか」と再び用いているにすぎません。(それでも問題視する人もいるでしょうが・・・。)
しかし、この見出しの文言だと、鮮于鉦論説委員自身、あるいは「朝鮮日報」が日本のことを「ジャップ」と罵っているように受け止められかねません。
ところで、世界一の数を誇る日本人の新聞購読者ですが、新聞記事を書く記者と見出しをつける記者(整理部デスク)は違うということはどれだけ知られているでしょうか?
ましてや<日本語版>。韓国版の元記事(→コチラ)で確かめたところ、見出しはたんに<도쿄재판 '검증'(東京裁判 '検証')>と、'検証'に‘ ’がついている程度の穏当なものなっています。
記事を書いた記者もデスクがつけた見出しを一応は見て確認すると思いますが、外国語版の見出しまでは見ていないのではないでしょうか? ・・・と考えると、この<「ジャップ」云々>の見出しを鮮于鉦論説委員が見たかは大いに疑問があります。
さて、上記の14日の記事から5日後の今日19日にも「この見出しは何だ?」という記事が「朝鮮日報 日本語版」に登場しました。<韓国に劣る法制度を持つ日本が問う韓国の法治主義>です。(→コチラ。)
この記事が現時点でのアクセス数第1位というのはよくわかります。「韓国に劣る法制度を持つ日本」とはね~。(笑) ・・・と、私ヌルボも思わず(笑)をつけてしまいましたが、嘲笑の(笑)ではないので誤解なきよう・・・。
このコラムの筆者は辛貞録(シン・ジョンロク)論説委員なのですが、本文を読んでみると日本で開かれた両国の記者たち(朝・読・毎の論説委員)との討論会の席で日本側から出された「韓国は本当に法治主義国家なのか?」という発言について書かれたものです。その中で「韓国に劣る法制度を持つ日本」に該当するのは次の部分です。
日本といえば「解釈の見直し」という理解しがたいやり方で憲法の内容まで変えてしまった国だ。だからといって法治主義ではないとは言えないが、制度そのものだけを見れば韓国よりも抜け穴や粗が多い。だから、その質問が自己矛盾であることは明らかだ。それでも日本人記者たちはこの質問を真顔で韓国側に突き付けてきた。
この記事ですが、日本の法制度を批判はしているものの、「制度そのものだけを見れば」とただし書き付きで、総体的に「韓国に劣る法制度」と決めつけてもいないように思われます。全文を読んでも日本側に強く憤りをぶつけている論調ではなく、「話はずっと空回りし、お互い「壁を見ながら話をして別れた」という印象すらした」といった無力感の漂うコラムで、どうもこの見出しも記事内容には合っていないと思われます。<韓日の法意識の較差を痛感>としても何ら問題がなさそうなんですけどねー・・・。
もしやと思い、この記事もまた元の韓国語の記事を見てみました。(→コチラ。)
するとソチラの見出しは<"한국 법치주의 맞느냐"는 日 기자들의 질문("韓国は法治主義なのか?"という日本記者たちの質問)>ではないですか! 日本語版の見出しとは全然受ける印象が違います。
上述のように、見出しは整理部デスクが付けるのですが、この<日本語版>では東京駐在のごく少人数がチェックするだけで本決まりになるのでしょうか?
私ヌルボ、現今の日韓間の感情的な摩擦は「根も葉もある」ことと認識していますが、このようなしょうもないことでそれを増幅させることは避けてほしいものです。記事を書いた記者に対する(誤解に基づく)反発も生んでしまいます。もし見出し担当者が日本人読者の受けとめ方に考えが及ばないとすれば、それは日本語能力の不足と、日本人の国民感情といったものに対する理解不足というものです。
・・・というわけなので、日本人読者も見出しの文言のみで感情的にならないように留意したいものです。
同じ討論会に参加した日本側の記者の感想はどんなものかなと少し気になりましたが、そうした記事は伊万里ところないようです。
※韓国(の政府やメディア等)を批判すると「右翼」とか「嫌韓」と見られたり、日本の政府等を批判すると「反日」「親韓」などと見られたりしがちですが、私ヌルボはそんな安直なレッテル貼りとは無縁でいたいと思っています。
※「日本といえば「解釈の見直し」という理解しがたいやり方で憲法の内容まで変えてしまった国だ」という指摘についてはヌルボも同感です。
11月14~15日、「朝鮮日報」の知日派記者・鮮于鉦(ソヌ・ジョン)論説委員についての記事(→コチラ)へのアクセスが急に増えているのでその理由を探索したところ、14日付の「朝鮮日報 日本語版」の<「ジャップ」が東京裁判を検証!? 米国の胸中やいかに>という鮮于鉦氏の記事(→コチラ)によることがわかりました。見出しの「ジャップ」という言葉がなんともキョーレツで、カチンときた人は多かったと思います。しかし記事本文はとりたてて過激というレベルでもなく、この「ジャップ」という言葉も、ある文書中の「数ある裏切り者の中でもジャップは最悪」というキッシンジャーの言葉として紹介され、記事の結語で「・・・・米国の胸中が気になる。「ジャップは最悪」と、また怒っているのだろうか」と再び用いているにすぎません。(それでも問題視する人もいるでしょうが・・・。)
しかし、この見出しの文言だと、鮮于鉦論説委員自身、あるいは「朝鮮日報」が日本のことを「ジャップ」と罵っているように受け止められかねません。
ところで、世界一の数を誇る日本人の新聞購読者ですが、新聞記事を書く記者と見出しをつける記者(整理部デスク)は違うということはどれだけ知られているでしょうか?
