ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行① 1日目(前半)=閑散としていた朴正熙記念図書館

2016-12-06 18:08:35 | 韓国旅行の記録
 11月25日(金)~28日(月)、今年3度目の韓国旅行。
 最初の3月25日~4月1日(7泊8日)は元同僚の韓国史研究者氏等の3人組で初めて蔚山へ。それもクジラ博物館等観光ポイントも行きましたが、メインは研究者氏の現地調査・史跡踏査のお供。(旅行の記録記事(→1回目)は蔚山の前で止まったまま・・・。)
 次は6月14~18日(4泊5日)でいつものサークル仲間5人組で全州方面へ。以前から行きたかった馬耳山(マイサン)に行ったり、ソウルでは初めてドラゴンヒルスパに行ったりカルメギ肉を食べたり。酒浸りはいつも通り。(旅行記録は全然書いてないです・・・。)

 そして今回の旅は、ガラッと趣きを変えて・・・。なんというか、韓国の中高生の社会見学か、日本の大学ゼミのフィールドワークといったところかな? ともかくマイナーな資料館をいろいろ回ってきました。

 コトの初めは半年ばかり前に学生時代のクラスメート、畏友Y氏からの電話。(※「畏友」は枕詞のようなもの。1度こういう言葉を使ってみたかったので・・・。) つまり「一緒に韓国に行こうよ」との誘いだったのですが、どうもアルコールが入っているようにも聞こえた(?)のでホンキ度にやや疑念もなきにしもあらず。いや、年賀状にも韓国に行こうと書かれてたな。その後日程や行先等を詰める段になって、むしろ彼のホンキに私ヌルボが背中を押されることになり、おかげで3泊4日ソウル限定の旅でしたが、この数年行きたいと思ってきた懸案の所を何ヵ所も回ることができました。
 なお、施設見学以外にも、たまたまあの26日(土)夜の大規模デモも真っ只中で体験(観察?取材? 体感?)することができ、また美味しいものもいろいろ食べたりもしてきました。

 以下、4日間を各日前・後半に分けて全8回の記事にまとめる予定です。

○11月25日(金) 前半

 「アシアナ機はマッコリが飲めるよ」との情報提供をしっかり覚えていた畏友Y氏。さっそくククスンダンの缶マッコリを注文。私ヌルボは前夜ほとんど寝てないのでボーっとしたまま金浦に到着。
 まだ滑走中の機内から外を見ると、(西方)はるか向こうに小高い山が・・・。あの上からの景色は良さそうだなと思い、あとで調べると桂陽山(ケヤンサン)という山。高さ394mで、仁川市の最高峰とか。→コチラのブログ記事は日本人オンマと息子さん&娘さんのほほえましい登山記録。写真を見るとたしかに良い眺め。私ヌルボも登ってみたくなりました。(これも思うだけで終わりか・・・?)
 ※→コチラの記事によると、初期百済山城で石塁が残っているとか。
 金浦空港から空港鉄道に乗り、最初の停車駅デジタルメディアシティで下車。タクシーで、ちょっとソウル日本人学校に寄って・・・、あれ? 今回も人気無し。受付にいた警備員氏に何かパンフのようなものはと訊くと何もないとのこと。訪問者は事前予約制とも。まあそうでしょう。移転前の2004年には暴漢の襲撃事件(→コチラ参照)も起こっているしなー。

 そしてこの日午前の第一目的地・朴正熙大統領記念図書館到着。大きくキレイで、リッパな建物です。

 展示館の入口まで階段を上っていきますが、その前に置かれている車2台。 
    
 各地に視察等で出かける時に乗ったジープと、1968~79年平素または行事の際に用いていたメルセデス・ベンツ600。

 展示館の中に入ると、1961~79年の年譜に始まり、写真や映像資料、模型等々が一杯。
     

 展示の基本的なコンセプトは、朴正熙時代の産業の発展、国民生活の向上を称揚するというもの。
      
 カツラの製造(左)や縫製工場(右)で働く女性労働者たち。奥の壁には「輸出だけが生きる道だ」とか「世界1等になろう」といったスローガンが掲げられています。

     
 京釜高速道路が開通し(左)、蟾津江(ソムジンガン)ダム昭陽江(ソヤンガン)ダム等々多くのダムが造られ(右)、インフラも整備されていきました。
 壁面に大きく、100億ドル輸出(1977)、1人当たりGNP1000ドル(1978)、平均経済成長率8.9%等といった数字で当時の韓国の発展を示しています。53.0%という大きな数字は中産層の比率(1977)です。

