ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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6月民主抗争からちょうど30年-その当時と、現在 ①毎日新聞の特集記事を読む

2017-07-03 23:48:11 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 今、「6月民主抗争」と聞いても、何のことかわからない人が大多数ではないでしょうか?
 1987年6月全斗煥大統領の軍事独裁政権に対して民主化を要求した運動で、6月10日のデモ(<6.10デモ>)6月29日の盧泰愚民正党代表最高委員による<6.29宣言>まで約20日間にわたって繰り広げられました。
 ※→ウィキペディア
 ※本ブログの関係過去記事→<60年安保闘争、韓国の6月民主抗争等、6月はデモの季節?>

 この民主化運動の勝利以降、憲法が改定され、大統領が直接選挙制となった等々の政治面での刷新ばかりでなく、社会の風潮・庶民文化が大きく変貌していく大きな画期となりました。(たとえば<反共>が国是とされてきた時代もここまでです。) 以後、現代の韓国までほぼ地続きになっていると見ていいのではないでしょうか。

 今年はとくに節目となる30年目ということもあり、韓国では関連した催しが開かれたり、メディアでいろいろ取り上げられたりもしました。
 日本では、「朝日新聞」が6月11日<韓国、民主化抗争から30周年 文大統領が格差解消訴え>というニュース記事を掲載しました。(→コチラ。) この記事の要旨は、6月10日文在寅大統領が6.10民主抗争記念日の式典で演説し、韓国社会が抱える経済的不平等の解消に向けて国民の結集を呼びかけたというもの。またこの6.10民主抗争記念日は盧武鉉政権下の2007年に国家記念日に指定されたものの、李明博・朴槿恵両政権は重視せず、大統領の式典出席は廬武鉉以来10年ぶりとのことです。
 ※韓国の国家記念日はとても多い。→韓国ウィキペデア参照。

 さて、上記のように6.10関係記事(といってもメインは文在寅だが)を載せた「朝日新聞」に対して、他紙は30年前の韓国には関心を向けないのかと思ったら、「毎日新聞」がなんと6月29日付朝刊の8面の全面で<韓国「6.29」宣言30年 民主化、模索なお>という企画記事を組んでいるではないですか。(→コチラ。)
    
 左は紙面のほぼ上半分、右は全面です。

 80年代当時のことだけでなく、現在に至るまでの写真もいろいろ載っています。
 たとえば、こんなよく知られた写真。
         
 左は、6月9日戦闘警察による催涙弾で後頭部を撃たれた延世大の李韓烈(イ・ハニョル)君と彼を抱きかかえる学友の写真。右は1996年8月ソウル地裁に手をつないで出廷する全斗煥(右)・盧泰愚両元大統領です。

 で、私ヌルボがこの毎日新聞の記事の中でとくに興味を持って読んだのが紙面中央の「元学生活動家が見つめた今昔」と題されたカコミ記事。米村耕一ソウル支局長が直接元活動家2人に取材して書いた記事です。

 1人目の李鍾昌(イ・ジョンチャン)さん(51)は、上左の写真の李韓烈君を抱きかかえている「学友」その人です。私ヌルボ、この写真の撮影者のことは昨年知りましたが、この「学友」については知りませんでした。以下、この記事に→コチラの記事(韓国語)や→韓国紙年表(→コチラ)等で細部を補って李鍾昌さんの当時と今を略述します。