ましてや<日本語版>。韓国版の元記事(→コチラ)で確かめたところ、見出しはたんに<도쿄재판 '검증'(東京裁判 '検証')>と、'検証'に‘ ’がついている程度の穏当なものなっています。
記事を書いた記者もデスクがつけた見出しを一応は見て確認すると思いますが、外国語版の見出しまでは見ていないのではないでしょうか? ・・・と考えると、この<「ジャップ」云々>の見出しを鮮于鉦論説委員が見たかは大いに疑問があります。
さて、上記の14日の記事から5日後の今日19日にも「この見出しは何だ?」という記事が「朝鮮日報 日本語版」に登場しました。<韓国に劣る法制度を持つ日本が問う韓国の法治主義>です。(→コチラ。)
この記事が現時点でのアクセス数第1位というのはよくわかります。「韓国に劣る法制度を持つ日本」とはね~。(笑) ・・・と、私ヌルボも思わず(笑)をつけてしまいましたが、嘲笑の(笑)ではないので誤解なきよう・・・。
このコラムの筆者は辛貞録(シン・ジョンロク)論説委員なのですが、本文を読んでみると日本で開かれた両国の記者たち(朝・読・毎の論説委員)との討論会の席で日本側から出された「韓国は本当に法治主義国家なのか?」という発言について書かれたものです。その中で「韓国に劣る法制度を持つ日本」に該当するのは次の部分です。
日本といえば「解釈の見直し」という理解しがたいやり方で憲法の内容まで変えてしまった国だ。だからといって法治主義ではないとは言えないが、制度そのものだけを見れば韓国よりも抜け穴や粗が多い。だから、その質問が自己矛盾であることは明らかだ。それでも日本人記者たちはこの質問を真顔で韓国側に突き付けてきた。
この記事ですが、日本の法制度を批判はしているものの、「制度そのものだけを見れば」とただし書き付きで、総体的に「韓国に劣る法制度」と決めつけてもいないように思われます。全文を読んでも日本側に強く憤りをぶつけている論調ではなく、「話はずっと空回りし、お互い「壁を見ながら話をして別れた」という印象すらした」といった無力感の漂うコラムで、どうもこの見出しも記事内容には合っていないと思われます。<韓日の法意識の較差を痛感>としても何ら問題がなさそうなんですけどねー・・・。
もしやと思い、この記事もまた元の韓国語の記事を見てみました。(→コチラ。)
するとソチラの見出しは<"한국 법치주의 맞느냐"는 日 기자들의 질문("韓国は法治主義なのか?"という日本記者たちの質問)>ではないですか! 日本語版の見出しとは全然受ける印象が違います。
上述のように、見出しは整理部デスクが付けるのですが、この<日本語版>では東京駐在のごく少人数がチェックするだけで本決まりになるのでしょうか?