 さて、ここでこの朴正熙大統領記念図書館の開設の経緯と現況について。
 私ヌルボがちょっと知っていたのは、進歩系の朴元淳(パク・ウォンスン)市長が就任してほどなくこの施設をめぐって論議が起こっていたこと。で、それ以前のことからちょっと調べてみました。
 元はと言えば、この施設の発端は1999年にさかのぼります。金大中大統領が「歴史和解」を掲げて朴正煕記念館建設支援の意思を明らかにした中、朴正煕大統領記念事業会(朴正煕記念財団の前身)がソウル市に敷地サポートを求め、当時の高建(コ・ゴン)市長がこれに応えて開発計画が進められていた上岩洞の敷地提供を決定しました。しかし建設に反対する進歩系の民間団体や市民も多く、「朴正煕記念館反対国民連帯」を結成して反対運動が展開され、結局朴正煕記念財団がソウル市から無償で提供された市有地にこの記念図書館を開設したのが2011年11月。しかし、ソウル市と財団間の協約では展示館だけでなく公共図書館も併設するとなっていたのに財団側は市側が図書館運営費をサポートしていないという理由で図書館のスペースを閉鎖したままで展示館だけ開館しました。
 ちょうどその頃朴元淳氏が進歩勢力の期待を受けて市長になったこともあってこの施設の運営等について論議が起こり、とくに「独裁者の記念館より公共図書館を優先すべきだ」との声が高まりました。ところが、そこでソウル市が取った措置は、無償で提供してきた市有地の財団への売却というもの。まあ市としては独裁者賛美施設の支援はしないということでしょうが、公共図書館開設を要求していた進歩陣営からは批判の声も上がったようです。
 私ヌルボ、この2日後に聞いた話では、記念館側は宣伝はしないとか、学校は校外学習等の団体見学はしないとかの取り決め(?)はあるそうですが・・・。

 一方、「自分たち国民の生活を向上させてくれた」と感謝している人たちも大勢いるわけです。元毎日新聞記者の下川正晴さんも1975年慶州の仏国寺で日本語のできるおじいさんから「この大統領のおかげで大韓民国は飯が食えるようになったんだ」という話を聞いた思い出を「私のコリア報道」で記しています。あ、ヌルボたち2人が来る時に乗ったタクシーの運転手さんもそんなことを言ってたなー。

 ・・・ということで、ここで70年代に入って展開されたセマウル運動関係の展示を見てみると・・・。
 

 セマウル運動によって大きく変わった農家のようすを5項目取り上げて、セマウル運動の前後を比較しています。
 
 左はセマウル以前、右が以後です。
 
 一番上は<電気>


 次は<住宅>
 藁葺きから瓦葺きに代わりました。

 3番目は<台所>
 水道があります。朴婉緒の自伝小説「あのスイバは誰が食べつくしたのか」(翻訳書「新女性を生きる」)には、1930年代京城の峴底洞(ヒョンジョドン.西大門方面)には水道がなく、天秤棒で水桶を担いだ水売りから買うか、下の平地まで階段を下って共同水道の水を汲んでくるがしたとあります。社稷洞(サジクドン)の親戚の家には水道があったので、京城市内でも所によるということでしょうか。

 その下は<食卓>
 おかずが多彩になってきて、魚や肉を食べる回数も増えてきました。

 一番下はトイレ。屋外の、地面に穴を掘ってむしろで囲っただけのおよそ前近代的だったものが、見た目にも清潔な個室になりました。


 セマウル運動は、その後都市や工場にも拡大されましたが、それらについては省略。
 ※セマウル運動が北朝鮮の千里馬運動を意識したものであろうことは推定されるところです。また、→ウィキペディアによると源流は1930年代に朝鮮総督府の宇垣一成総督が進めた農村振興運動とのことです。