 6月10日の国民大会をアピールするため、前日の9日デモに繰り出そうとした延世大の学生たちが大学の正門前に出て火炎瓶を2つほど投げたところで戦闘警察が催涙弾の一斉射撃を開始。「退却するところで、人が倒れているのに気づいた」李鍾昌さんが抱きかかえて安全な場所まで運んだ彼が李韓烈君でした。
 その後李鍾昌さんも6月14日のデモで頭部に石が当たって重傷を負い、入院したのが延世大セブランス病院で、手術を受けた後我に返った時に隣のベッドで横たわっていたのが脳死状態だった李韓烈君だったそうです。李鍾昌さんが退院する7月5日、目が覚めると、病院が異常な雰囲気で、訊けば李韓烈君が亡くなったとのこと。警察が彼の遺体を奪いに来るかもしれないというので、患者服を着て座り込みに加わったそうです。(写真以外にもいくつもの偶然の「縁」があったのですね。)
 李鍾昌さんはその後学生運動に関連して一時指名手配され、偽名を使って各地の工場を転々としながら旋盤工、溶接工などとして働いた後、27歳で延世大学図書館の司書となり以後22年間務めましたが2015年退職し、ソウル市内の恩平区立亀山洞図書館の館長の公募に応じて就任。そして現在は坡州(パジュ)市立カラム図書館長です。
 その間、延世大で開かれるセレモニーの時に学生会館(または図書館?)に掲げられるこの写真を元にした大きな版画の垂れ幕を見る度に、「生き残ってすまない」という気持ちが起こったそうです。

 そして今。下の画像は「李韓烈烈士30周忌・・・彼が残していったもの」と題された6月8日のKBSニュースの一コマです。(→YouTube)
 「あの写真」を背景に、現在の李鍾昌さんが映されています。(テロップ)「戦闘警察から安全な所に移そうと思って(李韓烈君を)抱きかかえて学校内に運んでいきました。」
 また、先の朝日新聞の記事にもあるように、李鐘昌さんは今年の6.10民主抗争記念式典に招かれ、文在寅大統領と握手を交わしました。朝日新聞の取材にも応じています。
 30年前の1つの出来事が2人の学生の運命を決定づけ、生き残った李鐘昌さんはその決定的な場面が「歴史的な写真」となったことがその後の人生にも大きく影響を及ぼすこととなったというわけです。
 なお、この写真と、それを元にした版画のインパクトはとても大きく、またそれを撮ったカメラマンと、版画の作者の人生にとっても大きな意味を持つものとなりました。それについては続きに回します。

 毎日新聞のカコミ記事に書かれた2人目の元活動家は金永煥(キム・ヨンファン)さん(54)という人です。80年代ソウル大の学生だった彼は、北朝鮮の主体思想を信奉するNL派(ふつう主思派(チュサパ)という)の理論家として知られ、6月民主抗争以降には北朝鮮工作員の働きかけに応じて秘密裏に北朝鮮に渡り、金日成にも2度面会し、14日間滞在した後韓国に戻ったそうです。ところが北朝鮮は期待に反して韓国よりも権威主義的・抑圧的で疑念が膨らみ、その後脱北者の話を聞いたりして、逆に北朝鮮人権問題に取り組むようになったということです。
 私ヌルボ、すぐには思い出せなかったのですが、しばらく前に中国で脱北者支援活動をしていて中国政府に逮捕され・・・といったことがあったのをぼんやり思い出しました。ということで検索したら<北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会>のサイトに「金永煥氏拘束:逮捕から114日ぶり韓国へ」という記事がありました。(→コチラ。) その中でも彼の学生時代からの経歴が記されていますが、とくに詳しく書かれているのが「ある「思想的大転換」 金永煥(カンチョル)の場合」と題された→コチラの記事。(文字化けしたらURLをコピーして「貼り付けて移動」してみて下さい。)いやあ、思想面でも行動面でもドラマチックな人生です。毎日新聞の記事によると「半生を記録した著書の日本語訳が新幹社から近く出版される」とのこと。これは読んでみたいなー。(追記:2017年10月「韓国民主化から北朝鮮民主化へ」という書名で刊行されました。)
 ※かつて工作員の手引きでひそかに北朝鮮に行ってきた在日の青年は何人も(いや、それ以上)いたようなのに、その人たちは今どう思っているのでしょうか? 多少なりとも本に書いているのは神奈川大学名誉教授の李健次先生くらい?

 ※この記事に続いて、実際にソウル市内の関係施設等を廻った記録を中心に続編をまとめる予定でしたが、ペンディング状態が続いています。

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