私ヌルボ、現今の日韓間の感情的な摩擦は「根も葉もある」ことと認識していますが、このようなしょうもないことでそれを増幅させることは避けてほしいものです。記事を書いた記者に対する(誤解に基づく)反発も生んでしまいます。もし見出し担当者が日本人読者の受けとめ方に考えが及ばないとすれば、それは日本語能力の不足と、日本人の国民感情といったものに対する理解不足というものです。
・・・というわけなので、日本人読者も見出しの文言のみで感情的にならないように留意したいものです。
同じ討論会に参加した日本側の記者の感想はどんなものかなと少し気になりましたが、そうした記事は伊万里ところないようです。
※韓国(の政府やメディア等)を批判すると「右翼」とか「嫌韓」と見られたり、日本の政府等を批判すると「反日」「親韓」などと見られたりしがちですが、私ヌルボはそんな安直なレッテル貼りとは無縁でいたいと思っています。
※「日本といえば「解釈の見直し」という理解しがたいやり方で憲法の内容まで変えてしまった国だ」という指摘についてはヌルボも同感です。
私もすぐに検索してみて、日本語の題名が「改悪」されているのに気付きました(もっとも紙の新聞まではチェックしていませんので、紙ベースではどうだったのかは分かりませんし、そもそもこれがウェブ版だけの記事なのかどうかもチェックしておりません)。
日本語の題名は日本語版の編集者が管轄しているのではないかと推察しますが、こうした改変が勝手に行われているとしたら、原記事の筆者にとっても心外でしょうね。もっともソヌ氏も承知の上で行われているということだとすると、それはそれで個人的には複雑な気持ちになりますが……。
ソヌ氏の記事には私もこれまで注目してきましたが、今回の記事も含めて、最近の記事には正直、疑問を覚えるものが少なくありません。以下の記事も、やはり日本語版の題名「120年たっても変わらない日本右翼の野蛮な属性」は原題と異なっており、前文にもあえて刺激的な一文を文中から取って来たりしていますが、なんといっても驚きなのは最後の一文でした。やはり現政権べったりの保守系「朝鮮日報」の「国際部長」としては、こうした政権向け提灯記事を書かないといけないのでしょうか(ソヌ氏はそのすぐ後で、論説委員になられたようですが)。
日本語 http://www.chosunonline.com/svc/auth/index_login.html?contid=2015090201122&code=news
原文 http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/09/01/2015090104136.html?Dep0=twitter&d=2015090104136
今回の記事も、内容自体は私もさしておかしいとは思いませんでしたが、ジャップ云々をわざわざ繰り返しているところは、結局他人の言葉を借りて日本人を見下すこの言葉を書きたかっただけなのだと思われても仕方のない軽率なものだったと思います(実際日本のネットにおける受け止め方としては、そうしたものがかなりあったのではないかと思われます)。
上の記事の前文にある「メディアの排泄口」などという言葉にしても、普段は滅多に冷静さを失わないこの書き手にしては、感情が先走った表現だと思えてなりません。批判している当の相手すらをも唸らせ、思わず納得させてしまうような文章こそが、理想的な記事の書き方だと個人的には考えていますが、一時の感情を表に出してしまったこうした文章は、当の相手をも感情的にして要らぬ反撥を招くだけで、自分自身がすっきりするためだけに書いた自慰行為だと思われても仕方のないものです(そうした感情的な記事は日本のメディアにもないではありませんが、韓国メディアには特に顕著なように思われます)。
ソヌ氏はこれまでは日本を批判をしつつも、そこに留まることなく自国である韓国にも批判的な目を向けることを忘れなかったことが多かっただけに、今回の記事も含めて最近の感情にまかせたような記事には、少々失望を覚えているところです。
もっとも上記の記事の後に書かれた【萬物相】「韓国の花火と日本の花火」というコラム(http://www.chosunonline.com/svc/auth/index_login.html?contid=2015101000363&code=news、原文 http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/10/05/2015100503854.html)では、こうした長所が出ていたように思いますので、こうした路線(別に日本を褒めてもらわなくても構いませんが)で良い記事を書いていって欲しいものです。
またまた長文で失礼いたしました。
私も9月の「120年たっても変わらない日本右翼の野蛮な属性」という記事を見てひどい見出しだなと思いました。上述の2つの記事と同じ人(たち)が付けているのでしょうかねー。批判というより偏見丸出しの感情的なもので、ジャーナリストとしてほとんど不適格のレベルだと思います。
いずれの記事も本紙に載ったものですが、公式サイトの記事だと読者の100字評もあり、それぞれに他の読者の賛否もついていますが、とくに反対の数字が多いものや賛否半々の評には興味深いものがあります。
「120年たっても~」の100字評の中(後の方10番目くらい)で、キム・グンドンという人が「鮮于部長の言論観がずいぶん変わりましたね」等々と書いているのを読んで、「中にはこういう読者もいるんだな」と思いました。
以前たしか新聞で、日韓の記者懇談会の折りだか、日本の記者が韓国の記者に「読者に迎合ばかりしていないで、喜ばれないことでも必要な事実を書くべきだ」というようなことを言ったら、「事情がありまして・・・・お察しください」という答えが返ってきた、という記事を読んだことがあります。
そういえば、一昨年「慰安所管理人の日記」が発見された時に、韓国の新聞には慰安婦たちが家族に送金していたことや映画を観に行ったこと等が全然書かれていなかったのを見て「やっぱりなー」と思いました。
随所に見られる韓国メディアによる世論の誤誘導の責任は大きいと思います。
日本のメディアも最近いろんな問題が噴出していますが・・・。
最近の安倍首相や自民党の「東京裁判見直し」の動きについては、韓国紙が大きく報道しているのに対し、日本のメディアは少ししか取り上げていないのはどちらにも違和感を感じています。
いずれにしろ、一般国民としてはメディア・リテラシーをちゃんと身につける必要がありますね。(日韓とも。)