 右はベトナムに派兵された白馬部隊の歓送式の光景ですが、これらベトナム派兵や、映画「国際市場で逢いましょう」等で描かれたドイツへの鉱山労働者・看護婦の派遣の展示については省略。
 
 教育についても興味が持たれるところですが、展示室内ではなく、出口に近いあたりに掲げられていた国民教育憲章の写真だけ貼っておきます。これをテーマに記事を書こうと以前から思いつつ、書かないまま今に至っています。この日本語訳は→コチラのブログ記事参照。


 最後に、朴正熙大統領の遺品、そして家族写真が展示されていました。
         
 ユンノリ(韓国の双六)を楽しんだりしてます(左)。アラ、朴正熙はピアノを弾けたのか?

 以上、12時30分から1時間あまりかけて見て回り、別棟の記念品売り場へ。それにしても、なかなかリッパな施設にしては客が少なかったなー。10人も見かけなかったような気がします。
 そこで買ったのがこのストラップ(2000ウォン)。あ、これ2つではなくて同じものの裏表で、片面が朴正熙、反対側が朴槿恵の肖像になってます。
 ※このストラップのことは11月10日の毎日新聞夕刊掲載・鈴木琢磨記者の「拝啓 朴槿恵大統領 韓国よ、どこへ」という記事(→コチラ)で知りました。朴正煕大統領記念図書館については「立派な施設で、父上の栄光の足跡をたどるテーマパークのようです」と書かれています。
 ※朴正熙記念図書館の公式サイト(韓国語)は→コチラ。ソウルナビにも紹介記事があります。→コチラ

 記念品売り場でナツメ茶を飲んで、外に出たのが午後2時過ぎ。
 ここの前の道の西の方、つまり漢江の方角の少し離れた所に平べったい形の小高い丘が見えます(右画像)。
 以前この近くのワールドカップ競技場に来たことがあるという畏友Y氏の話では「あれはゴミの山」とのこと。競技場の地はそもそも蘭芝島(ナンジド)ゴミ埋立地があった所で、1970年代からソウル中のゴミが集積され埋め立てられた所ですから、あれだけの高い山ができたというのもうなずける話です。

 記念品売り場のアジュマの「駅まで歩いて10分くらい」という言葉は間違いだったことが後でわかりましたが、歩いたことでまた新たな発見があったのは収穫でした。
 
         
 上左はCJ E&Mセンター(→ソウルナビ)。韓国映画ファンにはおなじみの大手配給会社CJエンターテインメントの施設で、Mnetの音楽番組「☆M countdown」の収録スタジオがあるそうです。同じく歩いていて目に留まったのがプレスセンターの新築工事現場。これについての情報は未確認。上左は、過去2回行ったことがある韓国映像資料院。現在の特別展は「追憶の洋画チャップリン、ジョーズ、タイタニック」。そして映画館(シネマテクKOFA)では11月23日朝日ホールで観たばかりの「私たち」が上映されていました(上右)。

 もうひとつ初めて知ったのがMBCの新社屋とMBCホールの間の道(下左)。
          
 ここの舗道に、韓流スターたちの手形が押されたプレートが10枚以上はめ込められています。上中の画像はチェ・ジウ、右はスジですが、その他イ・ホンギ(FTISLAND)・エリック(神話)・等々。
 私ヌルボ、帰国後知ったのですが、MBCの社屋内には2015年9月オープンしたMBC WORLDという韓流テーマパークがあって、コネストの紹介記事(→コチラ)によると「韓流ファン必見のポイント」なのだそうです。元々韓国ドラマにはあまり詳しくなく、このところKPOPからも遠ざかっていることもあって全然知りませんでしたねー。

 というわけでデジタルメディアシティ駅に戻り、ホテルに直行。以下は②に続きます。